劉備の死後、後を託された孔明。そして孔明の死後、後を託された一人が費イです。費イについては色々な考察してみたいことがありますが、今回は費イのその性格に注目。そして今回は逸話の数々から想像される筆者なりの費イ像を考察してみたいと思います。
変わった内容になりますが費イがお好きな方はお付き合い下さい。
「孔明 死後」
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孔明に後を託された優秀な文官
まずは少し費イについて紹介しましょう。
費イは孔明が後を託した一人なだけあって、非常に優秀な文官でした。
費イは尚書令という皇帝の秘書みたいな役職についていましたが、この役職は現代の秘書官と同じく、もしかしたらそれ以上に毎日たくさんの仕事が山積みにされる仕事だったのです。しかしその山積みになった仕事を費イは間違いなくこなしていきながらも、プライベートは遊びまわるという仕事っぷりでした。
後にその仕事を引き継いだ董允は費イの真似をして過ごそうとしましたが、費イのように過ごすことはできず、一日を仕事に費やしても全く余裕がないことに驚き、能力の違いを嘆いたといいます。
魏延と楊儀の仲裁もしていた人物、だが
優秀な費イは孔明の目に留まり、昇進していきます。
さてこの頃の蜀でやや問題になっていたのが魏延と楊儀のいがみ合いです。この二人は多くの武官、文官を夷陵の戦いで失った蜀の今後を背負っていかなければならない立場にありましたが、とことん仲が悪かったのです。そしてこの二人の仲裁を良くやっていたのが費イでした。
魏延が刀で楊儀を脅した時も二人の間に割って入って二人を諭したとされています。難しい性格の二人を使い物にしたのは費イあってこそ、と陳寿にも評価をされている人物だったのです。
そんな費イですが、最期は暗殺されてその生涯を終えることになります。
費イの最期、軽率かそれともお人よしだったのか?
費イは博打を打つのが好きという、娯楽を娯楽として楽しむ人物でした。しかしその一方で慎み深く、質素な生活をしている人物だったとも言われています。
そんな費イは「人が良すぎる。降伏者たちを信用しすぎるな」という忠告を受けていたということもあって、良く費イの性格は「お人好し」「優秀で性格の良い人」という評価をされていることが多いです。
筆者もその評価を否定しません。
ですがそれに加えて「軽率さ」もあったのではないかと思います。暗殺されたのも宴会を開いて泥酔されたところを狙われた、という経緯ですし、それを「おおらかで細かい物事を気にしない豪胆」と取るか「他人からの忠告を気に留めず油断と軽率な行動で寿命を縮めた」と見るかは人それぞれです。
だけど費イは優秀であったにも拘らず、最期に暗殺を許したというところがどうしても「惜しい!」と感じさせてしまう人物だと思います。もっとずっと長生きして蜀を支えて欲しかった……そんな思いを抱かずにはいられない人物だと思います。
逸話の数々から想像される費イ像
そして最後に一つ、費イがただ「良い人」でない逸話があります。費イは孔明が在命時、争う魏延と楊儀の仲裁を良くしていました。時に体を張って仲裁をしていた費イ、しかし孔明の死後、魏延と楊儀は失脚してしまうのですが、そこに費イは関与していたというのです。しかも片方だけでなく両方に……これに筆者は、良い意味で「腹の底の見えなさ」を感じます。
これに関して色々な意見や見方があるでしょうが、筆者はここに費イの魅力があると思っています。孔明が生きていた頃、魏延と楊儀は孔明が北伐を続けるためにも必要な人材でした。だからこそ費イは時に体を張ってでも二人の仲裁を行いました。
しかし孔明の死後、二人は費イにとって寧ろ「いる方が手間がかかる人物」にシフトしたのではないでしょうか。現在何をするべきか、どう行動するべきか、それをしっかりと見据えている人物。そしてそれが変化した時に真っ先に行動できる、そんな切れ者であると感じるのです。
色々な意味でもっと生きていて欲しかった……そう思わずにはいられない、そんな人物像が費イにはありますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は費イについて、色々と筆者なりの考察をしてみました。
三国志演義ではあっさりと描かれている費イは、他の蜀の人物たちに比べるとまだまだ知名度が低いように感じます。しかし調べれば調べるほどに色々な魅力を秘めている人物でもあることが分かりました。
皆さんもぜひ、費イについて色々な考察をしてみて、より三国志を深く楽しんでほしいですね。
参考文献:蜀書費イ伝 魏延伝 楊儀伝
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