魏延が街亭を守っていれば北伐戦は成功したかも!

2019年7月22日


 

山頂に陣を敷いた馬謖

 

第一次北伐戦は馬謖(ばしょく)街亭の戦い(がいていのたたかい
)
で敗北したため、蜀軍の全軍が撤退することになったのは、みなさんご存知かと思います。もし街亭の戦いで諸葛孔明(しょかつこうめい)馬謖(ばしょく)ではなく、魏延(ぎえん)を用いて街亭を守らせていれば、どうなっていたのでしょうか。

 

蜀の魏延

 

今回は魏延が街亭を守っていた場合の推論を述べてみたいと思います。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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第一次北伐戦の意義とは?

孔明による出師の表

 

諸葛孔明は魏を討伐するため「出師の表(すいしのひょう
)
」を劉禅(りゅうぜん)へ送り、北伐を決行。諸葛孔明は何度も北伐を行うため、この最初の北伐を後世「第一次北伐戦」と呼ばれることになります。

 

北伐する孔明

 

諸葛孔明が行った第一次北伐戦ですが、どのような目的をもって実行したのでしょうか。諸葛孔明は第一次北伐戦で魏を打倒して、劉備の夢であった後漢王朝の復興をするために行われた作戦ではなく、魏の西方部にある涼州を占領することが目的でした。

 

北伐を結構する孔明

 

諸葛孔明は魏の涼州を手に入れるため、街亭で長安からやってくる涼州救援軍を防ぎ、街亭で敵軍を防いでいる間に涼州全域を手中に収めようとするのが、第一次北伐戦の全容です。

 

 

 



史実の街亭の戦いは大敗北

馬謖に魏打倒を叩き込む諸葛亮孔明

 

諸葛孔明は、この第一次北伐戦の肝となる超重要任務である街亭守備の役目を次世代の人材として期待していた馬謖を起用。馬謖は諸葛孔明に街亭守備を任されますが、高所から魏の救援軍を攻撃する作戦を計画し、蜀軍を山に登らせ魏軍を迎撃する準備を行います。

 

馬謖の陣形に笑う張コウ

 

魏の張郃は馬謖の作戦を警戒することなく、馬謖が陣取っている山を包囲し、総攻撃を行い、馬謖軍を難なく蹴散らしてしまいます。

 

泣いて馬謖を斬る諸葛亮

 

諸葛孔明は馬謖が敗北し、街亭が魏軍に奪われたことを知って蜀軍の全軍を撤退。第一次北伐戦は馬謖の作戦ミスにより、街亭が取られたため、大失敗に終わってしまうのでした。

 

 

魏延を用いていれば北伐戦の成功率は格段に高かった!?

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

馬謖はどうして街亭の戦いに敗北したのか。それは馬謖が考えた山に上った際、兵士の飲み水を確保しなかったことにあります。もし馬謖が飲み水を確保して山上へ陣営を築けば、もう少し違った展開になっていたかもしれません。

 

蜀の魏延

 

では魏延が街亭を守っていたとすれば、どうなっていたのでしょうか。

 

魏延

 

魏延は劉備が益州攻略戦の時に配下へ加わり、その後色々な戦を経験していることから、実戦経験豊かな将軍でした。そのため魏延は馬謖が行ったように山上へ陣営を置くことなく平地に砦を構築し、しっかりとした防御を施して魏軍を防ぐ陣営を構築したと思われます。

 

張郃は魏延が平地の砦に陣営を構築したとすれば、容易に攻撃することができず、長い対陣を強いられることになったと思われます。魏延が張郃を足止めすることに成功すれば、その間諸葛孔明は涼州制圧に時間を割くことができ、涼州一帯を蜀の版図にすることも可能でした。

 

魏延と孔明

 

そして諸葛孔明が涼州一帯を領土に収めることができれば、上記で説明した第一次北伐戦の目的を達成できたはず。これらを考慮すると諸葛孔明が馬謖を起用してしまったのは、蜀の北伐戦にとって大きな痛手だったと言えるでしょう。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

魏延はどうして街亭の守りを諸葛孔明から任されなかったのでしょうか。ここからはレンの推論になりますので、ご了承ください。魏延が活用されなかった理由は、諸葛孔明が彼を深く知っていなかったからだと考えます。

 

諸葛孔明は街亭の守りを馬謖へ任せた理由として、軍略のアドバイスを諸葛孔明へ行っていた事が、挙げられると思います。馬謖は参軍になった際、諸葛孔明と南蛮征伐について議論を交わしている事や諸葛孔明と昼から夜までずっと軍事のことについて語っていたと正史三国志に記載。

 

そのため諸葛孔明は馬謖の軍事における知識の深さと豊富な見識、彼の人間性をある程度知っていたため、街亭の守備に活用したと考えることができます。諸葛孔明は馬謖のように魏延と戦術や戦略について語り合っていたと正史三国志に記載がありませんでした。

 

さて皆さんが諸葛孔明だったらどうしますか。色々な事を語って人間性を知っている馬謖と実戦経験の豊富さを知っていても、人間性についてほとんど知らない魏延のどちらを活用しますか。

 

三国志ライター黒田レン

 

多分みなさんは見知っている人・馬謖を活用するはずです。レンも馬謖を活用すると思います。そして諸葛孔明も人間性や戦術面における優秀さを知っている馬謖を活用し、何にも知らない魏延を活用できなかったと考えました。

 

皆様はどうして諸葛孔明が魏延を活用しなかったと思いますか。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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