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功績のあった魏延が『蜀』で評価をされなかったのはなぜか?

2019年11月26日


 

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蜀の魏延

 

三国志演義被害者シリーズの一人とも言える蜀将、魏延(ぎえん)

 

魏延からの提案を却下する孔明

 

やや脳筋というか武人肌な人物ではありますが、三国志演義では魏延の功績、評価は控えめに描かれていると言っても過言ではないでしょう。しかし晩年の蜀を支えられた数少ない武将でもあった魏延は、どうして三国志演義でそのような扱いをされたのか?

 

今回は魏延の功績と後世の評価に付いて、少し考察してみたいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備には評価されていた魏延

魏延

 

三国志演義ではどちらかというとじわじわと出世していっているイメージのある魏延ですが、正史三国志では張飛を差し置いて漢中太守に任命されるなど、劉備(りゅうび)にとても評価されています。この漢中太守任命当時はまだまだ五虎将軍たちも存命でしたから、大抜擢とも言える任命ですね。

 

実際に正史では「入蜀の際に劉備が率いる軍の配下として随行し、何度か戦功を立てて、牙門将軍に昇進した」と記録されていますし、後に劉備が夷陵の戦いで敗北した時に、黄権(こうけん)の後任として鎮北将軍に昇進しています。

 

劉備が大好きな魏延

 

この事から分かるように、劉備は魏延をかなり評価していました。入蜀は劉備にとってとても重大な一件と考えれば、その評価の高さも理解できます。しかし劉備に評価されているにも関わらず、後世で魏延の評価がいまいちなされていないのはなぜなのでしょうか?

 

魏延の評価は謀反を起こしたから……?

「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

「魏延は謀反を起こした」と思っている人がたまにいますが、これは大きな間違いです。三国志演義の演出もありますが、魏延は謀反を起こして討たれたのではなく、実際には楊儀との派閥争いの果てに敗北、失脚して処刑、という流れが正しく、謀反を起こした罪、という訳ではないのです。

 

仲の悪い魏延と楊儀

 

陳寿も「魏延は謀反を起こそうとしたのではない」と評しているので、魏延の評価にストップをかけたのはこの争い、楊儀(ようぎ
)
との内ゲバが原因ではないでしょう。しかしここに魏延の評価を決めてしまう理由があったのではと推測します。

 

どうして派閥争いに敗北したのか?

魏延、姜維、王平、楊儀

 

少し魏延と楊儀の争いについて説明しておきましょう。

 

孔明

 

諸葛亮は五丈原で倒れた時、楊儀らに自分が死んだら全軍撤退せよ、と告げました。しかし諸葛亮が死んだ後、魏延は北伐継続を主張、撤退する楊儀と対立します。魏延も楊儀も劉禅にお互いが反逆者であると上奏し、劉禅が董允らにどちらが正しいのか尋ねると彼らは楊儀の肩を持ちました。

 

簡単に魏延の失脚までを説明するとこんな感じになります。

 

楊儀

 

この後魏延は討伐され、諸葛亮の後継者には楊儀……ではなく蒋エンが任命されることになりますが、それはまた別の話。ここで重要なのは魏延は北伐継続、楊儀は撤退を主張したということです。

 

北伐と蜀漢の本音や如何に

楊儀、姜維、費イ

 

当然ですが北伐継続は非常に色々な問題が出ます。ぶっちゃけて言えばお金がかかります。人手もいることを考えれば、蜀の経済に大きなダメージを与えているのです。

 

疫病が蔓延した村と民人

 

果たして蜀の人々は本当に本心から北伐を望んでいたのか……そう考えて見ると、この時点で北伐を続けようとした魏延の評価はもしかしたら当時、民衆の本音では良くなかったのでは?と思われます。むしろ本音で言うなら、北伐を「中断してくれた」他の武将の方を評価したのではないでしょうか。

 

蜀の姜維

 

ただし国から見れば北伐はやらなければならない事業です。なぜなら蜀漢の存在意義は、漢王朝の復興、つまり曹魏を打ち破ることにあるからです。魏延がそれを理解して北伐を続けようとしたのか、それとも今は亡き劉備に準じる覚悟だったのか、それは分かりませんが……こういった面、また失脚したタイミングも相まって魏延の評価が後世でやや控えめにされてしまったのではないか、と思いました。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

あくまで個人的な意見ですが、三国志での魏延の評価はやや控えめに思います。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

少なくとも五虎将軍に任命されている馬超や趙雲、黄忠に引けを取らないほどの功績が魏延にあるのでは……と考えると、どうして魏延は後年で彼らほどの評価を得られなかったのか。

 

北伐でやりあう曹叡vs孔明

 

今回はそこに注目して、妄想という名の考察をしてみました。考えて見ると蜀漢が成立していられるのは曹魏との対立あってこそ、しかしそれはあくまで国であって民衆は……という少し政治的な妄想になりましたが、いかがでしょうか。

 

皆さんは魏延の評価についてどう思いますか?

武将として見て、政治的に見て、民衆から見て……魏延に限らず、見る視点を変えつつ見てみると、新しい見方ができるかもしれませんね。

 

参考文献:蜀書魏延伝

 

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魏延特集

 

 

 

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