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同年小録って何?科挙の大宴会と超大事な卒業アルバム

2020年2月21日


 

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三国志大学 曹操

 

筆者は高校・大学入試が終わると家族でお祝いした記憶があります。寿司、焼肉、ステーキ、焼き鳥、ピザ・・・・・・思い返せば筆者のお祝いって大半が食べ物ですね。それで満足するなんて割と単純な頭脳だったのでしょう。

 

宋代の公務員試験である科挙

 

さて、今回は科挙(かきょ)に合格した受験生のお祝い行事と科挙の同窓名簿「同年小録」について解説します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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科挙の責任者への挨拶

知貢挙(科挙に合格した人)

 

(とう)(618年~907年)の科挙は1月に実施して、2月に合格発表です。それが終わると儀礼ともいえるお祝い行事が始まります。それが知貢挙の屋敷を訪れることです。「知貢挙」というのは科挙の総監督ともいえる存在でした。知貢挙に任命されるのは、ほとんど宰相です。受験生が知貢挙に挨拶に行く理由は「合格させていただきありがとうございました」とお礼を述べるためです。

 

知貢挙も「俺のおかげだぞ」と受験生に恩を売ります。つまり、科挙の総監督と受験生の間で自然に親分子分の関係が構築されてしまっているのです。ただし、この儀礼は受験生と私的な関係が出来ることから北宋(960年~1127年)になると禁止されました。

 

打ち上げパーティー

 

科挙合格後は挨拶などの堅苦しい行事が何日か続きます。それが全て終わるとようやく打ち上げパーティーに入ります。「みんな、お疲れ様!」とその日は無礼講です。みんな今までの試験勉強の苦労を思いっきり吹き飛ばします。

 

酒に酔う劉寛

 

ちなみに盛り上がりすぎて池に落っこちて死人もでたようですけど、みなさん、お酒はほどほどに・・・・・・しかし油断は禁物。この宴会では上級役人の娘が自分のムコ探しのために遠くからのぞいているのです。

玄宗皇帝

 

唐の第6第皇帝玄宗(げんそう
)
に仕えた李林甫(りりんぽ
)
という宰相は自分の娘を連れてきて、ムコ候補を選ばせていました。李林甫という宰相は普段からニコニコした恵比寿様なのですが、腹黒い性格であり敵対勢力に対しては容赦なかったと言われています。もちろん受験生に断る権限はありません!

 

同期の桜は大切に?

霍光追い落とし計画を企む政治家たち

 

科挙で最も大切に扱われたのは「同期」です。同期は私的にも政治的にも重要な関係でした。もちろん自分の同期を全て覚える人はいません。筆者だって故郷のクラスメイト全員の顔と名前を今では、ほとんど忘れています。

 

同年小録(書物・書類)

 

科挙では合格した受験生にある冊子が配られていました。それは「同年小録」と呼ばれるものです。現代で例えるのなら卒業アルバム。その年の科挙に合格した人物の名前だけではなく、家族構成などの個人情報が記されていたのです。科挙の繋がりは非常に大事であり政治的関係にまで発展していました。もしある人物が宰相となった時に自分と同年だった人物をグループに派閥に引き込むために使っていたようです。

 

また、「私とあなたは科挙の合格が同年です。しかし最近、金銭で苦しんでいます。助けてください」と科挙の繋がりを利用した詐欺もあったので、それを調べるために使っていました。こんな話が残っています。

 

寇準

 

北宋初期に寇準(こうじゅん)という宰相がいました。彼は客の来訪があった場合、必ず同年小録を提出させて自分と同期の合格者か確認していました。もし同期であり、相手が年長者だった時は序列に関係無く上座に案内していたようです。すでに名前も顔も忘れた人物を思い出すのに同年小録が有効活用されていたのが分かります。

 

また、科挙では若くてトップクラスの成績で合格しても、同期に年長者がいた場合はその人に対して敬意を表さなければいけなかったのです。寇準は19歳の若さで科挙に合格した秀才でしたが、年長者を敬うことは忘れていなかったのでしょう。

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が3回に渡る科挙特集でした。長きにわたる科挙特集は1度ここで幕をおろします。科挙はこの程度では語ったとはいえません。1960年~1970年代の科挙研究は試験概要をピックアップした内容が多かったのですけど、1980年代から日本の中国史学会では人間の人的交流・地域社会についての研究が進められていき、科挙研究もそれをもとに一段階アップします。

 

科挙で繋がった人々が一緒の政治路線を歩むのか、それとも別の道を歩むのか研究は様々です。ところで、官僚の彼らはどのような道を歩んでいくのでしょうか?それについては今後の研究を期待します。

 

※参考文献

・村上哲見『科挙の話 試験制度と文人官僚』(初出1980年 後に講談社学術文庫 2000年)

・山口智哉「宋代『同年小録』考-『書かれたもの』による共同意識の形成―」(『中国 社会と文化』17 2002年)

 

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※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。科挙合格後の宴会に参加したいという人は、ぜひコメントを送ってください。

 

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科挙の歴史

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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