杉本京太のタイプライターが斬新!1915年6月12日特許取得までの道のり

2020年6月12日


 

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kawauso

 

kawausoは45歳のオッサンですが、タイプライターを実際に使った事はありません。しかし、高校が商業科だった事もあり簿記教室(ぼききょうしつ)の片隅で(ほこり)を被っていたタイプライターを見た事があり、面白半分でタイプキーを複数同時に押して(こわ)したりしてました。

 

タイプライターを開発する杉本京太氏

 

そんな邦文(ほうぶん)タイプライターを発明したのが杉本京太(すぎもときょうた)という人物で、なんと日本の十大発明家に選ばれているのです。今回は、杉本京太とタイプライターについて解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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杉本京太は明治15年岡山県に生まれる

 

杉本京太は明治15年(1882年)岡山県に生まれました。17歳で通信技術者を志して、大阪電信技術者養成緒所に入り、明治33年に同養成所を終了しました。当時、欧米諸国にはすでにタイプライターが出現していて、拡大していた文書作成業務のニーズに応えていました。

 

明治政府でも、これに(なら)い手書きからタイプライターへ移行しようと考えたのですが、ここに漢字文化とアルファベットの違いが立ち塞がります。

 

アルファベット26文字といくつかの記号を盤面に並べて打刻する西洋のタイプライターは、漢字を膨大(ぼうだい)に使う日本の文書作成に適合しませんでした。一応、邦文のタイプライターもありましたが、盤面の制約からひらがな・カタカナがメインで活字数が少ないものだったのです。

 

大阪活版印刷所の技術主任へ

 

邦文のタイプライターを研究するには活字について研究しないといけません。そこで、杉本は1912年に30歳で大阪活版印刷所の技術主任となり、設計製図、木型組み、活版事業の指導を行います。

 

その後、大阪活版印刷研究所が改称し活版印刷改良協会として東京に移転したので、杉本もそれに従い上京、1914年には独立して邦文タイプライター開発に専念します。いよいよ、ここから杉本は邦文タイプライター開発に本腰を入れていくのです。

 

塩と人類の歴史

 

革命的発明 邦文タイプライター

内容に納得がいかないkawauso様

 

邦文タイプライター最大の問題は膨大な常用漢字を盤上に並べられない事でした。英文のタイプライターは53個のキーがあればそれで成立しますが、邦文では五十音を並べるだけでそれを越えてしまいます。さらに、漢字となると常用漢字数で2136文字もあり、素人考えでもこれだけのキーが盤上に並んだタイプは使えなさそうです。

 

そこで、杉本は画期的なアイデアを産み出します。杉本は文字盤にキーを並べるのではなく、独自の配列で文字庫に並べた2400文字の活字盤をタイプライターの下に配置、これをタイピストが前後左右に稼働(かどう)するバーで選択し、一本のタイプバーでつまみ上げ円筒(えんとう)に巻かれた紙に向かって打刻するというアイデアを採用したのです。

 

これならキーの構造を複雑にする事なく2400文字の常用漢字をタイピストが一つ、一つ選んで打刻できます。杉本は、1915年 邦文タイプライターを発明。1915年6月12日に「特許第27877号タイプライター」を取得して、大々的に売り出しました。この時のタイプライターは1台定価180円で現在の価格では103,320円とノートパソコン並みの値段ですが、常用漢字も使える邦文タイプライターとして、官公庁から民間の商社へと普及していきました。

 

しぶとく生き残り続けたタイプライター

実は龐統は仕事ができすぎて驚く張飛

 

邦文のタイプライターはその後半世紀以上も使用されましたが、考えながら書く事には不向きなのと打刻する音が大きくうるさい、そして打刻すると修正が難しいという欠点があり、1980年代から普及し始めたワープロに押され急速に姿を消していきました。

 

しかし、すぐにタイプライターが消えてしまったのではなく、少なくとも1999年の5月までは、しぶとく生産が続いていたそうです。面白い事にタイプライターを駆逐したワープロも今度はパソコンに押され、タイプライターの製造中止から4年後の2003年9月には生産終了になって、こちらは目にする事もなくなりました。

 

今でも邦文タイプが使われている場所とは?

 

さて、生産は終了したものの、タイプライターは役所のあるセクションでは現役で活動しています。それは戸籍を管理するセクションです。実は古い戸籍には間違った漢字や、現在の戸籍の統一文字56000文字に含まれない特殊な漢字を使用して登録しているものがあり、その総数102万字もあるそうです。

 

もちろん、それらの漢字のほとんどは、パソコンの文字変換で出す事が出来ませんので電子戸籍化する事が出来ず、タイプライターで紙に印字して修正するしか方法がありません。

 

中には戸籍の古い漢字に愛着を持つ人がいて、統一文字に直さない事も多いので、そういう人がいる限りは、タイプライターそのものは無くならないで残り続けていくでしょうね。

 

現在、私達が当たり前に使用しているパソコンのキーボードにしても、現在は、スマホで文字を打つ世代が増えて、キーボードに触った事がないという人もいるくらいですから、そんな世代が増加するとキーボードも滅びてしまうかも知れません。そうなっても戸籍係では、邦文タイプライターが残り続けるわけですから、タイプライターって本当に長寿命ですね。

 

kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

杉本京太が産み出した文字庫を利用したタイプバーのつまみ上げ打刻方式は、おそらく印刷屋の文字拾いからのヒントではないかと思います。過去の新聞製作では、鉛で造った文字を一文字づつ文章に合わせて並べ、文字組みをしていたからです。出版業界にいた杉本は文字拾いの様子から、文字庫に並べた活字をタイプバーでつまんで打刻する邦文タイプライターを産み出したのでしょう。邦文タイプで、日本の文書処理能力を大きく促進させた杉本京太が十大発明家に選ばれたのにも納得ですね。

 

文:kawauso

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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