世界史で習う大航海時代、コロンブスやマゼランというような冒険家の名前や世界一周、南北アメリカの発見などで記憶している方も多いと思います。でも、大航海時代の目的となると、香辛料や黄金を求めて以外には怪しくなる人も多いのでは?
そこで今回は、大航海時代について面白く分かりやすく解説します。
この記事の目次
大航海時代前史
11世紀の後半、セルジューク朝トルコがパレスチナを占領します。その脅威を受けて、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスは聖地回復を大義名分にローマ教皇ウルバヌス2世に支援を求めました。
教皇ウルバヌスは東方教会への影響力拡大を目論み支援を快諾、欧州全域に十字軍の結成を呼びかけます。これに応え、王侯貴族はイスラムの領土や富の収奪、さらに交易が盛んな文化国家東ローマへ食い込もうという動機から一般市民はある者は戦争で一山当てようと、ある者は宗教的な熱狂から十字軍に参加し、1096年に聖戦の名のもとに進撃します。
戦いは序盤は上手く行き、利害対立で抗争を繰り返してたイスラム諸国を撃破し、パレスチナとその周辺に複数のキリスト強国を建設しました。しかし、上手く行けば行ったで寄せ集めの十字軍も諸侯間で主導権争いが起き、ローマ教皇と東ローマ帝国との対立が深まり迷走。
内ゲバの中で当初の宗教的な熱狂は消え失せて、1291年には十字軍は最後の拠点のアッコンを失い地中海に追い落とされたのです。
ところが宗教戦争は一面で東西の活発な経済交流を産み、ヨーロッパからは、鉱物資源や毛織物が、イスラムからは香辛料や絹が今まで以上に東西間で交易されるようになります。
経済の活性化により、ヨーロッパとオリエントの中間に位置する東ローマ帝国やイタリア諸都市国家の経済成長が顕著になり、特にイタリアで東ローマ帝国が保存していた古代ギリシャ哲学・科学、イスラムからは世界最高水準の文化・科学が紹介されます。
十字軍の失敗で教皇の権威も落ちた事から、宗教への懐疑も生まれ、ここからイタリアを中心にルネサンス文化が花開くのです。
それはオスマン帝国の台頭から始まる
ユーラシア大陸では、13世紀初頭からモンゴル帝国が力を伸ばし東アジアからロシア、中東、東欧までに勢力を拡大しました。モンゴルは宗教、民族に寛容であり、パックスモンゴリアの中、イタリアやイスラムの商人がユーラシア大陸を自由に横断するグローバル社会が出現します。
しかし、15世紀に入るとモンゴル帝国は衰退し、代わって強力な官僚機構と軍事機構をもったオスマン帝国が台頭してきます。オスマン帝国は、1453年東ローマ帝国を滅ぼし、プレヴェザの海戦でイタリア諸都市国家の連合艦隊に勝利して地中海の制海権を獲得しました。
ユーラシアの東西の中間に楔を打つオスマン朝は、地中海交易を支配し高い関税をかけて貿易を独占。アジアからの商品をバカ高い値段で買う事になったヨーロッパ諸国は、オスマン帝国を介しない方向での東西交易を模索し始めたのです。
これが、大航海時代のはじまりでした。
海に飛び出したスペインとポルトガル
大航海時代のスタートはイベリア半島にあるスペインとポルトガルから始まります。これはどうしてなのでしょうか?
箇条書きにすると、以下のような4つの要因があります。
①地中海貿易からも北海・バルト貿易からも恩恵が薄く、交易路を求めるなら西アフリカか、大西洋に進出するしかなかった。
②地中海貿易を独占するヴェネチア商人に対抗しジェノバ商人が、両国の西アフリカ進出を資金援助を提案した。
③キャラックやキャラベルのような外洋に出れる船が開発され、羅針盤もイスラムから伝来し外洋進出が可能になった。
④イスラム支配を覆す中で民族主義が沸騰し、国王を中心とした中央集権制が欧州諸国に先駆けて確立した。
スペインとポルトガルでは大航海時代に乗り出す為に必要不可欠な4つの要素が揃っていたのです。
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