権力が不安定な三国時代においては、
総大将の親征はリスクが高い官僚化が進んだ魏でさえ、曹操が漢中に親征するや、反乱の連続だった。
では、呉ではどうなるかと言えば、守備を任される張昭が不安を口にした
以下は正史三国志甘寧伝
(中略)黄祖の軍を破られた上で、隊伍を整えて西方に向かい、
西方の楚関を占拠されますならば、味方に有利な状況はさらに展開して、
やがて巴蜀の地の奪取も可能になるので御座います。孫権は、この意見に深くうなづいた。
張昭は、この時同席していたのであるが、これに反論して言った。
「呉のまちにおいても未だ人心は安定しておらず、
もし、軍が本当に西に向かったら、きっと反乱がおこるでありましょう。
甘寧は張昭に言った
「陛下はあなたに、蕭何(しょうか)と同じ任を付託しているのに、
あなたが留守を任されながら、反乱を心配するようでは、古人と同様の勲功を立てたいと、
望んでおられる事と矛盾するではありませんか?」
多分、孫権が親征する前提での張昭の発言だけど、曹操の事例を鑑みるに、
1ヶ月も2カ月も建業を留守にしたら、きっと反乱がおきるだろうな…これは、張昭が正しいと思う。
あと、孫権は戦が下手なので出ない方が賢明。
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