孫堅が若い頃、銭唐で海賊の胡玉が商人から奪った商品を山分けしているのに遭遇し、官憲の素振りを見せて、逃げた賊を追い、1人の首を獲った話は有名だ。ところで、この銭唐は銭唐江という杭州湾からの海水が流れ込む場所になっていて、古くから港湾が発達していたらしい。
杭州は、南宋の時代には都の臨安があり当時の世界最大の港湾都市だった。そんなわけで商業が盛んなら、当然、海賊業も盛んでその後の銭唐にも海賊が出た。
以下は正史三国志、周魴伝
周魴(しゅうほう)は字を子魚と言い、呉郡陽羨の人である。若い頃から学問を好み、孝廉に推挙され寧国県の長となり、後に転じて懐安を治めた。銭唐一帯に勢力を張る大頭目の彭式(ほうしき)等が、多数の人を集めて略奪を働くと、周魴は、銭唐侯の相に任ぜられ、一カ月の間に彭式以下、一味の首を獲った。
孫堅も海賊に官憲の手先と見せかける演技派だったが、周魴も、曹休を完全に騙す為に、頭まで剃る体当たり演技を披露して石亭で曹休軍を撃破している。