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有能過ぎる魯粛
ある会議では、降伏派が勢いを以て孫権を説得している時に、魯粛は、何も言わずに黙って聞いていましたが、孫権がトイレに立つとすかさず、その後を追って説得しています。
魯粛:「殿、よくお考え下さい、、降伏派は呉が魏に併合されても曹操の家臣として活躍できましょうが、殿はそうはいきません。常に反乱を疑われて、いつかは誅殺されましょう。曹操に降伏するのは殿には割があいませんぞ」
孫権は、用を足しながらそれを聴いて、
孫権:「魯粛、実は余もそう思っていた、何も言わなかったが、正直降伏を主張する連中には失望しておった」
とポロっと本心を打ち明けたのです。
孫権の本音を聞いた魯粛は勇気100倍
魯粛は、孫権の本心を聴いて勇気100倍になり、降伏派の張昭達を打ち負かす自信を得たのです。赤壁の戦いの後は、劉備と荊州の領有を巡って呉は関係がギクシャクします。西暦214年に、劉備が益州を併合すると、孫権は、「約束通り、荊州を返してくれ」と劉備に言いますが、劉備は拒否しました。
怒った孫権は、呂蒙に兵を与えて、桂陽、長沙、零陵を奪還するように命令を出しました。
劉備も関羽を派遣して、荊州を守るように兵を出します。一触即発のこの時に、魯粛は関羽に使者を送り、それぞれの兵力を100里下げて、武器を持たずに話会おうと持ち掛けます。
呉と蜀が争うと笑うのはこの人
今、呉と争うのは得策ではないと思っていた関羽も提案にのり、魯粛は、関羽と激論を戦わせて反対派を怒鳴りつけて、一歩も引かず、ついに、荊州の南部である、桂陽と長沙二郡を関羽に無血で割譲させました。演義のお人よしの魯粛とは似てもにつかない豪胆ぶりです。
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孔明からも信頼されていた魯粛
あの関羽から譲歩を引き出すとは、猛将でも難しいでしょう。
魯粛は217年に、46歳の若さで死去します、孫権は人目もはばからず慟哭し、孔明も知らせを聴いて悲しみ、個人的に喪に服したと言われます。