皆さんは正史三国志にも親しみのことと思います。ここで最近の筆者の個人的な正史の楽しみ方に、伝の名前を見比べる、というものがあります。
正史を見た方ならばご存知のように、伝と言っても誰か一人ということは珍しく、蜀書なら「関張馬黄趙伝」という風に関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲が一つにまとめられ、そこから五人夫々の伝を見ていくことになりますね。
この乗っている人物たちを見比べたりすると新たな発見があったりなかったりするのですが……今回は、その中でもちょっと謎な董襲についてお話したいと思います。
この記事の目次
董襲は呉の猛将グループのカテゴリー
まずは少し、伝についてのお話です。前述したように、伝には幾人かの人物がまとめてある場合が多いです。例外として陸遜や諸葛亮など、単独で伝が立てられている人もいますが、彼らはまた別格ということでしょう。
そして今回の董襲伝は「程黄韓蔣周陳董甘凌徐潘丁伝」という伝の中の一つです。
伝の文字から分かるように、こちらには程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統・徐盛・潘璋・丁奉らがまとめられています。なお、陳武伝には彼の息子である陳脩、陳表の話もまとめられているのもお忘れなく。
董襲の手前、陳武のお話
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孫策に登用されて活躍
では董襲のお話を。董襲は字は元代、会稽郡の出身であり、身長が自販機と殆ど同じくらいという立派な体格の人物でした。
※自販機は大体183㎝です。
武勇に優れていた董襲は孫策が会稽を訪れた際に謁見し、その優秀さ、立派さを見抜いた孫策はすぐに董襲を用いることを決めたそうです。これから孫策の下で活躍した……所で、話は孫策の死後に飛びます。
孫策のマブダチ太史慈
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3代目孫権を支える堂々とした態度
孫策の死後、後継者は孫権になりました。しかしまだまだ年若い孫権を心配したのが、母親の呉夫人。彼女は張昭や董襲たちを呼び出し、相談しました。
これを受けた董襲は「江東の地勢は固く、、孫策様が民衆に恩義を施していたので、孫権様はそれを受け継ぎ、張昭殿が万事を統率し、我らはその牙や爪となって働きます。地の利も人の和も我らにあるのです、心配することなどありません」
この頼もしい言葉に、呉夫人も皆も安心したと言います。
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入江を封鎖していた黄祖の大船の綱を切り連環を解く
それからも賊退治などで活躍しますが、董襲の向かうところ敵なしでした。そして因縁の黄祖討伐、この頃には偏将軍となっていた董襲ですが、黄祖は中々の敵でした。
攻めあぐねる孫権軍、ここで董襲は凌統と突撃。黄祖の陣にあった大型船の縄を絶ち、見事黄祖を打ち破りました。孫権はこれに大喜びし、その後の酒宴では自ら董襲に酌をしながら「董襲がいたから黄祖に勝てた」と喜んだと言います。
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