中国歴史小説に詳しい人なら、伴野朗(1936~2004)
という名前を知らないという人は少ないと思います。
太陽王・武帝や、驃騎将軍の死、国士無双のような中国古代歴史小説から、
落陽曠野に燃ゆ、毛沢東暗殺、マッカーサーの陰謀のような近現代小説。
そして、孫策の死や、三国志孔明死せず、呉・三国志長江燃ゆなど、オールドな
三国志ファンは、その著作を一度は読んだであろうという人気作家でした。
しかし、だがしかしです、事実は小説より奇なり、伴野朗は、自身の作品の
為にとんでもないドラマを引き起こす事になります。
この記事の目次
切っ掛けは、伴野の小説、落陽曠野に燃ゆ
1989年、伴野朗は、旧満州を舞台にした歴史スペクタクル小説を書きます。
それが、馬賊、日本軍部、青幇、欧米悪徳商人が絡む戦争、
恋愛アクションである落陽曠野に燃ゆでした。
1992年、創立80周年を迎えたにっかつは、その80周年に相応しい、
歴史大作を撮ろうと、原作を探し、伴野朗の小説に行き着きます。
戦争、恋愛、裏切り、情熱、複雑な要素が絡み合った、伴野の小説は、
にっかつ経営陣の目に適い、「落陽曠野に燃ゆ」は映画化される事になります。
素晴らしく豪華な出演者・・なのに?
にっかつは、バブルの最晩年のこの年、威信を掛けて50億という
巨額を映画「落陽」に注ぎこみます。
映画音楽、モーリス・ゴジャール、アメリカ女優、ダイアン・レイン、
香港のアクション俳優、ユン・ピョウ、ドナルド・サザーランド、
日本からも宍戸錠や、中村梅之助、立川談志、映画評論家、水野晴郎や
タレント、桐島かれん、等々、錚々たる面々を集めました。
「構想5年、撮影3年、製作費50億、92年日本映画界の話題を
総嘗めにした超大作スぺクタルアクション」
だれもが、落陽は素晴らしい映画になると信じて疑いませんでした。
にっかつが、とんでもない大失敗をしてしまうまでは・・
なんで?どうして?監督が伴野朗
映画も役者も全て完璧、しかし、にっかつが発表した監督に
関係者は騒然となりました。
落陽の監督、伴野朗・・・・
そうです、原作である伴野朗が、そのまま50億円をつぎ込んだ
歴史スペクタクル巨編の監督になってしまったのです。
もちろん、伴野朗に監督の経験などあろう筈がありません。
全くの素人がいきなり、にっかつの命運を懸けた超大作の監督に指名されたのです。
伴野とにっかつの間にどんな交渉があったかは知りませんが、
映画は監督を交代する事なく、そのまま撮影されつづけました。
赤壁並みの大失敗でまさかの展開に・・
落陽は、主人公である元、帝国陸軍将校、賀屋達馬が
上司である関東軍参謀石原莞爾の密命により
満洲事変を引き起こして満洲の土地に五族協和のユートピアを造る為、
アヘンの密売や銀行強盗などの危険な仕事に手を染めながら活動資金を集めていくという
ハードアクションを縦糸に、歌姫兼馬賊の頭目でもある張連紅と賀屋との
すれ違いながらも惹かれあう恋愛模様を横糸にしていました。
ですが実際の映画では、賀屋と連紅の恋愛エピソードは殆ど出てこず、
裏切りや駆け引きという場面が、脈絡なく膨大な量の登場人物と共に
右から左に流れていくだけ・・
映画を観た人は原作を知らない限りは、賀屋と連紅が恋仲だったという事さえ
気が付かないという有様でした。
なんでこんな事に?
どうしてこうなったのか?それは伴野朗が原作のエピソードを出来るだけ盛り込もうと
150分の映画の尺の中に、ぎゅうぎゅうに内容を詰めたからです。
映画は省略の芸術なので、小説を映画にする時は、原作の核を残して
無関係な人物や逸話はカットしてしまいます。
そうする事でメインの物語を印象づける手法なのです。
皆さんも原作つきの映画を見て経験したと思いますが
小説が原作の映画だと小説での登場人物が削除されたり、
二人の人物が一人にされたり、或いは原作とは性格が違うキャラにされます。
そうする事で小説よりもずっと短い映画をスピーディーで
テンポ良くするのですが、伴野朗は原作者だけにそれが出来ず
数分後ごとに脈絡なく様々なドラマが展開する
極めて忙しい映画を造ってしまいました。
小説なら、戻って登場人物の関係を把握できますが映画はそうはいきません。
観客は、ひたすら銀幕の上で展開される怒涛のドラマを
理解できる出来ないに関係なく見せられ続けたのでした。
落陽は、にっかつ映画史上に残る大不評で、
上映も打ち切りが決定してしまったのです。
にっかつ落陽の失敗で本当に落陽してしまう
落陽には、ドラマは生まれませんでしたが、現実世界ではドラマが生まれました。
バブル期の放漫経営と社運を懸けた落陽の記録的不振でにっかつは巨額の負債を
抱えて倒産し会社更生法を申請したのです。
落陽は、にっかつ80周年を祝うどころかトドメを刺す役割をしてしまいました。
もちろん、この失敗の責任を伴野朗に背負わせるのは酷というもので、
小説家と映画監督を混同してしまった、にっかつの責任が大きいとは思いますが・・
三国志ライターkawausoの独り言
中国歴史小説の大家として、三国志関連の書籍、というより晩年は
三国志の人というイメージが強かった伴野朗・・
それが、まさか50億円の映画の監督に指名されてしまうとは、、
そして、にっかつにトドメを刺してしまうとは・・
人生って、どんな落とし穴があるか分かりません。
「いやあ、、映画って本当に恐ろしいものですねェ・・」 水野晴郎風