正史の張郃(ちょうこう)ってどんな人?劉備や孔明も恐れた魏の猛将

2015年10月6日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

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基礎知識 馬謖04 張コウ

 

張郃(ちょうこう)は、魏の五大将軍では損な役回りです。史実で張飛(ちょうひ)に敗れた事をネタに演義では突然賢くなった張飛に翻弄されて逃げ回り、漢中争奪戦では出る度に孔明(こうめい)の計略の前に負け続けて、魏の幕僚からも呆れられるというような咬ませ犬の扱いに甘んじています。

張コウ(張郃)を極端に恐れる劉備

 

しかし、それは演義の蜀アゲ、孔明アゲの虚構であり魏将の中でも張郃ほどに蜀に恐れられた名将はいなかったのです。

 

長い長い張郃の戦歴、黄巾賊討伐から参加

暴れる黄巾党008

張郃、字は儁乂(しゅんがい)は冀州(きしゅう)河間郡(かかんぐん)鄚(ばく)県の人です、生年は不詳ですが西暦231年まで生きました。しかし黄巾賊征伐の義勇兵から出発している事から西暦184年で20歳としても164年生まれですから、最低でも67歳位までは生きた事になります。早くから武勇で名を挙げた張郃は、最初、冀州を支配していた韓馥の配下になります。

 

群雄とは思えない意気地なし韓馥(かんぷく)に愛想を尽かす

袁紹VS公孫-

この韓馥ですが乱世の人物として産まれたのが可哀想な位の意気地なしでした。元々、汝南袁家に仕えていた韓馥は、袁紹(えんしょう)が大の苦手でした。そこに目を付けた袁紹が武力を背景に「俺が代わりに公孫瓚を倒してやるから冀州を俺に寄こせ」と恫喝すると、それに逆らえず、一戦もしないで冀州を与えてしまいます。

 

戦争をせずに宴会ばかりしている韓馥

 

その時点では韓馥の力が上なのに、袁紹と公孫瓚(こうそんさん)が怖い韓馥は、部下の反対を押し切って袁紹の配下になってしまったのです。韓馥の意気地無しぶりに呆れた、部下は一部を除いて袁紹につきます。張郃も、この時に韓馥に愛想を尽かします。

被害妄想で怯える韓馥

 

ちなみに韓馥は、袁紹の配下になったものの、「いつか殺されるのでは」と怯え張邈(ちょうばく)を頼り逃亡その後、袁紹の使者が張邈を尋ねると、「自分を捕えに来た」と勘違いして、トイレに行き首を吊って自殺しました。産まれた時代が悪かったとしか言いようがない最後でした。

 

張郃、公孫瓚との戦いで手柄を立て、寧国(ねいこく)中郎(ちょうろう)将に

曹操VS袁紹ありゾウ

 

袁紹の配下になった張郃は、その武勇を遺憾なく発揮して、公孫瓚を滅亡させるのにおおきな貢献をし、袁紹は張郃を寧国中郎将に任命しました。西暦200年、袁紹が圧倒的な大軍を擁して、献帝を抑える曹操(そうそう)と天下分け目の官渡の戦いに突入すると、張郃は「曹操と正面から戦う必要などありません、軽騎兵を南方に配置して敵軍を攪乱し情報が許昌に届かないようにすれば、曹操は敗走しましょう」と進言します。

 

ですが、白馬、延津の戦いで敗戦してプライドが傷ついている袁紹は、大軍で、劣勢の曹操を踏みつぶして、ちっちゃい曹操をさらにぺしゃんこにするという作戦にこだわり張郃の進言を無視しました。

 

張郃の進言が通っていれば、曹操は撤退していた?

荀彧に手紙を書く曹操

 

官渡城で籠城していた曹操が食糧の乏しさから不安になり退却をほのめかす手紙を書いて荀彧(じゅんいく)に叱られた逸話はとても有名です。

曹操を励ます荀彧

 

もし、袁紹が張郃の作戦を採用していれば、曹操の手紙も荀彧の手紙も届く事はなく弱気になった曹操は退却し官渡の戦いは袁紹の勝利だったかも知れません。

張郃、烏巣を救援するように進言するも郭図が反対する

曹操躍進

官渡の戦いが膠着状態になった頃、袁紹軍の許攸(きょゆう)の投降で烏巣に袁紹軍の食糧が積まれている事を知った曹操は、手勢を率いて烏巣を襲撃します。その情報を知った張郃は、ただちに精鋭の騎兵で烏巣を救援すべしと袁紹に進言します。ところが、これに同僚の郭図(かくと)が猛反対します。郭図「烏巣は淳于瓊(じゅんうけい)が守っているので持ち堪える、むしろ、この隙に曹操の本陣に総攻撃を仕掛けるべし」

 

 

張郃「ばかな!曹操の本陣は、そう簡単には落ちない。それより烏巣を救うべきだ、食糧を焼かれてはどうにもならぬ!」

 

優柔不断な袁紹は、どちらの意見も聞き、軍を二手に分けて、軽装の騎兵を烏巣に、重装備の歩兵を曹操の本陣に向けるという作戦を執りました。

 

そして、何故か曹操の本陣攻めに反対していた張郃に曹操の本陣攻撃を命じます。張郃は、部下の気持ちを汲めない袁紹の決断力の無さに呆れます。

 

事態は張郃の予想通りの最悪のパターンを辿り曹操は烏巣の食糧庫を焼き払い、張郃の必死の戦いでも曹操の本陣はおちませんでした。

 

張郃「終わった、、もう何もかもおしまいだ!!」

 

敗北を悟った張郃は、同僚の高覧(こうらん)と共に曹操に降伏しました。

 

曹操、降伏した張郃をヨイショ(笑)

曹操 ほめ上手

最初、張郃の降伏を曹洪(そうこう)は信じず、城門を開けませんでしたが、袁紹軍の情報を察知していた荀攸(じゅんゆう)が、「張郃は自策が入れられず、袁紹を見限ったのだ」と説明したので、ようやく降伏が受け入れられました。

 

曹操に仕える張コウ(張郃)

 

曹操は、張郃の降伏を喜び、また得意のヨイショをします。

 

「伍子胥(ごししょ)は自分が誤った君主に仕えたことに気がつくのが遅かったのであのような悲劇の最期を迎えた。君が私に降伏したのは微子啓(びしけい)が殷を裏切り周に仕え、韓信(かんしん)が項羽(こうう)の下を去って劉邦(りゅうほう)に仕えたような真っ当な行動だ恥じる事は何も無い!」

 

張コウ(張郃)が曹操軍配下に加わり喜ぶ曹操

 

ろくでもない君主に仕えて、悲劇の運命を迎える位なら有徳な君主(曹操の事ね)に仕える方が正しい行動だと曹操は過去の歴史を引いて諭したのです。でもなんだかんだで、最後は自分を持ち上げる自分大好き人間曹操です。(笑)

 

張郃、曹操軍の将軍として大活躍をする

馬超 許褚

 

曹操の配下になった張郃は、古巣だった袁紹の息子、袁譚(えんたん)を攻撃し撃破、袁紹軍の本拠地であった鄴を奪取します。207年には、苦難の行軍を乗り越えて、烏桓(うかん)攻めを張遼(ちょうりょう)との二枚看板で行い手柄を立て、208年の荊州征伐では、張郃は于禁(うきん)、張遼、朱霊(しゅれい)、李典(りてん)、路招(じしょう)、馮楷(ふうかい)の六将軍と共に、章陵太守・都督護軍(ととくごぐん)の趙儼(ちょうげん)の指揮下に入っています。この頃には、魏軍の主力メンバーとして活躍していた事が分かります。

 

馬超

 

西暦211年には、潼関(どうかん)の戦いで馬超(ばちょう)や韓遂(かんすい)と戦いこれを撃破しています。この戦いで曹操が馬超の騎兵に急襲されて危うく討たれそうになった時は、椅子に座り、結構のんきしていた曹操を捕まえて船に放り投げ脱出させるという大手柄を立てます。曹操は、船では許褚(きょちょ)に守られながら、戦場を離脱しました。

 

漢中では、張飛(ちょうひ)に敗れるも、夏候淵の死後に全軍のまとめ役に

張飛VS張郃

 

漢中攻略戦では、張魯(ちょうろ)を降して漢中を支配した後、巴東、巴西の二郡を下し、その住民を漢中に移動させていましたが、その途中で張飛と交戦して、長く伸びた兵力を分断されて敗れるという手痛い敗北を喫します。

 

黄忠VS夏侯淵

 

蜀軍は地の利と名軍師法正(ほうせい)の献策を入れて順調に漢中を制圧して、定軍山では、老将黄忠(こうちゅう)が夏候淵(かこうえん)を討ち取るという大勝利を得ます。しかし、劉備は張郃の首を取れなかったと聞くとがっかりしたと言われます。猛将、夏候淵より劉備は張郃を恐れていたのです。

 

魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

 

一方、総大将である夏候淵を失った魏軍も動揺していました。この時に、夏候淵の副官の郭淮(かくわい)は「今の魏軍をまとめられるのは、敵将劉備さえも恐れている張郃将軍をおいて他にはいない」として、張郃を臨時の総大将に推しています。

 

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の北伐でも司馬懿と共に活躍

司馬懿

 

張郃は、曹操の死後も曹丕(そうひ)、そして曹叡(そうえい)にまで仕えました。呉と蜀と国境が重なる戦略の要衝である荊州を司馬懿(しばい)と共に守備しつつ蜀呉の攻撃に備えました。

 

手柄を立てる張コウ(張郃)

 

第四次の北伐である祁山(ぎざん)の戦いでは蜀軍が祁山を包囲、魏軍は、祁山を解放すべく司馬懿の軍が諸葛亮を追い、張郃が王平(おうへい)を追撃してそれぞれ失敗しています。

 

ところが、間もなく蜀軍は食糧不足から撤退を開始、それをチャンスと見た張郃は、蜀軍を追撃しますが、木門(もくもん)という所で蜀軍が迎撃に転じて交戦状態になり、その時に流れ矢が右ヒザに刺さり戦死します。曹叡は、壮侯と諡号して、歴戦の勇者の死をことのほか悲しんだそうです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

長い戦歴を誇る張郃は勝ち戦が多いのですが、一方では張飛に敗れるなど敗北のケースもあります。が、張飛のケースでは、住民を漢中に移している間の出来事であるなど戦争に集中できない場面での敗戦になっていて、本来であれば張飛にもひけはとらなかったでしょう。張郃の戦略は変幻自在であり、状況や地形を考慮して作戦を立てて、失敗した事はないと言われる程に強力でした。劉備や孔明までが張郃を恐れていたという事実は、ただの猪武者ではない張郃の凄さを物語っていると言えます。今日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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