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三国時代やキングダムの時代にもお風呂はあったの?

2015年11月6日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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晋代以降は水に溶かす粉末洗剤も存在

 

ほかに、晋代以降には生薬や香料を調合した「澡豆」という水に溶かすタイプの粉末洗剤もありましたが、一部の貴族宅で使われていただけのようで、よく分からずに備えつけの水に入れて飲んでしまったなんて笑い話が『世説新語』や『酉陽雑俎続集』という書物に残っています。また『顔氏家訓』によると、梁代には髪に艶が出ると言って鶏卵白を使った人もいたようです。トリートメントの先駆けですね。

 

厄介なのが洗髪

 

厄介なのは沐(洗髪)です。古代は男女とも基本的に長髪。もちろんドライヤーなどないので自然乾燥です。手間も時間もかかる上、乾くまで髷が結えず、人前では憚られる姿で過ごすことになります。

 

『荘子』には、濡れ髪を蓑のように垂らして乾かしていた老子を見た孔子の「化け物かと思った」というコメントが残っており、『世説新語』には、王恬が来客時にも関わらず髪を洗い、ザンバラに吹き晒した状態で一切応対しなかったという逸話が残っています。

 

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5日に1度は自宅に帰れた、その理由とは

 

それでも「政治は沐と同じである。たとえ数本の毛を犠牲にしても髪全体の育成のためには必要なことだ(=失うものより得るものの方が大きい)」とことわざになるほど洗髪は推奨されていました。特に男性は冠や巾(バンダナ)をしていたので頭が蒸れやすく、すぐに脂が溜まりフケや虱の原因になったことでしょう。『漢書』には「臣下が天子に会う時は沐浴すべし」という科白が見えますので、身嗜みであったことは間違いありません。

 

そのためか、特に漢代以降になると官吏には「休沐」や「洗沐」といって、5日に一度、沐浴を名目とした休暇が身分問わず与えられました。当時の役人は役所に寝泊まりが基本でしたが、この日だけは自宅に帰ることができました。

 

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三国志ライター楽凡の独り言

baienfu

 

ただしここで紹介したのは恐らく一定水準以上の家庭における話で、庶民の状況はまた少し違ったかもしれません。また時代も違えば気候や環境の条件も違いますから、当時の沐浴の習慣が適当だったかや人々の清潔感覚は、現代人の価値観から判断することはできません。

 

現に風呂好きと思われている日本人も、時代を遡れば状況はさほど変わりませんでした。しかしこれらの習慣が綿々と受け継がれて今があると思うと、なかなか感慨深いものです。古代人の気分を味わいたい方はとぎ汁シャンプーにぜひトライしてみて下さい。

 

 

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楽凡

HN: 楽凡 自己紹介: 歴史専攻は昔の話、今は漢文で妄想するのが得意なただのOLです。 何か一言: タイムマシンが欲しいけど発明されたくない葛藤。

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