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晋代以降は水に溶かす粉末洗剤も存在
ほかに、晋代以降には生薬や香料を調合した「澡豆」という水に溶かすタイプの粉末洗剤もありましたが、一部の貴族宅で使われていただけのようで、よく分からずに備えつけの水に入れて飲んでしまったなんて笑い話が『世説新語』や『酉陽雑俎続集』という書物に残っています。また『顔氏家訓』によると、梁代には髪に艶が出ると言って鶏卵白を使った人もいたようです。トリートメントの先駆けですね。
厄介なのが洗髪
厄介なのは沐(洗髪)です。古代は男女とも基本的に長髪。もちろんドライヤーなどないので自然乾燥です。手間も時間もかかる上、乾くまで髷が結えず、人前では憚られる姿で過ごすことになります。
『荘子』には、濡れ髪を蓑のように垂らして乾かしていた老子を見た孔子の「化け物かと思った」というコメントが残っており、『世説新語』には、王恬が来客時にも関わらず髪を洗い、ザンバラに吹き晒した状態で一切応対しなかったという逸話が残っています。
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5日に1度は自宅に帰れた、その理由とは
それでも「政治は沐と同じである。たとえ数本の毛を犠牲にしても髪全体の育成のためには必要なことだ(=失うものより得るものの方が大きい)」とことわざになるほど洗髪は推奨されていました。特に男性は冠や巾(バンダナ)をしていたので頭が蒸れやすく、すぐに脂が溜まりフケや虱の原因になったことでしょう。『漢書』には「臣下が天子に会う時は沐浴すべし」という科白が見えますので、身嗜みであったことは間違いありません。
そのためか、特に漢代以降になると官吏には「休沐」や「洗沐」といって、5日に一度、沐浴を名目とした休暇が身分問わず与えられました。当時の役人は役所に寝泊まりが基本でしたが、この日だけは自宅に帰ることができました。
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三国志ライター楽凡の独り言
ただしここで紹介したのは恐らく一定水準以上の家庭における話で、庶民の状況はまた少し違ったかもしれません。また時代も違えば気候や環境の条件も違いますから、当時の沐浴の習慣が適当だったかや人々の清潔感覚は、現代人の価値観から判断することはできません。
現に風呂好きと思われている日本人も、時代を遡れば状況はさほど変わりませんでした。しかしこれらの習慣が綿々と受け継がれて今があると思うと、なかなか感慨深いものです。古代人の気分を味わいたい方はとぎ汁シャンプーにぜひトライしてみて下さい。