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この記事の目次
呉王夫差との亀裂
伍子胥と孫武は夫差に「殿。勾践の降伏を受け入れてはなりませんぞ。降伏を受け入れば必ず、我が国に禍根を残すことになりますぞ。」と強い口調で諫言します。しかし夫差は「勾践を降伏した方がいいですぞ」と言う側近の言葉を聞き入れ越王勾践の降伏を受け入れます。越王勾践は夫差の臣下として仕える事になり、彼の妻は夫差の後宮に入ることになります。大夫種と范蠡は越の国に帰され、自宅監禁になります。こうして父の敵(かたき)を取った夫差ですが、伍子胥との間にわずかですが亀裂が入ります。
斉へ攻め込もうとする夫差に諫言
呉王夫差は越王勾践を降した事で、後方の憂いを無くし、北方に目を向けます。夫差は北方の斉で内乱が起き、国情が乱れた事を知ると、自ら大軍を率いて出陣すると言い出します。伍子胥は会議で夫差が斉へ攻め込むと言い始めると真っ向から反対意見を述べます。伍子胥は夫差に対して「斉を攻めるよりもまず越を完全に叩きつぶすことが先決ではないでしょうか」と夫差に諫言します。しかし夫差は伍子胥の諫言を再度無視して、自ら軍勢を率いて斉へ侵攻します。
伍子胥を斉へ派遣
夫差は連年斉へ侵攻し、一定の成果を上げます。しかし連年の遠征により、呉の国力は疲弊していきます。呉軍が斉へ遠征し国力を疲弊していく中、越へ帰還した勾践は失った領地を少しずつ回復。領地を取り戻していく事で、国力を増強させていきます。そんな中呉王夫差は自らの考えが正しかったことを伍子胥に見せつけるため、彼を斉へ派遣します。伍子胥は自らの息子と共に斉へ向かいます。伍子胥は使者としての役目を終え、呉へ帰ろうとする息子に「私は呉王に何回も諫言をしてきたが、ついに聞き入れる事はなかった。我が諫言を聞き入れなかった事で、呉は滅ぶであろう。我は呉と共に滅ぶが、お前を巻き込むわけにはいかない。」と言い、息子を斉に住む友人の元へ預け、一人で呉へ帰ります。
范蠡の策略
伍子胥が斉へ向かっている間、越王勾践の軍師范蠡は越の国力を増強させ、国力回復に努めていました。また国力のみを回復させるのではなく、呉の最大の傑物である伍子胥を除くため、呉王夫差の側近に「伍子胥の悪口を呉王に言ってくれないか」と賄賂を贈って依頼します。側近は多額の賄賂をもらっていた事もあって呉王夫差に伍子胥の悪口を言い続けます。夫差は伍子胥の悪口を鵜呑みに彼を亡き者にしようと決意します。
名将へ悲劇が訪れる
伍子胥は呉に帰ると夫差に報告します。宮殿から退出し、家へ帰るとすぐに夫差の使者が訪れます。夫差の使者は伍子胥に「これで自刃せよ」と一振りの剣を渡します。伍子胥は使者からの言葉を聞き、怒りを何とか飲み込み、使者を返します。
壮絶な遺言と名将の最後
伍子胥は剣を受け取り、屋敷の庭に出ると空を仰いで「呉王よ。前王に我が進言した事で今の地位があるのを忘れたか。悪臣の意見を取り上げ、恩義がある我を自害させようというのか」と大声で叫びます。そして家臣を呼び「われの墓のそばに梓(あずさ)の木を植え呉王の墓を作れ。またわれの死後両目を東門にかけよ。呉が滅ぶさまを見たいゆえな」と遺言を残し、自害します。
三国志ライター黒田廉の独り言
伍子胥の死後、呉王夫差は斉へ侵攻した隙を越軍につかれ、首都は陥落。夫差は国に帰り、越軍と決戦しますが、敗北します。越軍に敗れてから3年後呉は滅亡し、呉王夫差は捕虜になり、処断されます。伍子胥の言う通り、斉へ侵攻せず越を滅ぼしていれば、呉は滅亡せず、戦国七雄の中に呉が入り、戦国八雄になっていたかもしれません。
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