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キングダムでお馴染みの秦の函谷関ってホントに難攻不落だった?函谷関に隠された秘密

2016年2月9日


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函谷関ってホントに難攻不落?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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李牧の真似をして、間道から函谷関を迂回した劉邦(りゅうほう)

劉邦 ヤンキー

 

さて、キングダムの李牧と同様に、険しい山間部を通り、咸陽まで到達した男もいます、それが、漢の高祖劉邦です。どうして、それで函谷関の見張りに分からなかったかというと劉邦軍は1万人足らずと軍勢が少なかったからでした。キングダムでは、この劉邦の行軍をアイデアに、李牧に隠密行動をさせて、咸陽を突かせたのでしょう。

 

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日本でも名が轟いた函谷関

 

 

この堅牢な函谷関の名前は、日本まで故事成語と共に伝わり、非常に険しい場所の代名詞になっていきます。こうして、明治時代の作曲家、滝廉太郎が着想を得て書いたのが名曲、「箱根八里」です。

 

♪箱根の山は、天下の嶮(けん)函谷関も ものならず
万丈(ばんじょう)の山、千仞(せんじん)の谷
前にそびえ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼なお暗き、杉の並木

以下略――――――――――――――――――――――

 

このように、函谷関は、21世紀の日本人の私達の耳にまで、その雄姿を伝えているのです。

 

春秋戦国ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

ちなみに箱根八里の二番には、同じく、険しい場所だった、蜀の桟道が紹介されています。

 

♪箱根の山は天下の岨(そ)
蜀の桟道(さんどう)數(かず)ならず

 

箱根の険しい山道を例えるのに、当時広く日本人に知れ渡っていた漢籍を用いて、滝廉太郎は、イメージを湧きやすくしたのですね。

 

本日も悠久の春秋戦国時代に乾杯!!

 

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