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この記事の目次
李牧の真似をして、間道から函谷関を迂回した劉邦(りゅうほう)
さて、キングダムの李牧と同様に、険しい山間部を通り、咸陽まで到達した男もいます、それが、漢の高祖劉邦です。どうして、それで函谷関の見張りに分からなかったかというと劉邦軍は1万人足らずと軍勢が少なかったからでした。キングダムでは、この劉邦の行軍をアイデアに、李牧に隠密行動をさせて、咸陽を突かせたのでしょう。
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日本でも名が轟いた函谷関
この堅牢な函谷関の名前は、日本まで故事成語と共に伝わり、非常に険しい場所の代名詞になっていきます。こうして、明治時代の作曲家、滝廉太郎が着想を得て書いたのが名曲、「箱根八里」です。
♪箱根の山は、天下の嶮(けん)函谷関も ものならず
万丈(ばんじょう)の山、千仞(せんじん)の谷
前にそびえ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼なお暗き、杉の並木
以下略――――――――――――――――――――――
このように、函谷関は、21世紀の日本人の私達の耳にまで、その雄姿を伝えているのです。
春秋戦国ライターkawausoの独り言
ちなみに箱根八里の二番には、同じく、険しい場所だった、蜀の桟道が紹介されています。
♪箱根の山は天下の岨(そ)
蜀の桟道(さんどう)數(かず)ならず
箱根の険しい山道を例えるのに、当時広く日本人に知れ渡っていた漢籍を用いて、滝廉太郎は、イメージを湧きやすくしたのですね。
本日も悠久の春秋戦国時代に乾杯!!
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