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兄に遅れる事三十年、ついに孫家に仕える
陸瑁は兄に遅れる事三十年、ついに孫家に仕える事になります。孫権は彼を迎えるため、公車(官吏を任命する時に使用する迎えの車)で彼を迎えに行きます。彼はそれに乗り、孫権の宮殿へ赴き選曹尚書の位を与えられます。
公孫淵の裏切りに激怒
遼東の独立勢力である公孫淵(こうそんえん)は孫権に従いたいと伝えてきます。孫権は喜んで公孫淵に金銀財宝を満載した船を用意し、使者を派遣します。しかし公孫淵は突如心変わりし、孫権の使者を斬り殺し、金銀財宝を奪います。孫権は公孫淵に激怒。自ら軍を率いて公孫淵討伐に向かうと周りに言います。家臣らは必死になって孫権を諫めますが、聞き入れてはもらえませんでした。
陸瑁の諫言
陸瑁は孫権自ら公孫淵討伐に乗り出すと聞きます。彼も孫権に対して「魏は常に呉を滅ぼそうと企んでいます。また山越などの異民族は孫家の隙を狙って反乱を起こそうと考えています。このような状況下に置かれている時に陛下自ら公孫淵討伐に赴くことは危険です。どうか考え直してくれませんか。」と訴えます。孫権は彼の言葉を聞き入れてはくれませんでした。また孫呉の宿老である張昭も孫権に諫言を呈しますが、孫権はこの宿老の諫言も退けます。だが他の臣も陸瑁や張昭のように、孫権に対して必死に諫言を呈したため、彼は公孫淵討伐を思いとどまります。陸瑁はその後病を患い、兄陸遜が亡くなる前にこの世を去ります。
三国志ライター黒田廉の独り言
孫家に恨みを抱いていたため、仕える事が遅くなった陸瑁。陸瑁は三国志演義に登場しません。また兄陸遜が「呉書」でしっかりと紹介されているのに比べ陸瑁はあんまり詳しく紹介されていませんでした。そのためかなり知名度の低いマイナーな武将です。彼がもっと早く孫家恨みを解いていれば、兄陸遜と共に呉国を担う人材として重用されていたかもしれません。