後漢王朝が乱れたきっかけは政治の腐敗に怒りを感じた民衆が反乱を起こした黄巾の乱によって中華は一気に乱れます。しかし黄巾の乱は各地の実力者や後漢王朝の軍勢によって、討伐され反乱は鎮圧されます。
この乱がきっかけで各地の実力者達が力を着けた事に違いありませんが、直接的な原因を作ったのは大将軍・何進(かしん)ではないかと思います。
彼が行おうとしたある計画が群雄割拠の時代を招き、そして三国志の時代に突入させたといってもいいでしょう。今回は一般人から大将軍までになることができたが、天下騒乱を招いてしまった何進について紹介していきたいと思います。
この記事の目次
屠殺業を営んでいた一般人
何進(かしん)は最初から漢王朝に関係があったわけではありません。彼は元々一般の人で、屠殺業(とさつ)を営んでおりました。屠殺業とは犬や牛、豚などを殺害して解体する仕事です。そんな一般人の彼が後漢王朝に人脈がないのにどうして、大将軍になることができたのでしょうか。
宦官に賄賂を贈り妹を後宮に送り込む
何進は屠殺業で稼いだ金を、同じ村で生まれ育った友人の宦官に賄賂を贈って、自分の妹を後宮(こうきゅう)に入れることに成功します。
当時の皇帝であった霊帝(れいてい)は何進の妹にほれ込み、彼女を大いに可愛いがります。何進の妹は霊帝に可愛がられたおかげで、子供を出産。彼女は霊帝の子を出産したことで、皇后になります。そして妹の血縁者である何進も後漢王朝に仕えることになり、出世街道をまっしぐらに突き進むことになります。
黄巾の乱勃発
何進は妹が皇帝に口添えしたこともあってとんとん拍子で、官位が上がっていきます。彼に政務をとる実力があったかどうかは怪しいですが…。その後天下は後漢王朝の政治のやり方や重税に喘ぐ人達の怒りが高まっていきます。この民衆の怒りを煽ったのが張角率いる宗教団体・黄巾党です。彼らは全国に信徒おり、
教祖である張角(ちょうかく)がひと声かければすぐに数十万の人が集まるほどの団体でした。そして民衆の不満を受けて、後漢王朝を打倒しようと挙兵。こうして中華は戦乱の世が始まることになります。
大将軍・何進の誕生
霊帝は黄巾党が挙兵すると、自分が可愛がっていた何進の妹である何皇后の兄・何進を大将軍に任命し、軍権を与えます。何進は大将軍に任命されると、近衛兵を率いて首都の治安を向上。また黄巾賊がいつ首都に攻めてくるか分からないため、配下に命じて兵器の修理を行い、首都に潜んでいた黄巾賊の密偵を捕らえるなど意外と活躍していました。この活躍が認められ、彼は侯の位を授かることになります。
西園八校尉を設置
天下は黄巾の乱の首魁らが倒された後も、各地で盗賊や黄巾党の残党らが町や農村を襲っておりました。そんな中何進は側近から「皇帝が将軍や兵を率いて天下を睥睨すれば、乱は収まるのではないでしょうか。」と進言します。何進はこの進言を受け入れ、霊帝に側近の言葉をそのまま上奏。霊帝は何進の進言を受け入れ、さっそく直属の軍団を作ります。
こうして霊帝直属の軍団が完成し、その名を「西園八校尉(せいえんはちこうい)」と言います。
何進よりも宦官の方が偉い
この西園八校尉の顔ぶれは、宦官である蹇碩(けんせき)をリーダーに据え、鮑鴻(ほうこう)、趙融(ちょうゆう)、夏牟(かぼう)、袁紹(えんしょう)、曹操(そうそう)、馮芳(ふうほう)、淳于瓊(じゅんけい)の八人です。また西園八校尉は皇帝直属の軍団であるため、リーダーに任命された宦官の蹇碩は、大将軍である何進よりも位が上とされており、何進に指示されずに行動することができる、皇帝の直属の軍勢と将校達になっております。
こうして霊帝が西園八校尉という新たな軍制を置いたことが、後漢王朝の破滅へといざなうことになるのです。
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