広告募集
ビジネス

はじめての三国志

menu

はじめての変

【歴史が変わった?】袁術が献帝を擁護していたらどうなってたの?

この記事の所要時間: 237




献帝 恩賜の御衣

 

後漢第十四代皇帝の献帝が都である長安を脱出したのが西暦195年のことになります。

長安では権力者の李傕(りかく)と郭汜(かくし)が主権争いを繰り返していました。

その隙を突いて献帝は配下の董承の導きによって長安を脱出し、以前の都である洛陽を目指します。

李傕と郭汜は協力し、これを追うことになりますが、

白波賊の頭目である楊奉らの力を借りて献帝は李傕らを打ち破りました。

しかし、執拗な李傕の追撃に遭います。

献帝はギリギリのところを河内郡太守である張楊の援軍に助けられてこの迎撃に成功します。

こうして献帝は廃墟と化していた洛陽にようやく帰還したのです。




建安元年(196年)

曹操

 

董昭の仲立ちで張楊と誼を通じていたのが曹操です。

曹操は前年に呂布を打ち破り本拠地である兗州を取り戻していました。

曹操はその勢いで洛陽に兵を繰り出し、献帝奪取を狙います。

この企みを妨害したのが献帝の外戚となる董承と寿春に本拠地を置く袁術です。

曹操は縁戚の曹洪(そうこう)に兵を託して洛陽に寄せますが、董承・袁術の連合軍に敗れて撤退しました。

袁術が本腰を入れて献帝を迎え入れるつもりであればここが大きなチャンスだったと思います。

献帝を寿春まで連れ出すことも可能だったことでしょう。

しかし袁術は別な方面に力を注ぎます。




建安元年(196年)

陶謙

 

揚州を地盤とする袁術は隣接する徐州の支配に力を注いでいました。

徐州は前年に牧である陶謙(とうけん)が病死し、

客将だった劉備が跡を引き継いでいましたから混乱してつけ入る隙がいくらでもありました。

実際に袁術は劉備の軍をこのときに打ち破っています。

しかし、さらに隙を突いて徐州を奪ったのは天下無双の猛将である呂布でした。

呂布は袁術の先鋒である紀霊と劉備の和睦を強引に進めます。

これによって袁術は劉備の勢力を一掃することができず、

さらに徐州を手に入れることもできませんでした。

袁術は南にある劉繇の勢力を牽制することにも力を割かねばならず、

なかなかひとつのことに集中できない情勢です。

袁術がこのとき南の牽制のために兵を向けさせたのが孫策です。

 

建安元年(196年)

曹操

 

献帝が洛陽に着いても権力闘争は止まず、今度は董承と楊奉がいがみ合います。

武力で劣る董承が奥の手としたのが兗州牧である曹操との結託でした。

曹操は八月に献帝を勢力下の豫州・許に移します。これはまさに遷都です。

油断していた楊奉は曹操の軍に敗れて袁術を頼ります。

ちなみに十一月には呂布に追われた劉備が曹操を頼っています。

袁術旗下の孫策は劉繇を破って長江以南に兵を進めていました。

袁術は猛将・呂布との政略結婚のための外交も進めています。

 

献帝擁護の価値

曹操躍進

 

冀州の牧である袁紹も献帝擁護を一時は考えたといわれていますが、

自身の動きを縛られることを恐れて二の足を踏んでいます。

袁家は漢帝国の支配に疑問を感じていたのでしょう。

袁紹も袁術も本気で献帝の擁護には動いていません。

しかし曹操は献帝を握って朝廷を支配します。

これにより多くの勢力が曹操に靡いたことでしょう。

荀彧のような漢帝国に忠誠を誓う名士たちも続々と曹操に従うようになります。

袁術が本腰を入れて献帝擁護に力を注いでいれば曹操には遅れを取らなかったことでしょう。

袁術は大将軍、もしくは三公の位に就き政権を独占していたに違いありません。

ですが袁術は献帝の価値よりも領土拡大に目を向けてしまいます。

そして滅びの道を進んでいくことになるのです。

 

建安二年(197年)

魯粛と袁術

 

この年の一月に袁術は皇帝となります。

袁術は漢帝国に対して完全に見切りをつけたのです。

これは先天性のある選択でしたが、早合点でもありました。

曹操は巧みに朝廷の威光を傘にして諸侯に命令を下すようになります。

逆賊である袁術を討つようにとの指示です。

五月には袁術は呂布の軍に敗れ、さらに九月には曹操の軍に敗れて致命傷を負います。

曹操の勢力下になった劉備に攻められ、

旗下の孫策に裏切られ、袁術の力はどんどんと削がれていくのです。

そして建安四年(199年)六月に袁術は失意のもとに病死します。

 

三国志ライターろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

袁術が董承と組んで曹洪の兵を迎撃したときに大きなチャンスがありました。

ここで漢帝国の存続のために力を尽くしていたら袁術が天下を獲っていたのではないでしょうか。

少なくとも曹操の台頭は防げたはずです。

しかし袁術は独立の道を選択しました。

これが袁術が英雄になれなかった決定的な瞬間でもあったと思います。

 

関連記事:KOEI 三國志の産みの親!襟川陽一はココが凄い!シブサワ・コウの意外な側面6連発

関連記事:はじめての三国志スタッフが選ぶ三国志おすすめゲーム3選

 

—自称皇帝の袁術をたっぷり紹介!—




よく読まれている記事

袁術

 

よく読まれている記事:【これは悲しすぎる】今や忘れさられた袁術の墓

 

朝まで三国志

 

よく読まれている記事:朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第1部

kawauso 投壺

 

関連記事:三国時代の娯楽にはどのようなものがあったの?タイムスリップして当時の人に取材してみた

 

袁紹 曹操

 

よく読まれてる記事:【三国志if】もし袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ってたらどうなってたの?

 

この記事を書いた人:ろひもと理穂

ろひもと理穂

■自己紹介:

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。

 

■好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

 

■何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. キングダムの羌瘣(きょうかい)は実在したの?飛信隊の美女にはモデ…
  2. 儒教(儒家)ってどんな思想?|知るともっとキングダムも理解できる…
  3. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース12記事【4/3〜4/10…
  4. 衝撃の事実!呂不韋は始皇帝の父だった?諸子百家のいいとこ取りの雑…
  5. 【悲報】孔明の発明品で戦死した人物が実在した。鎧を過信した南朝宋…
  6. 【ネオ三国志】第4話:孫家の跡継ぎ、天下へ向けて出陣
  7. 劉禅が読んだ韓非子ってどんな本?
  8. 曹丕のいじめ・パワハラに悩まされた被害者たちを紹介

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 菫卓が死んだ後、長安はどうなったの?
  2. 司馬懿討伐をもくろんだ王陵の反乱はなぜ失敗に終わったの?
  3. 【素朴な疑問】中国にも梅雨はあるの?霉雨になると関羽の古傷も傷んでいた!
  4. 廖化(りょうか)ってどんな人?蜀漢成立~滅亡まで戦い続けた蜀の将軍
  5. 龐統(ほうとう)ってどんな人?|孔明とは頭脳以外全て正反対
  6. 蒙毅(もうき)ってどんな人?趙高に恨まれて悲劇の最期を迎える文官

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志の書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

はじめての三国志 4コマ劇場 その1 80話:曹操の命乞いで関羽が曹操を逃がす 曹操の詩の世界を体験してみよう 武田勝頼の自信を信長・家康連合軍に打ち砕かれた長篠の戦い 【俺たちだって五虎将だ!】魏の五虎将たち~楽進・于禁篇~ アンゴルモア 元寇合戦記ネタバレ 第29話 Part.2 高麗の栄光の為、父を裏切れ 三国志初心者の為の諸葛亮孔明ってどんな人 何で賈詡は董卓残党を奮起させて王允の政府を破壊したの?

おすすめ記事

  1. 【官渡決戦間近】曹操軍の陣中で慎重論と積極論を進言をしていた代表者達
  2. アンゴルモア元寇合戦記 29話の7 最新話ネタバレ 「高麗が高麗である為に」
  3. 【新企画】朝まで三国志を開催!夜22時~朝6時までノンストップ特別企画!
  4. 黄月英(黄夫人)ってどんな女性だったの?孔明の妻を紹介
  5. 三国志で言えば荀彧や賈詡の助言『人気ブロガ―のブログで人生改善』
  6. 【衝撃の事実】三国志演義はゴーストライターによって書かれた小説だった!?羅貫中じゃないの?
  7. 三国インフィニティ(三国INFINITY)とはどんなアプリゲーム?
  8. 三国志平話って何?三国志演義の元ネタ

はじさん企画

帝政ローマ
広告募集
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP