子玉(しぎょく)って誰?三国志にも名前が出る楚の猛将・成得臣

2016年9月2日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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基礎知識 馬謖02

 

三国志の時代の人は、古典から教養を得ているので、よく古代の話を、

例え話として出してきます。

街亭で敗北しさらに逃亡を企てて、処刑された馬謖(ばしょく)についても、

その処断について、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の部下である

蒋琬(しょうえん)が、子玉に掛けて惜しんでいますが、そもそも、

子玉(しぎょく)とはいつの時代の人なのでしょうか?

 

関連記事:【悲報】泣いて馬謖を斬る!は嘘だった?馬稷の死は敗戦の責任のみでは無かった!?

 

紀元前7世紀の楚の猛将 成得臣

成得臣 子玉

 

子玉とは、字でフルネームは、成得臣(せいとくしん)子玉といい、

三国志を遡る事800年、紀元前7世紀の楚の成王に仕えた猛将で

令尹(れいいん)まで出世した人物です。

令尹とは、秦における丞相を意味し家臣たるものが登れる最上位です。

成得臣は武勇に秀でていますが、楚人らしく感情が激しく粗暴で、

ちょっとした事でキレる困った所がありました。

 

晋の文公が楚に亡命してくる

重耳

 

紀元前640年、放浪の貴公子である晋の重耳(ちょうじ)が楚に亡命してきました。

国の後ろ盾もなく、各地でバカにされてきた重耳ですが、

困難を乗り越えて自身も成長し部下との絆も固くなっていました。

 

楚の成王は、一目みて重耳がただものではないと見抜き、

対等関係の諸侯として遇して歓待しました。

 

重耳が成王に

 

「乱れた晋を救いたいので、私が晋に帰ったら

バックアップしてくれますか?」

 

と尋ねると、成王は快諾します。

 

そして冗談半分に成王は、、

 

「その代わりにあなたは何をしてくれる?」と重耳に聞きました。

 

すると重耳は、

 

「戦場で楚軍とまみえたら、三舎退きます」と答えます。

 

一舎は、一日に軍隊が行動できる距離で重耳は楚軍に遭遇したら

3日分軍隊を下げて恩義に報いると言ったのです。

 

手加減すると言われた子玉は文公を斬ろうとする

 

しかし、三舎引くには、手加減するという意味もありました。

その話を聞いていた誇り高い子玉は、腹を立てます。

 

「王よ、重耳は楚を侮辱しました、すぐに斬るべきです!」

 

ですが、子玉の気性を知っている成王は、それを宥めて、

重耳をおとがめなしにしました。

 

子玉、陳を破り、宋の襄公を辱めて令尹に昇る

 

紀元前637年、今まで楚に従っていた小国の陳が宋に通じて、

寝返る事件が起きます。

子玉は、即座に兵を起こして、陳を撃破しました。

さらに、当時、覇者に一番近い存在だった宋の襄公(じょうこう)が会盟を催して

中原の覇者になろうとすると、子玉は儀式の途中で襄公を拉致し、

宋国内を蹂躙して暴れまわり、襄公の面目を潰します。

これにより襄公は、遂に覇者になれませんでした。

 

一方の子玉は一連の手柄で、一族の子文(しぶん)に替わり、

令尹に昇ります。

 

得意絶頂の子文に蔿賈が苦言を出す

 

子文は彼の出世を祝い、成王の前で演習を行う時にも、

子玉に花を持たせようと訓練を朝で終わらせ、兵士を一人も処罰しませんでした。

一方の子玉は、一日中演習を行い、兵士七名を鞭打ち、三名を殺しました。

楚の臣は、子玉の有能さを褒めたたえ、子文を慶賀します。

ところが、重臣の蔿賈(いか)だけは、何の祝いもしませんでした。

子文が不思議に思うと蔿賈は言いました。

 

「何を浮かれておいでですか?子玉を令尹に推したのはあなたですぞ。

もし、子玉がしくじれば、あなたも責任を問われますよ、

そもそも、子玉は表面は勇壮ですが、我が強くて礼儀を知らず

民を治める事など出来ません、もし、戦車三百輌以上を与えて

他国を攻めたら生きて戻ってこれますまい」

 

この話は、人づてに子玉の耳にも入ります、子玉は立腹し、

必ず、手柄を立てて蔿賈を見返してやると決意します。

 

紀元前632年 成王、子玉と共に中原を攻めるが・・

祁山、街亭01

 

紀元前632年、楚の成王は、令尹の子玉を伴い、長江を越えて、

中原の諸国を攻めますが、その頃、晋に帰り文公に即位した重耳が、

援軍を出してきたので、兵を引こうとします。

 

すると子玉が、それを諌めました。

「ここは何としても文公と雌雄を決すべきです」

 

ところが、状況の不利と文公の強かさを知っている成王は

乗り気ではありません、子玉は激しく感情を昂ぶらせ、

 

「私は何も手柄が欲しいのではなく、

あの蔿賈めにかつて侮られた恥を雪ぎたいのです」と言います。

 

成王、子玉の私利私欲に呆れ、彼を放置して去る

 

それを聞いた成王は呆れます、国の命運を左右する戦に、

かつて侮辱された恥を雪ぎたいという私情を交える

子玉のバカさ加減にです。

 

「ならば、軍は預けるから勝手にするがいい」

 

成王は、子玉に兵を預けて自分は楚に帰ってしまいました。

子玉、城濮の戦いで敗戦し自殺する

 

 

子玉は喜び勇んで、楚の三軍を指揮して、城濮(じょうぼく)で晋の文公に挑みます。

しかし、所詮子玉は文公の敵ではなく、あっという間に三軍は破られます。

子玉は、命からがら楚に帰りますが、王命に逆らい軍を動かし、

大敗した事で責任を問われ自殺して果ててしまうのです。

 

結局、蔿賈の予言は成就してしまったのです。

 

文公は子玉が死んだ事を知り大喜びする

 

一方で晋の文公は、大勝利にも関わらず、浮かない顔をしていました。

 

「子玉は粗削りとは言え、中々の猛将、今度は名誉を回復しようと必死で来るから

手ごわい相手になるであろう・・一匹の鼠でさえ、猫に追いつめられれば

死ぬ気で反撃するものではないか、ましてや人間をや・・」

 

ここで、文公が言った言葉が「窮鼠猫をかむ」の故事の元です。

ところが、やがて子玉が自殺したというニュースが飛び込んできます。

 

そこで、文公は手を叩き、

「これで私を害するものはいなくなった」と喜んだのです。

 

蔣琬は、馬謖と子玉を重ねてワンチャンスと願った

基礎知識 馬謖03

 

蔣琬は、この時の文公の言葉を引いて、馬謖を殺す事なく、

チャンスを与えるべきだったのでは?と孔明に問います。

 

馬謖 孔明

 

しかし孔明は、只今は乱世であるのに、法の執行を緩くしては

戦う事はおぼつかない、孫武(そんぶ)が呉王を覇者にしたのも、

法を厳しくしてきたからであると涙ながらに語りました。

 

習鑿歯は手厳しい

基礎知識 馬謖05 孔明

 

一方で、東晋の役人であった習鑿歯(しゅうさくし)は孔明に厳しいです。

 

「そもそも、蜀が天下を取れないのも当然だ、馬謖のような有能な人を

一度の失敗で殺してしまったからだ。

そうでなくても、西のはずれの小国なのに、自分から人材を減らした

それでは、天下が取れないのは仕方がない。

晋は荀林父(じゅんりんほ)が、楚の荘王(そうおう)の軍に敗北しても

後日の勝利を信じて生かし、荀林父は、この期待に応えたではないか?

一方で楚の成王は子玉を一度の敗戦で自殺させ、結局、晋の文公を

喜ばせてしまったのだ!!」

 

孔明のやっている事は、成王と同じ事だと習鑿歯は言っています。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

法を重んじて失敗したら処刑か、見込みがあるのを信じて、

法を曲げてワンチャンスを与えるかは、難しい所ですよね。

第一、誰でも見込みがあるわけではないので、敗戦の内容によって、

助命する人物と殺してしまう人物が出てきてしまいます。

 

すると、同じ敗戦で助かるヤツと殺されるヤツがいるのは、

不公平であるという不満にも対応しないといけないでしょう。

 

それを考えると、色々問題はあっても、誰であろうが、

敗戦は死刑の方が、組織を動かすには向いていると思います。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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