糜芳(びほう)とはどんな人?古参の武将でありながら関羽を裏切り呉へ寝返った男




関羽 死

 

糜芳(びほう)は兄・糜竺(びじく)と共に劉備(りゅうび)

徐州へ逃げてきた時に仲間に加わった人物です。

かなりの最古参の武将でありながら、

彼は何で関羽を裏切って呉へ寝返ったのでしょうか。

今回は彼の生涯を追いながら関羽を裏切った原因を探っていきたいと考えます。

 

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徐州へ来た劉備の家臣になる

陸遜 劉備

 

糜芳は徐州の富豪の家に生まれ、

劉備が徐州を前領主であった陶謙(とうけん)から譲られて、

領主の座に就任した時に劉備に仕える事にします。

彼は実家が裕福な富豪であった事から

劉備を兄である麋竺と共に経済的な援助を劉備に行っていきます。

その後劉備が呂布に徐州を奪われた際、彼と共に曹操の元へ逃げこみます。




再び逃走

劉備 曹操

 

糜芳は劉備と共に曹操の元へ逃げ込むと、彼の元で主従ともども優遇されます。

この優遇は呂布討伐戦終了まで続きますが、その後不穏な空気が劉備を包みます。

劉備は後漢皇帝である劉協(りゅうきょう)が発した曹操暗殺計画に加担しているとの噂が流れます。

劉備はこの曹操暗殺計画が失敗に終わると予想し、曹操の元を脱出。

糜芳も兄と共に劉備の後を追いかけることになり、平穏な時間はあっという間に終わり

再び逃亡生活に逆戻りしてしまいます。

 

江陵太守に任命される

劉備

 

劉備はその後劉璋(りゅうしょう)が領有している益州の強奪に成功します。

そして以前から彼の領地であった荊州には関羽を総督として任命し、

彼に荊州の全権を与えることにします。

関羽はまず長年劉備軍に付き添ってきた糜芳へ南郡太守の地位を与えることにします。

糜芳はこうして長年劉備軍に付き添ってもらった功績が認められるのですが、

彼は荊州に留まった事が彼の人生を大きく

変化することになるとはこの時は知る由もありませんでした。

 

関羽に無茶苦茶責められる

関羽

 

糜芳は南郡太守へ任命されると一生懸命職務に励みます。

しかし関羽は彼を見くびっており、ちょっとのミスでも鬼のような形相をして彼を責めます。

暴力は振るわれないが、常に言葉の暴力を受け続けていた糜芳は関羽が嫌になってしまいます。

そんな中、彼は関羽の怒りを買ってしまいます。

彼は南郡の太守として一生懸命働いていたある日、城内が原因不明の火災を起こします。

幸いこの火災は大きくなる前に鎮火できたため、

大事にはなりませんでしたが関羽はこの火災を知ると激怒。

すぐに南郡にまでやってきて、部下がいる前で糜芳を大いに罵ります。

彼は部下の前で恥をかかされた事に憤りを感じ関羽を大いに嫌いになります。

 

関羽が嫌いになった事が原因で呉へ寝返る

関羽 使者

 

関羽はその後魏が領有している荊州へ攻撃を仕掛けるため、大軍を率いて北上を開始します。

関羽の留守を守るのは士仁(しじん)と糜芳です。

その後関羽から使者がやってきて「兵士と兵糧を送るように」との命令を受けた二人ですが、

日ごろから関羽に恨みを持っていたことから、ほんの少しの兵士と兵糧を輸送します。

このことを知った関羽は激怒し再び使者を二人の元へ送り

「てめえら。よくもなめた真似してくれたな。

帰ったらただではおかん」と脅迫に近い内容の

伝言を受け取ります。

二人は関羽のこの傲慢な態度にほとほと嫌気がさします。

呉軍が蜀との同盟を破棄して荊州へ侵入してくると

同僚である士仁は親友である虞翻の説得によって呉へ降伏します。

そして糜芳も呉の軍勢が城を包囲してきた時に降伏。

荊州は二人の太守が降伏したことで、

残りの城も呉へ降伏して劉備が領有していた荊州全域は完全に呉の物になってしまいます。

 

関連記事:【関羽の北伐】麋芳、士仁はなぜ関羽に嫌われてたの?

関連記事:どうして呉は同盟国の蜀・関羽を裏切ったの?

 

三国志ライター黒田廉独り言

黒田廉

 

さて糜芳は呉へ降伏した後どうしたのでしょうか。

彼は呉へ降伏すると賀斉(がせい)と共に山越討伐戦に参加しております。

また士仁の親友である虞翻は彼を大いに嫌っており、

糜芳を見ると「忠誠心のかけらもない裏切者」と執拗に彼を罵っていたそうです。

そして彼の兄貴である麋竺は糜芳が裏切ったことで荊州を呉へ取られてしまったことを

大いに怒り、弟が裏切ってから一年後に病を発病して亡くなってしまいます。

関羽が部下を大切にしないのは彼の落度であり、

関羽を注意しなかった上司である劉備の落度で

あると言ってもいいでしょう。

しかし糜芳も劉備へ関羽の態度を何とかしてくれなどを訴えて入れば、

関羽の態度は変化して

彼が蜀を裏切ることをしないで済んだかもしれませんね。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

じかいもまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃ~またにゃ」

 

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