日本神話、ギリシャ神話、ケルト神話、歴史の古い国には、
神話はつきものですが、中国神話というと皆さんピンとこないと思います。
中国は単一民族ではなく、複数の民族の寄り集まりと混合であり、
それこそかつては無数の神話があったのですが、怪力乱神を語らずという
儒教の合理主義で、神話は非科学的と断じられ政権からはハブされました。
そこで、今回は殷(商)の人々が信じた十日神話を紹介しましょう。
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この記事の目次
殷人曰く 古代、太陽は十個あり、順番に世界を照らしていた
中国の五帝の一人に数えられる帝俊(しゅん)(黄帝)には、
羲和(ぎわ)という妻がいて彼女は懐妊して太陽である子供を10人産みます。
帝俊は、10名の子供に、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、
戊、(ぼ)己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、発(はつ)
という名前をつけました。
10人の太陽は母の羲和の指導の元、六匹の龍が引っ張る車に乗って、
順番に天空を移動して世界を照らすようになります。
実際に天空に輝くのは一つだけで、それ以外の9個は、扶桑という
巨木に引っ掛けられ、自分の順番を待っていました。
毎日同じ事をするのに飽きた10人の太陽は一斉に登場・・
しかし、同じ事を何万年も繰り返す間に10人は飽きてしまいます。
そこで、10人一斉に天空に輝こうと言いだし、堯(ぎょう)帝の時代に
天には10個の太陽が出現するようになりました。
10個の太陽が地上を四六時中照らすので大地は乾き、
作物は全滅、地下からは魔物も出現して人間を喰い殺すという
悲惨な状態が起きてしまいます。
黄帝は、弓の名手、羿を天界から派遣する
堯帝は困ってしまい、天界にいる黄帝に何とかして下さいとお願いします。
黄帝は、自分の息子達がしでかした事でもあるので、
責任を感じ、天界から弓の名手である羿(げい)を派遣します。
羿は最初、事態を穏便に治めようと、10の太陽に対して、
矢を向けて脅しますが、10の太陽は生意気な性格だったのか、
少しも動揺せず相変わらず天に輝き続けます。
10の太陽の中で9個は射殺され、世界は平和になる
羿は、やむをえないとばかりに、10の太陽に向けて矢を放ちます。
太陽達は悲鳴をあげながら地上に落ちてきました。
みると、落ちた太陽は三本足の烏の姿をしていたそうです。
堯帝は、全ての太陽を落されては世界が暗黒になると心配し
羿の矢倉から矢を一本抜いていたので、太陽は一個だけ
天に残る事になりました。
さらに羿は、堯帝の命令で、地下からわき出した魔物を
矢で次々と射殺していきます。
それにより、地獄と化した世界は平和を取り戻したのです。
10個の太陽は、殷の十王族を意味していた
さて、荒唐無稽な話ですが、この神話と殷の歴史には、
密接な繋がりがあります。
殷の時代の暦は、10日で一区切りになっていました。
これは、神話における10個の太陽に因んだものです。
そして、殷の王族は、元々、多数あったものが、
次第に、神話に基づいて十の王族に統合されていきます。
それぞれの王族は、自らを甲、乙、丙、丁、戊、己、
庚、辛、壬、発と名乗って神話との整合性を持っています。
さらに10個の太陽が日替わりで空に輝くのに対応して、
殷では国王の地位は当初は非世襲で、甲、乙、丙、丁の
王族が交互に国王を選出する連合政体でした。
それ以外の、戊、己、庚、辛、壬、発の六王族は、
妃や、四王族に後継者がいない時の仲継ぎの王を出す事になっていた
そう考えられています。
神話は、殷の滅亡を記録していた
また、一度に10個の太陽が天に輝いて大地が乾き、
地下から猛獣が出現して人間を襲うという話は、殷の国王交代が、
何らかの理由で上手くいかなくなり、戦乱が起きたという
暗示だとも考えられています。
或いは、国王の地位を巡る争いの結果、国力が衰え、
そこに周が攻撃を仕掛けて、殷が滅亡し周の王が1人立ったという
歴史の流れを、太陽が9個落され太陽は1つになった、、
つまり殷の連合政体は終わり、王は1人だけの周の時代になった
そのように神話であらわしたのかも知れません。
殷人のルーツはツングース系だった
また、この太陽を射落として世界が平和になるという
射日(しゃじつ)神話は、沿海州から朝鮮半島にかけての
ツングース系諸民族に共通して見られる神話だそうです。
それに殷人の祖である契(けい)の母は黄帝の次妃で簡狄(かんてき)と言い、
玄鳥(ツバメ)の卵を食べて産気づき契を産んだとされていますが、
こちらもツングース系の諸民族に共通してある神話です。
こうした伝説は周には無いようで、殷周革命は支配民族の交代でも
あったのかも知れません。
古代出雲の民はツングース系民族だった?
ツングース系の民族分布は、朝鮮半島の上辺りで止まっているのですが
その一部は古代日本に流れて出雲に住みついたとも言われます。
出雲は神話の里であり、ニニギノミコトの天孫降臨以前に
天から降りてきた、スサノオノミコトの六世の孫、
オオクニヌシノミコトが王朝を開いた土地でもあります。
出雲地方は製鉄でも有名で、それは殷が青銅器の鋳造に
優れた技術を持っていた事にも重なります。
それに神武(じんむ)天皇の東征には、三本足の八咫烏(やたがらす)が
道案内として登場しますが、これはかつて羿が射落とした太陽が
三本足の烏だったという事に共通しているような感じがします。
また日本の別称が扶桑(ふそう)と呼ばれるのも有名で、
これも10個の太陽がぶら下がっていた大樹、扶桑と共通しています。
真相は分かりませんが、興味深い話ですね。
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三国志ライターkawausoの独り言
中国においては、国教化した儒教の怪力乱神を語らずの影響で国家による
編纂が漢の時代以後は行われず、衰退してしまった中国の神話。
しかし、神話は全体では荒唐無稽に見えても部分、部分では
現実を写している事は、殷の統治機構と神話が密接に関係している事でも
分かります。
遥かな昔に失われ、未だ謎が多い殷の社会制度ですが、
或いは神話の解析から真実が分るかも知れませんね。
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