暴虐の限りを尽くしたとされる太師・董卓(とうたく)は、
司徒・王允(おういん)が主導するクーデターによって命を落とします。
董卓の肉親は老若男女問わず、長安においてことごとく誅殺されました。
王允は次に董卓の後継者にあたる娘婿の牛輔(ぎゅうほ)の城を攻めます。
賈詡(かく)は当時、この牛輔に仕えていましたが、挽回の策は進言できていません。
クーデターの衝撃
牛輔はあっと言う間に部下に寝返られて首を討たれ、長安に送られたからです。
そこに豫州に侵攻していた李傕や郭汜、張済らが三万の兵を引きつれて戻ってきました。
将兵ともに主君である董卓が殺されたこと、長安が敵の手中にあること、
そして最強の武将と名高い呂布(りょふ)が敵にいることで意気消沈しています。
一度、故郷である涼州に戻って再起をはかろうという話に落ち着きます。
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賈詡の命は風前の灯
王允は、董卓の配下だったものを皆殺しにするという強気な姿勢を崩しませんでした。
董卓の残党をこの機会に一掃するつもりだったのです。
戦闘において敗走ほど難しい局面はありません。
敵は勢いを増して追撃してきますし、味方はどんどん離反するものが増えていきます。
涼州まで行きついたときにはもはや軍は壊滅状態になっている可能性がありました。
そうなると村や町の警備兵にすら捕まる危険性があるのです。
文字通り、命をかけた逃避行です。
しかも恩賞に目がくらんで裏切者が続出かもしれず、
疑心暗鬼に陥って味方同士の殺し合いも充分ありえる状態です。
賈詡の命は風前の灯火でした。
起死回生の進言
賈詡には漢皇室を立て直したいという志はなかったことでしょう。
彼が太尉府の郎を務めている頃、朝廷は汚職が横行していました。
しかも先導しているのは霊帝自らです。
霊帝は官職を売りに出していたのです。
五年間の期間で重要なポストである三公のひとつ太尉は7人も交代を繰り返していました。
司空は9人です。金さえあれば出世ができ、
出世したら下の官吏から賄賂を要求するという腐敗政治でした。
先を見越すことに長けている賈詡は、漢皇室の終焉を予測したことでしょう。
つまり、賈詡にとって司徒・王允がクーデターを起こし、
漢皇室の復興を目指していることなど何の興味も沸かないことだったわけです。
無論、協力する気もなかったことでしょう。
問題はこのままだと自分の命も危ないということです。
そこで賈詡は逆転の一手を李傕らに進言します。
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王允のクーデターの落日
三万の軍勢も敗走すればみるみる数が減っていきますが、侵攻するとなると話は別です。
実際に長安に着くまでに募兵を繰り返し、兵の数は十万に達しました。
さらに呂布を挑発し、城外に討って出るように仕向け、
長安城の城内に残る董卓の残党を内応させて城門を開けさせます。
王允はそのまま捕らえられて殺され、市場に晒されました。
クーデター成功からわずか一ヶ月あまりで、王允が主導する政権は滅びたのです。
賈詡はその機転から、危機を脱することができたわけです。
新政権とも距離をとる賈詡
献帝を擁した李傕(りかく)は車騎将軍となります。郭汜は後将軍、張済は驃騎将軍です。
そして朝廷を暴力で支配していくことになります。
いずれこの李傕らも消えていくだろうと予想した賈詡は、
決して軍事面に係わらないように注意し、ほぼ閑職ともいえる尚書につき様子をうかがいます。
そして献帝側に密かにつき、楊豹などと謀って長安脱出を計画していました。
そのために李傕を巧みに誘導し、李傕と郭汜を戦わせます。
この隙に献帝は長安脱出に踏み切るのです。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
まずは自分の命を大切にするのが賈詡の特徴です。
また、乞われると誰にでもアドバイスしてしまう傾向もあります。
ある種、お人よしな側面もあります。
ただ、将来どうなるのかの予測は充分についているために深入りはしません。
この辺りは「軍師連盟」の主役・司馬懿(しばい)と同様のしたたかさです。
そもそも「忠義」というものは、賈詡の価値観にはなかったのではないでしょうか。
まさに「良禽は木を択んで棲む」の言葉通り、スッパリと主君を変えていきます。
転職のプロ。賈詡にはそんな一面もありますね。
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