【三国志の華佗を越える名医の名言】扁鵲が死人を生き返らせた時に用いた名言




五禽戯 華佗

 

三国志の時代の名医といえば皆さんは誰を思い浮かべますか。

現代医学にまでその名を轟かせて麻酔を使って切開した名医・華佗(かだ)ですか。

それとも「傷寒論」という書物を残して、

医療の発展に貢献した張仲景(ちょうちゅうけい)でしょうか。

二人共三国時代を代表する名医であることに代わりわないでしょう。

今回紹介するのは三国志の時代より前の春秋戦国時代に現れた名医・扁鵲(へんじゃく)

残した名言をご紹介したいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【三国志あるある】懐かしい!と思った人は40代!昭和では当たり前だった三国志事情




卾の国を訪問

photo credit: Waldgeister via photopin (license)

 

扁鵲の名前は姓を秦、名を越人(えつじん)というのが本名です。

しかしある貴人の家で接待役を行っていた時に、長桑君(ちょうそうくん)と言われる人物から、

秘術を授かります。

その秘術は人の体の中を見ることのできる能力と治療術でした。

扁鵲はこの秘術を長桑君から学び取り医者として活躍することになります。

各地で医術を施しながら旅をしていた扁鵲はある時卾(がく)と言われる小さな国を訪れます。




太子死すの噂を聞く

photo credit: Sunset, Rock Valley via photopin (license)

 

扁鵲は卾の国へ入国した後に病で悩んでいる人々を裕福な人から庶民まで貧富の差をつけずに

治療していきます。

そんなある日、卾の国の太子がなくなったとの噂を聞きます。

この噂を聞いた扁鵲は太子の病気を見ていた医者と接触しどのような状態で亡くなったのかを

聞き出します。

そして彼は太子の状況を見ていた医師に「いつなくなったのですか」と尋ねます。

すると医師は「今朝です。」と答えます。

扁鵲は「そうですか」と頷いてから医師へ

「私が太子を生き返らせてあげましょうか。」ととんでもないことをサラッと述べます。

医師は扁鵲が自分を馬鹿にしているのではないかと考えて激怒し、

「出来るわけないでしょう。」と大声を挙げます。

すると彼はため息をついて「あんたの医術なんか天下の中の立った一部でしかない。

広い天下を視野に入れれば君如きの医療知識で全てのことがわかるわけはないであろう。

もし私の言葉が信用できないのであれば太子を再度診断してきなさい。

太子は生きているので鼻から呼吸する音が聞こえることでしょう。

また体の体温は下がっていないので、暖かいはずです。」と太子の体を見てもいないのに

断定します。

この言葉を聞いた医師は太子の遺体を見に行くと扁鵲の言ったことが全て当てはまっており、

驚きのあまり倒れそうになります。

 

卾の君主は扁鵲に治療をお願いする

森 卵 s

 

太子の病状を見てきた医師は急いで卾の君主に「太子はもしかしたら生き返るかもしれません。」

と述べます。

この言葉を聞いた卾の君主は「どういうことだ」と医師へ尋ねます。

この医師は扁鵲とのやり取りを卾の君主に伝えます。

すると彼は医師に命じて「扁鵲とやらに太子の治療を行ってもらうようにお願いしてこい」と

命じます。

医師は再び扁鵲の元へ行き「太子を生き返すことが出来るのであれば、

お願いできないでしょうか。」と頭を下げて要請します。

この言葉を聞いた扁鵲は「分かりました。私を太子の元へ連れてってください。」と

お願いします。

こうして扁鵲は太子の元へ向かいます。

 

死人を生き返らせることに成功

photo credit: via photopin (license)

 

扁鵲は太子の元にたどり着くと得意とする針を太子へ打ち込みます。

こうして卾の太子の治療が行われると数日後になんと太子は息を吹き返すことになります。

そして針の治療を行ってから数十日が過ぎると病は完治して、

太子は完全復活を果たします。

卾の君主は太子が復活したことを大いに喜び、

色々な贈り物を彼に送り届け感謝の意を述べます。

そして卾の国では死人を生き返すことができる名医として民衆から貴族まで大いに彼を

持ち上げます。

扁鵲はこの評判に対してポツリと「私は治すことが出来るのでやったことだ。

本当の死人を治すことはできない」と言って民衆に述べたそうです。

 

関連記事:五禽戯(ごきんぎ)とは何?華陀が生み出した元祖ラジオ体操が凄すぎる!

関連記事:華佗の使った麻酔薬「麻沸散」って何?

 

春秋戦国ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

さて今回の扁鵲の名言は「あんたの医術なんか天下の中の立った一部でしかない。

広い天下を視野に入れれば君如きの医療知識で全てのことがわかるわけはないであろう。」です。

この部分を史記では「管を持って天を伺う」と言う名言として記載しております。

この意味は見識の狭さを表す名言で、会社や友人関係で、

大した知識を持っていないくせに威張って知識を披露している人を見たら使ってみてください。

しかし使ったあとのことは私は保証できませんが・・・・

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

関連記事

  1. 豊臣秀吉 戦国時代
  2. 真田昌幸
  3. ホウ煖(龐煖)
  4. 後藤又兵衛
  5. 鍾会
  6. 飛信隊

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。


はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

3冊同時発売

“三国志人物事典"

“ながら三国志音声コンテンツ"

ASMR

PAGE TOP