久しぶりのはじさんクイズです!!皆さんは甲斐の虎こと武田晴信(たけだ はるのぶ)をご存知でしょうか。この晴信は後年出家して晴信から出家した際の号を名乗ることになるのですが、一体何の号を名乗っていたでしょう。
1逍遥軒(しょうようけん)
2信玄
3梅雪
さぁ~て正解はどれでしょう。
正解は3ではなくて2番の信玄です。そうです!彼は若い頃は武田晴信と名乗っており、出家してからみなさんがよく知っている信玄と名乗るようになるのです。さてこの晴信君ですが、父・信虎からを追放して武田家の当主に就任していることを知っておりましたか。今回はそんな晴信くんの荒々しい一面を覗かせる武田家就任までのお話をしたいと思います。
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武田信虎の嫡男として誕生
晴信は武田家の当主である信虎の嫡男として誕生します。彼には多くの兄弟がいてなんと16人者兄弟がおりました。その嫡男として生まれた信玄は色々と信虎から期待をかけられております。その証左として元服したとき父は足利将軍である義晴に要請して、その名から一字をもらい晴信として名づけて元服させております。また信虎は官位も朝廷に要請しており、晴信は元服した時に官位をもらっています。こうして晴信は父・信虎からいっぱい期待をかけられて成長しております。
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晴信の初陣と信虎の領内政策
晴信はこうして父信虎に期待をかけられながら成長して元服することになります。そして戦国時代の武将が必ず通る初陣の日を迎えます。晴信は父と共に信濃の佐久郡にある城を攻略するべく出陣し、見事に目標としていた城を陥落させます。父信虎は晴信の初陣を済ませると領国内の整備を行います。行政組織を見直して改善を行っており、家臣団においても信虎の父から居る重臣達に加えて、自らが取り立てて家臣した者に自分の一字である「虎」の字を与えて、家臣団の結束力強化を図っております。このように信虎は次世代の武田の家を継ぐ晴信のために領内整備と家臣の結束力を高める方針を行っていきます。
信虎・暴君化
こうして甲斐の国を整備していくことに力尽くすと共に、領土拡大を行っていた信虎ですが、次第に暴君と化していきます。彼は自分の家臣が自らの気に食わないことをちょっとでもやるとすぐに殺害。これは新参や古参にかかわらずに行っていたため家臣達は戦々恐々としておりました。また領内でも厳しい税の取立てが始まり、領民達も信虎の暴君化に驚いておりました。その後信虎は信濃の海野平で海野氏に大勝利を収めると彼は自分の長女が居る駿河に向かっていきます。この時信虎が連れていた人数は数十人程度の少数の側近しか連れていませんでした。
国境を閉じて父を追放
晴信はこのままでは武田がダメになってしまうと考えて、重臣たちに「父信虎を追放するべし」と訴えます。重臣達も信虎のやり方に怒りを覚えていたため、晴信の訴えに反対する者はなく皆が賛成します。そして晴信は父が駿河へ向かったとすると急いで国境を閉じて父が帰還できないようにすると彼は武田家の棟梁となることを重臣や領民達へ知らせます。信虎は今川義元の館でこのことを知ると激怒して国に帰ろうと急ぎますが、国境が閉じていたため、甲斐へ入ることができませんでした。こうして信虎はシズシズと駿河に行って今川義元に保護されることになるのです。そして晴信は父信虎の追放に成功したことによって武田家を継いで新当主として君臨することになるのです。
戦国史ライター黒田廉の独り言
戦国時代に子が親を追放するのは特に変わったことではなくどこでも起きている状態でした。
晴信が父信虎を追放した原因は色々ありますが、
1父信虎の暴君化
2信虎との関係悪化による追放説
が唱えられており、どちらもありえることでした。
父信虎が暴君化したときは晴信のいうことを聞いてもらえないこともあったそうです。
これらが原因で晴信は父を追放する決意をしたのではないかと考えられているそうです。
参考文献 中公新書 信玄の戦略 柴辻俊六著など
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