【真田丸】NHK大河ドラマ決定記念!家康と劉備の黒歴史の共通点。クソ漏らし家康と死んだふりの劉備

2015年12月20日


 

真田丸

 

2016年度のNHK大河は戦国物、それも人気がある日本一の兵(つわもの)

真田幸村を主人公とした、「真田丸」に決定しています。

従来より戦国物は日本史でもメジャーで、高視聴率を獲りやすいという事もあり、

はじさんのヒトフンライターであるkawausoはちゃっかり便乗記事を書きます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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真田幸村、生涯最大の宿敵、徳川家康と劉備の共通点

真田丸02(武田信玄)

 

さて、真田幸村と言えば、江戸時代から人気があり大正時代に入ってからは

真田十勇士などの話で知られています。

この真田幸村が強い人気を得ている大きな理由としては大阪夏の陣で

天下人である、徳川家康が自決を覚悟する程に追い詰めたという事があります。

つまり、戦国最強の大名と互角以上に渡り合った事が幸村の名声を高めているのです。

 



狡賢(こうかつ)な家康にも、みっともない黒歴史があった

 

ところが、豊臣家を追い詰める冷酷な策略家のイメージの家康にも、

とても自慢できないような黒歴史が存在していました。

 

それは1573年の1月に発生した三方ヶ原の合戦での事です。

当時31歳の家康は戦の天才と恐れられた甲斐の虎、武田信玄の軍勢、

43000を迎え撃つ事になりました。

 

信玄と言えば、戦国最強の用兵家と名高く、

「人は堀、人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵なり」という言葉通り

人材を大事にして、その能力を伸ばしたので信玄の為なら命も要らないという

有能な家臣を擁していた人物です。

 

寿命が残りすくない信玄は、最後の力を振り絞り、上洛を目指す

現実主義曹操

 

信玄は自分の残り寿命に不安を感じ、同時に京都を支配して足利将軍を

擁している織田信長の支配を撃ち破る為に上洛の軍を起しました。

三国志風に言うと、献帝(けんてい)を擁している曹操(そうそう)の支配を

撃ち破る為に、許や、鄴に攻め上るようなものです。

運が悪い事に、家康の領地の駿河(するが)、三河(みかわ)、

遠江(とうとうみ)は、その武田軍の上洛への通り道でした。

さらに、家康と信長は同盟の関係であり、家康としては

武田軍を素通りさせる事は出来ないという状態にあったのです。

 

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浜松城に籠城する家康を武田軍は無視して、進む

 

家康は「武田は徳川の本拠地である浜松城を襲うだろう」

と予想して籠城戦を敢行して時間稼ぎをしようと考えます。

時間が経過すれば織田からの援軍も期待できるので家康としては持久戦が得策だった

のです、それに家康の軍勢は全て合わせても武田の半分にしかなりませんでした。

 

ところが、気追い込んで信玄を待つ家康を無視して武田軍は浜松城を避けます。

信玄としては、上洛を急ぎたいので不必要な城に時間は掛けられないという

思惑だったのですが、無視された家康はプライドを傷つけられます。

 

家康、籠城を中止して武田軍に襲いかかり大惨敗

 

「この野郎、俺っちみてえな若造は眼中にないってか!なめんなよ!」

 

31歳と若い家康は、この信玄の態度に腹を立て徳川軍に背後を見せて

祝田(ほうだ)の坂を降っている武田軍に背後から襲いかかる作戦を立てます。

家臣は「落ち着いて下さい、信玄の罠です」と引きとめますが、、

 

「織田殿の同盟者たるワシが、信玄を恐れて一戦もしていないと噂されては

部下にも織田殿にも示しがつかぬ」と言い捨てて、

 

全軍を持って、武田軍を背後から襲いますが、信玄はそれを察知し、

魚鱗の陣で徳川軍に襲いかかります。

 

兵の質も、戦術眼でも信玄には劣る家康は散々に打ち破られて、

生涯最大の敗北を喫して、浜松城に逃亡を開始します。

 

その時、家康はウンコを漏らした!

真田丸 家康

 

眼中にない家康でも、自分から飛び込んで大敗すれば話は別です。

「それ、家康の首を獲れ!」戦国最強をうたわれた武田の赤い騎馬隊が、

家康の首を求めて、逃げる家康に追いすがります。

 

それが、余りに恐怖だったのでしょう。

家康は逃げる間にウンコを漏らしてしまうのです・・

31歳にして、クソ漏らし徳川家康です。

 

浜松城に戻ると、家来が馬の鞍についたウンコに気がつきますが家康は

 

「バカ家臣!これは焼き味噌だからね!決してウンコではないんだからね」

 

と言いわけして、城に入ると食事を取り、城の門を全て開け放ち

かがり火を焚かせて空城の計を発動させました。

そして、自身は城の広間で大の字で寝てしまったのです。

 

信玄は、家康の剛胆ぶりに感心する

 

真田丸 武田信玄

 

武田勢は浜松城に迫りますが、門を全て開き、盛んにかがり火を焚いている

様子を見て、これは罠があるに違いないと警戒して引き上げたようです。

それを聞いた信玄は感心し、「徳川家康とは思いのほか、剛胆なヤツよ」

と賞賛したようです。

 

劉備玄徳にも、全く自慢できない黒歴史があった!

 

さて、家康に負けず、三国志随一の涙のカリスマである劉備にも、

家康に負けない程のみっともない黒歴史がありました。

 

それは西暦187年の事です、故郷、幽州にいた劉備は、

その頃に、偶然に発生した張純(ちょうじゅん)の乱に遭遇します。

 

張純は、元々は太守でしたが自分の待遇に不満を持ち、烏丸(うがん)の

酋長、丘力居(きゅう・りき・きょ)を味方に引き込んで、

精鋭の烏丸騎兵を駆使しながら五万という兵力で蜂起します。

そして自身を弥天(びてん)将軍・安定王と自称して、右北平太守の

劉政(りゅうせい)や遼西太守の楊終(ようしゅう)を殺害して、

幽州、冀州、青州を略奪して回ります。

 

劉備は、同族の劉平(りゅうへい)により、武勇がある事を認められ、

官に推挙され従事として一軍を率います。

 

「漢の天下を乱す賊共め!漢室の藩屏たるこの劉玄徳が滅ぼしてくれる!」

 

黄巾の乱で多少は活躍して名が売れた劉備ですが、張純の叛乱は、

それまでの野盗に毛が生えたような反乱とはケタ違いでした。

劉備 黒歴史

 

劉備は反乱軍に襲われて負傷して死の恐怖を感じ乱戦の隙をついて、

死体の下に隠れて死んだフリをしていました。

 

そのまま、仲間が生きるか死ぬかの戦いを繰り広げている間、

劉備は、震えながら死んだフリを続け、やがて旧友が戦場にやってきて、

「何をしている玄徳?」と声を掛けると、

「いや賊との乱戦で負傷してしまったのだ、歩く事も出来ん」と言い、

手押し車に乗って、ちゃっかり帰還する事に成功します。

 

こうして生き残った劉備は、賊討伐(?)の功績で

中山国中山安熹県の県尉になったのです。

 

教訓、英雄はみっともない事を超えて偉くなる

真田丸 劉備

 

家康にしても劉備にしても、かたやクソ漏らし、かたや死んだフリと

後世に名を残すとは思えないような、みっともない逸話を残しています。

しかし、それでも、ガムシャラにポジティブに運命を楽観したからこそ、

家康も劉備も、ライバルを倒して英雄として名を残したのです。

 

今、俺はみっともないなーと思っているアナタ!!

家康も劉備も、若い頃は、みっともない事をしているのです。

気にしない、気にしない、ノープロブレム♪

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

一応、家康を弁護しておくと、当時、戦場においてウンコを漏らす事は、

特別に恥ではなかったようです。

むしろ、ウンコを漏らすのさえ気が付かない程に夢中で戦ったのだと、

ポジティブにとらえられる事も多いのだそうです。

まあ、生きるか死ぬかの事態にウンコを漏らす程度は大した事無いっすね。

だったら、劉備の死んだフリも・・・あ、これはみっともないわ。

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。

もちろん、食べるのはサーモンです。

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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