【建安文学】文学史に残る名文を記した陳琳の魅力ってなに?




文聘

 

三国志の時代は戦がメインとなっており、

戦いに参加している武将や軍略をもって戦の勝利に貢献した軍師などに

注目が多く集まっております。

しかし!!三国志は戦だけが魅力ではないと思うのです。

この時代は文学史に残る時代であることを知っておりましたか。

今回は建安文学を支えた七人の一人である陳琳(ちんりん)の魅力についてご紹介しましょう。

 

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建安文学って一体どんな文学

曹操 詩

 

陳琳の魅力を語る前に建安文学って一体なんなのでしょうか。

建安文学は詩人である曹操(そうそう)が作り上げた文学です。

当時は儒教によって詩を作る際、ガチガチに型が作られており

この型からいつだつした詩が評価されることはありませんでした。

そこで曹操は「ガチガチに凝り固まった型通りに詩を作っても面白くないじゃん」と

言って儒教によって定められた詩のルールを排除して、

各々好きなように詩を作ることを天下に向けて公言したことがきっかけでできた文学です。

ざっくばらんですが上記のような理由により曹操が制定した時代が建安時代であったことから、

建安文学と後世に言われるようになります。

この建安文学で優秀な人物七人を建安七子と言って歴史に名を残すことになります。




建安文学の七子とは

竹林の七賢

 

建安文学の七子とは今回の主人公である陳琳を含めて、王粲(おうさん)、孔融(こうゆう)

徐幹(じょかん)、応瑒(おうとう)、劉楨(りゅうてい)、阮瑀(げんう)の優れた文学者をまとめて、

建安の七子と言われます。

ここから陳琳の魅力についてご紹介しましょう。

 

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陳琳の魅力その1:曹操の悪口を書かせたら天下に右出る者なし

竹林の七賢 wiki

(写真引用元:竹林の七賢 晋時代のレリーフ拓本)

 

陳琳は初めから曹操に仕えていた人物ではありません。

彼は河北の覇者である袁紹に仕えておりました。

袁紹の元で色々な文章を書く仕事に携わっておりました。

その後河南の曹操と決戦する際に彼は袁紹に

「檄文を書いて天下の諸侯に曹操と敵対するように伝えましょう。」と進言。

袁紹は彼の提案を受け入れて檄文を書かせます。

この激文は曹操のおじいちゃんやお父さんについての辛辣な悪口が書かれ、

曹操についてもかなり激しく悪口が書れておりました。

この陳琳の文章は「文選」と呼ばれる本に記載されるほどの名文でした。

しかしこの陳琳の文章を見た曹操は激怒。

その怒りは長年悩まされていた偏頭痛が止まるほどでした。

曹操の悪口を書かせたら当時の時代で彼に勝る者はいなかったでしょう。

曹操は袁紹に大勝利を収めると捕虜になった陳琳が曹操の前に引きずり出されます。

この時曹操の家臣は陳琳が処断されるであろうと予想しておりましたが、

曹操は陳琳に一言「じいちゃんやオヤジの悪口を書かなくてもいいだろう」と恨み言を吐いて、

彼を許してしまいます。

こうして陳琳は曹操の配下となります。

 

陳琳の魅力その2:赤壁の戦いや烏桓討伐戦に向かう兵士を鼓舞する歌を作る

曹操と魏軍と呉軍

 

陳琳は曹操に降伏した後も文章に携わる仕事を行っておりました。

河北統一を行った曹操ですが袁家の兄弟が烏桓に逃亡したことを知ると、

河北の政治に禍根を残す可能性のある袁家の子息を滅ぼすため、烏桓討伐へ向かいます。

この時陳琳は過酷な行軍に兵士や将軍が負けないように士気を高める激励の歌を作成。

この歌は「神武賦(しんぶふ)」と言われこの詩も「文選」に選ばられております。

また赤壁の戦いの時には疫病が蔓延する曹操軍を励ますために詩を作っており、

この詩も「文選」に収容されており、当時としてはかなりの文学者であったことが伺えます。

 

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陳琳の魅力その3:曹操の頭痛を治すなら俺に任せろ

曹操頭痛

 

陳琳には医療の才能は全くありません。

しかし彼の文章がきっかけで一人の病が一時的にですが治ってしまうことがあったそうです。

その人物とは曹操孟徳です。

彼は長年偏頭痛で悩まされていたのですが、陳琳が仕事で上げてくる文章を読んでいると

その文の爽快さがきっかけとなって頭痛をしばしば忘れさせていたそうです。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

今回は建安七子の一人である陳琳の魅力についてご紹介しました。

三国志は戦が多くてつい武将や軍師にばかり目を行ってしまいがちですが、

文学面でもこの時代は大きく変化のあった時代でした。

その為多くの名文が残っており、

この名文からも三国志の時代を伺うことが出来る貴重な資料となっております。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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