元祖そこまで言って委員会!孔融と禰衡の議論がカオス

2016年8月23日


 

孔融

 

あの孔子(こうし)の二十世に当たる大学者にして

超変人として知られる孔融文挙(こうゆう・ぶんきょ)。

彼が曹操(そうそう)さえも持てあました天下の奇人、

禰衡(でいこう)とマブダチだった事はよく知られています。

そんな天下の奇人二人は、世に蔓延る綺麗事をバッサリ切り捨てる、

「元祖そこまで言って委員会」をやっていた事が判明しました。

今回、ブッタ切るのは、親孝行についてです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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親子の情愛、クソ喰らえ!あんなもの親父とお袋がピーして・・

孔融と禰衡

 

孔融「やあ、兄弟、久しぶり、元気だったかい?」

 

禰衡「おう、ブラザー、俺はいつでも絶好調だぜ!」

 

孔融「実は俺、最近、ムカついている事があるんだが、

聞いてくれよ兄弟・・」

 

禰衡「そいつは、なんだいブラザー?」

 

孔融「親孝行ってヤツあるじゃん!あれって超ウザくねェ?」

 

禰衡「超ウザいね、今すぐ脱ぎたい位にウザいね!」

 

孔融「例えばさ、、親が子供を思う気持ちは海よりも深いとか

あいつら、説教くさく言ったりするじゃん」

 

禰衡「するね、するする、暑苦しいぜ、脱いじゃうぜ!」

 

孔融「ぶっちゃけ、子供は両親の愛の結晶だとか言うけど、

本当は、ある時、酔った親父がお袋見てムラムラ来て

ピーしてピーで出来ちまったのが俺達だろう?」

 

禰衡「同感だぜブラザー、最初にピーあり気だよな」

 

孔融「そうして、何回目かのピーで偶々出来たのが俺達なのに

デカイ顔して恩着せがましい態度をすんじゃねーっての!」

 

禰衡「そうだー!誰が産んでくれなんて頼んだよ!

勝手に産んでおいて、デカイ顔するなー」

 

孔融「お袋の事だって、俺達がお腹にいるのは、

例えば、甕の中に水が入っているようなもんじゃん?

そこには偶々水が入っていただけ、水をこぼせば離ればなれになる

母子なんて、そんなもので全部偶然なんだよな」

 

禰衡「その通りだぜ!!血縁なんて言ってもただの偶然なんだ、

飢饉になったら、くだらない親なら飢え死にさせて、

他人でも有能なヤツを助ける方がよっぽどいいぜ!!」

 

孔融「さすが兄弟、話がわっかるゥ~」

 

禰衡「あったり前だろ、お前のブラザーだぜ!」

 

孔融・禰衡「苦情上等!!かかってこいやー!!」

 



それは、後漢書 孔融伝に実際にある 孔融非孝

朝まで三国志 kawauso

 

皆さんは、上に書いてある内容を、

またkawausoが嘘を書いている等と思うかも知れませんが、

これは、後漢書、孔融伝で実際に孔融が言った孔融非孝

kawausoが例によって少しアレンジしたものです。

 

書き下し文だと、以下のような感じになります。

 

「父

実に 発せ

例え 、出 み」

 

このように、孔融の主張は、

「親子の絆なんか嘘っぱちなんだぜ!」というような過激なものでした。

親孝行は儒教の根本ですが、それを孔子の子孫の孔融が否定してしまうのが

何とも痛快な話です。

 

孔融は虚礼が蔓延る後漢の末期を批判した

そこまで言って委員会03 孔融と禰衡

 

しかし、孔融は、何も面白半分で親孝行を批判したのではありません。

そこには、当時の中身が伴わない上辺だけの「孝」の蔓延がありました。

当時の人材登用は、考廉だったり茂才だったりしましたが、

本なんか何も読んでない人間でも、見せかけの儒教的な行いだけで、

登用が決まってしまうという現実があったのです。

 

そして、選ぶ方も、そういう偽善を知りながら選んでいるので、

孔子の子孫である孔融は我慢できず、

 

そこまで言って委員会04a 孔融と禰衡

 

「そんな嘘くさい偽善を繕うなら、こっちはもーっと!

身も蓋もない事を言ってやるぜ!ゲロゲロ」

 

と過激でロックな反撃に出たという事でした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

1800年前の儒教全盛時代に、こんな言いたい放題をした

孔融と禰衡ですが年齢は20歳も孔融が年上でした。

ところが、禰衡の才能を愛した孔融は彼と対等に付き合い、

呼びかけは、お互いに汝(うぬ)だったと言います。

 

汝はお前、或いはブラザー的な対等な言葉遣いです。

これ程に人の才能を愛する孔融に感激した禰衡は、

孔融の悪口を言う事は全く無かったのです。

 

色々、嫌われモノだった二人ですが、外見や上辺の礼ではなく、

お互いの才能だけを重んじたという点では、なんとなく、

現代人に近い部分を感じてしまいますね。

 

孔融の言いたい放題は、やがて晋の時代には世の中の表面的な事象に囚われず、

静かに物事をありのまま見つめる清談として発展していきます。

禰衡も、孔融も新しい時代に大きな影響を与えたパイオニアだったのです。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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