ガシュガル・ホータン連合軍を率いて戦い続けた後漢の武将・班超

2017年1月19日


 

班超

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」のことわざで有名な班超(はんちょう)は、

西域の国々を漢へ従属させることに成功します。

こうして漢と西域の国々は国交を持つことになるのですが、

帝が亡くなると再び西域は戦乱に巻き込まれることになり、新しい漢の帝は西域を放棄。

この決定を知った班超は西域諸国から泣きつかれた事がきっかけで、

少ない部下たちと共に西域に残って漢に従属した国々を守るべく、

戦い続けることになります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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漢から孤立してひとり戦い続ける

火を放つ班超

 

班超は漢との連絡が途絶されると西域で漢へ味方してくれていた国と連携して、

匈奴の味方となった国と戦いを始めます。

彼は匈奴軍が味方している国へ攻撃を仕掛けてくると、

部下である30人と共に各国間を駆け回って戦場へ趣き、現場を指揮します。

こうして五年間匈奴と戦いを繰り広げていたある日思わぬ吉報が舞い込んできます。

 

本国漢から援軍がやって来る

 

 

班超はガシュガルに攻撃を仕掛けてきたコモク国の軍勢を打ち払った後、

部下が本陣へ駆け込んできます。

その部下は班超へ「殿。漢の旗を掲げた軍勢がこちらに向かってきます。」と喜びの表情を

浮かべて報告してきます。

彼は急いで本陣から出て城壁から外を望むと「漢」の旗を掲げた軍勢がやってくるのを

目にすると急いで城門を開かせて、漢からの援軍を迎え入れます。

彼は帝がなぜ援軍を送ってきたのか知りたく、援軍を率いてきた将軍へ訪ねます。

するとその将軍は「私は詳しい状況は知りませんが、

上司から「班超が孤軍奮闘して西域で戦っているからそれを助けてやれ」と伝えられました。」と

述べます。

班超はこの将軍の話を聞いて危うく涙を流しそうになりますが、

西域を放棄したはずの漢が援軍に来てくれた事を非常に喜びます。

そしてこの漢からの援軍がやってきたことで事態は少しずつ班超に有利な状況へと

変質していくことになります。

 

ガシュガル・ホータン連合軍を率いて西域平定戦を行うが・・・

 

 

班超はガシュガルを本拠地に据えて、ガシュガル周辺の西域諸国を漢の援軍と共に

攻撃していきます。

漢の援軍が到着してから五年でガシュガル周辺の国々は漢へ服従。

そして班超はガシュガルとホータンの2国の軍勢を率いて、

莎車(さしゃ)国へ攻撃を仕掛けるべく進軍を開始。

進軍を開始して数日が経った頃、驚くべき知らせが班超の元へ入ってきます。

その知らせとは長年共に戦ってきた盟友であるガシュガルの王が莎車王に味方するため、

反旗を翻します。

班超はこの知らせを聞くと、莎車への攻撃を中止してガシュガル討伐へ向かいます。

この時彼は反旗を翻したガシュガル王を廃立して新たな王を擁立します。

 

ガシュガル討伐戦

 

班超はガシュガル王が篭る鳥即城へ攻撃を仕掛けます。

しかしガシュガル王である忠が篭る城は意外にもしっかりと防備が施されている為、

中々陥落させることができませんでした。

そしてこのガシュガル王である忠を救援するために康居国が大軍を率いてやってきます。

班超はこの軍勢がやってきたことが原因で、

ガシュガル王が篭る鳥即城を陥落させることができずに撤退することになります。

 

康居の軍勢を撤退させる

 

班超はガシュガル城へ撤退すると康居の軍勢を撤退させるために、

康居と同盟していたクシャーナ朝へ多くの贈り物を贈ります。

この贈り物攻撃を数ヶ月続けた後彼自らクシャーナ朝へ出向いてこの国の王であるヴィマ・タクトに

「王と同盟している康居の軍勢をガシュガルから撤退させて欲しいのですが、

撤退してくれるように働きかけてもらえないでしょうか。」と要請。

ヴィマ・タクトは班超の提案を受け入れてるとすぐに、

康居国の王へ兵をガシュガルから撤退させるように要請します。

康居の王はクシャーナ朝とは親密に付き合っていたこともありその関係が壊れることを恐れ、

鳥即城に駐屯していた自国の兵士すべて撤退させます。

康居の軍勢が撤退した事を知った班超はすぐに兵を出陣させて鳥即城を攻撃。

そして鳥即城を陥落させ、元ガシュガル王であった忠を処断しガシュガルの統一に成功。

 

莎車討伐戦

筆を握り満足できない班超

 

班超はガシュガルを再度統一すると再び莎車国討伐へ向けて軍勢を出陣させます。

この時莎車国は西域の諸国へ要請して援軍を出してもらい、

連合軍を形成して班超の討伐軍迎撃の準備を完成させます。

班超は敵が連合軍を形成して迎撃準備をしていることを知り色々な策を用いて決戦に臨みます。

そして連合軍VS班超軍は平地で激突しますが、

班超が決戦前に施した作戦が功を奏して敵軍の攻撃力が弱まった時に一気に総攻撃を仕掛け、

この戦いに大勝利を収めます。

そして莎車国はこの戦いに敗北してことによって漢へ従属することになります。

 

 

亀茲国討伐戦

 

 

明帝が亡くなると漢へ服属していたガシュガルへ攻撃を仕掛けてきた亀茲国。

その後この国は積極的に班超へ攻撃を仕掛けていくも彼が篭るガシュガル国を

陥落させることができませんでした。

班超は漢の援軍を得ると西域諸国を次々に陥落させて行くことに成功し、

ついに亀茲国へ攻撃をしかけるべく、討伐軍を率いて亀茲国へ攻撃。

亀茲国は必死に抵抗しますが班超率いる大軍に為すすべもなく敗北し、

漢へ降伏することになります。

亀茲国を降伏させた班超はこの国の王を廃立し新たな亀茲国の王を立てます。

その後元亀茲国の王は漢の首都洛陽へ送ります。

そして班超は亀茲国の主要都市に常駐し、ガシュガル国には部下である徐幹(じょかん)を

常駐させることにします。

その後西域に割拠して漢に背いていた諸国を討ち平らげて、

西域のほとんどを制圧することに成功します。

 

夢が叶う

 

漢の和帝は班超へ使者を送ります。

班超は帝からの使者がやってくると丁重にもてなした後要件を伺います。

帝の使者は班超に「お主の長年に渡って西域での活躍見事である。

朕はお主の功績を称え西域都護(せいいきとご=西域全てを統括する役職)に

お主を任ずると共に定遠侯の位を下賜する。今後も西域の事を頼む」との仰せである。」と

伝えられます。

班超はこの言葉を聞くと大いにかしこまって「ありがたき幸せ」とこの任命を喜びます。

こうして青年期から夢見ていた列侯の仲間入りをついに果たすことになります。

 

西域を離れる

 

 

西域で戦い続けること30年。

班超は大いに活躍して西域に彼の名前を知らない者がいないほどその名を轟かせておりましたが、

彼は老齢で西域都護の任務に耐え切ることができないと考えておりました。

そこで漢の帝へ「私も西域にあること30年。体は老い陛下からいただいた任務を全うすることが

できなくなってきました。

そこで漢へ帰郷したいと考えておりますがお許しいただけますでしょうか。」と上奏。

漢の和帝は班超のこの上奏を受け入れて、彼を漢へ帰還することを許可します。

こうして西域で一時は漢から放棄された西域で孤軍奮闘を重ねて、

ついに西域全域の平定に成功するドデカイ功績を残した班超はこの地をさることになります。

 

班超無き後の西域

馬騰

 

班超は西域から居なくなり代わりの者が西域都護に就任することになります。

しかし涼州での異民族である羌(きょう)族が漢へ反乱を起こしたことがきっかけで、

西域への影響力が弱まってしまいます。

また新しい西域都護は罪を犯してしまったことがきっかけで、

西域の国々は再び反乱を起こしてしまうことになってしまいます。

せっかく班超が30年もの月日をかけて平定した西域は、

一瞬にして漢へ背くことになってしまいます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

30年見知らぬ土地で戦い続け義に熱い男である班超。

彼は軍人としてその能力をいかんなく発揮した武将ですが、

青年期は文学者として勉学に励んでおりました。

そのため後年彼は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」のことわざ等を作り出した人物としても

有名になります。

ここでは少し班超が作り出したことわざをご紹介していきたいと思います。

班超伝に記載されていることわざとして「水清ければ魚棲まず」があります。

この意味は清廉潔白が過ぎてしまうと人が親しんでこないという意味で、

彼は新しく赴任してきた西域都護に西域を収める際のコツはないかと尋ねられます。

すると彼は「漢の法律を適用して西域の国々を締め付けるのではなく、

西域諸国に対して寛大に要点だけを占めていけばいいのではないかと思います。」と

アドバイスをさずけた時にこのことわざが生まれます。

新任の西域都護は班超のアドバイスを聞きますが、彼のアドバイスを全く実行しなかった事が

原因で西域諸国に反乱を起こされてしまいます。

他にも彼は四字熟語を残しており「燕頷虎頭(えんがんことう)」という言葉を残しております。

これらのようなことわざを後世に残し西域平定を成し遂げた班超ですが、

彼は首都洛陽へ帰還すると余生をたしむことなく、

今までの疲労が出たのか一ヶ月後に亡くなってしまいます。

「今回の後漢のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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