キングダムにおいて、春申君(しゅんしんくん)を暗殺し媧燐(かりん)を
宰相に引き上げた男、李園(りえん)。
元々は春申君の食客でありながら、妹を巧みに春申君に献上して懐妊させ、
春申君と結託して、子供の無い孝烈王の後継ぎにするなど抜け目ない人物ですが、
史記の記述が乏しく伝も無いので、宰相に上っても長く権力を維持できず
後には、誅殺されたのではないか?と考えられています。
では、真実の李園は、キレ者だったのか?もしくは時流に乗った、
ただの小者だったのでしょうか?
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春申君の食客から宰相に上りつめた男
史記の春申君列伝では、李園は、元々、春申君の食客から登場します。
そして、美貌の妹を春申君に献上して覚えが目出度くなり、
後に、妹が懐妊すると、春申君と謀り、事実を隠して子供のいない、
楚の孝烈(こうれつ)王の妃にして出産させます。
紀元前238年に孝烈王が死去すると、李園は春申君がいつか、
王の出生の秘密をばらすのではないかと疑い、刺客を放って殺そうとします。
春申君は、李園を小者と見ていてろくに警戒しなかったので、
棘門で李園の刺客に遭遇し、成す術なく殺されて体はバラバラにされ、
荒野に捨てさられてしまいました。
李園は、時を移さずに春申君の一族を全て滅ぼしています。
そして、妹が産んだ王子は、楚幽王になります。
キングダムの話では、春申君が直前で変心し、殺人が趣味の孝烈王の
王弟を王に立てようとした事から、妹が殺される事を恐れた李園と対立。
お互いに刺客を立てて殺し合い、最期には李園が勝ち残るので、
史実とは、少し違いますが、大筋では同じです。
出土した戦国縦横家書から、李園のその後が判明
自分の妹の子を王に就けた後、李園の記録は史記から途絶えていました。
その為に後世の歴史家から李園は権力を維持できず誅殺されたと見られ、
李園は、偶々時代の風に乗った人であるように見られていましたが
その後、戦国従横家書(せんごく・じゅうおうか・しょ)という文献から、
李園のその後が判明したのです。
ここには、小者と見られた李園のイメージを覆す逸話が残っていました。
秦の将軍、辛梧を欺き楚への侵攻を遅らせる李園
紀元前235年、秦は魏と連合して辛梧(しんご)という
将軍を派遣して楚を攻めようとします。
それを知った李園は魏に向かおうとする辛梧を呼び出して
楚を攻めるのを止めさせようとしました。
李園「昔、秦の将軍の井忌(いい)は趙に派遣されて
燕を攻め二城を落しました。
燕(えん)はこれに対抗して蔡鳥(さいちょう)が
秦の相国、呂不韋(りょふい)に賄賂として河間の十城を献上します。
そして、趙との同盟を解消して趙を攻めるようにお願いしたのです。
呂不韋は、一転して趙に圧力を掛け、趙にいた井忌は追い込まれ、
趙を逃れて秦に戻りますが、呂不韋に誅殺されました。
いかがでしょう将軍?あなたが我が楚を攻めると、
私が蔡鳥と同じ事をしないと言い切れるでしょうか・・」
辛梧は青くなり、どうすればいいでしょう?と尋ねます。
李園は「簡単な事です、あなたは魏に向かい、何もしなければいい
それだけであなたは、重んじられましょう」と回答します。
辛梧は、半年間、魏に行っても動かず、ようやく楚に出兵しますが、
これといった手柄もなく帰還しています。
おそらく、李園が動かないように適当に戦い手柄を立てないように
配慮したのだと思います。
キングダムウォッチャーkawausoの独り言
一兵も損ねる事なく、秦将、辛梧を翻弄して時間を稼いだ李園、、
この一事を見ても、李園がただ妹の美貌だけで成りあがった小者では
ないという事が分ります。
キングダムの原作者の原先生も、この戦国従横家書を読んで李園のイメージを
固めたそうですので、この逸話は少し形を変えて漫画にも登場するかも
知れませんよ。
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