媧燐(かりん)は実在した?ベトナムの女桀と呉の陸胤の戦いの意外な決着

2016年6月18日


 

 

ベトナムの国営メディアは、中国と領有権を争っている南沙諸島の

クアテロン礁付近で漁船が中国の船に追われる映像を公開しました。

それによると中国の国旗を掲げた高速船が、ベトナム漁船に近づき、

領海からの退去を勧告、それに従わずに航行を続ける船に高速船は、

銃を向けて威嚇し、その後1時間追跡されたそうです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



過去二千年の因縁があるベトナムと中国

 

中国とベトナムは、二千年もの間の因縁がある国同士です。

ベトナムの歴代王朝は、中国王朝に臣従したり背いたりを繰り返しています。

最近では、1979年、中国が支援していたカンボジアのポルポト政権を

ベトナムが軍事侵攻で崩壊させた事で、中共は報復としてベトナムに侵攻

中越戦争になりますが、ベトナム戦争で鍛えられたベトナム軍に敵わず

1か月程度で撤退しています。

 

今回の南沙諸島問題でも、ベトナムはそう簡単に引き下がらないでしょう。

 



交州で反乱を起こした趙氏貞

 

漢の時代に入ると、武帝(ぶてい)は、ベトナム北部を支配下においていきます。

そこには、漢民族が南下して入植し、土着化が発生しました。

つまり混血した漢越人の支配勢力が発生したのです。

 

後漢末の動乱の時代に入ると、交州が置かれた北ベトナムでも、

漢民族の支配に抵抗する運動が発生します。

 

孫権

 

西暦248年、当時、交州を支配していた呉の孫権(そんけん)政権に対して、

反乱を起こした、九真郡の趙氏貞(ちょうしてい)もそうでした。

 

関連記事:沙摩柯(しゃまか)武蛮族の王|甘寧を討ち取り呉を恐怖に陥れる

関連記事:エリート袁術が逃げ込んだド田舎の揚州に住む異民族とはどんな民族だったの?

関連記事:孟獲(もうかく)はインテリ男子?南蛮征伐は孔明と孟獲のヤラセだった件

 

リアル媧燐か、身長2メートルでナイスバディな趙氏貞

 

 

この趙氏貞、女性ですが、流石に呉に反乱を起こすだけあり、

並みの女性ではありませんでした。

15世紀に記された大越史記全書の注釈によれば、

趙氏貞は身長9尺、バストの長さ3尺で背後に及び、

常に戦象に乗り敵と交戦するとあります。

 

身長は、当時の尺でも2メートル程あり、バストの長さは60センチ以上、

趙氏貞は、大きすぎる胸を鎧に収めきれず、肩の方に回したそうです。

 

交州は、大昔の楚の領域ですし、

たしか、合従軍編では媧燐(かりん)も戦象を使っていました。

また、それ以外にも色々なデカさを考えると、

趙氏貞は、まるで、キングダムの媧燐の実写版のようです。

 

反乱を起こした時、趙氏貞は、23歳だったそうですから、

まさにナイスバディ、そして巨大な美丈夫と言えるでしょう。

 

関連記事:「楚」ってどんな国?キングダム戦国七雄を徹底紹介

関連記事:キングダム 楚の宰相、春申君の最後が残念すぎる

関連記事:漢の400年は、たった8年の激しい戦いから生まれた?三国志の前哨戦、楚漢戦争!

 

象に乗り暴れまわる趙氏貞に、呉から陸胤が出陣

 

趙氏貞は、兄の趙国達と共に、九真郡から反乱を起こします。

戦象を操る趙氏貞は連戦連勝で、麗海婆(れいかいばおう)と

呼ばれて恐れられました。

 

事態を重く見た、孫権は陸胤(りくいん)を派遣して

反乱を鎮圧に当たらせます。

陸胤について、詳しい事は分りませんが、

呉で陸氏なら陸遜達と同族であろうと思われます。

 

陸胤は交州刺史として、軍を率いて奮戦、

半年の戦いの間に趙氏貞は、次第に追いつめられていきました。

 

関連記事:三国志の時代に象兵はいたの?

関連記事:井の頭自然文化園の象「はな子」にまつわる光と影&三国志時代の英雄は猛獣をどう扱っていたの?

関連記事:三国志で一番の悪酔い君主は誰だ?【酒乱ランキング】

 

趙氏貞との対戦で陸胤が、まさかのセクハラ攻撃!!

 

さて、この趙氏貞と陸胤の軍が対峙した時に、陸胤がまさかの

セクハラ攻撃で勝利したという伝説があります。

 

それによると、陸胤は、どこからか、趙氏貞がバージンであり

男を知らないという情報を聞きつけました。

そして、戦が始まるや、いきなり全裸でフリチンになり、

趙氏貞に対して突撃を開始したのです。

「はっはっは!貴様の象さんとワシの象さんと、

どちらが凄いか決着をつけてやる!」

 

趙氏貞は、フルチンの陸胤を見てパニックになり、

一時期、指揮を執る事が出来ませんでした。

その為に趙氏貞の軍は陸胤に敗れ、彼女も戦死したとの事です。

 

それが本当なら、陸胤は、まさに禰衡2世という所です。

当然、彼女の死因には、異説があり、敗北して海に身を投げたとも、

象から落ちて、象に踏まれて死んだとも言われています。

 

それにしても、趙氏貞のビジュアルは媧燐によく似ています。

もしかして、原先生は、彼女をモデルに媧燐を創造した・・

という事かも知れませんね。

そう言えば、媧燐も頬を赤らめたり、妙にウブな所があったような

 

関連記事:これぞゲスの極み!ぶっちゃけ王騎(おうき)将軍の年収はいくら?

関連記事:【これだけ読めば大体わかる】山崎賢人主演!キングダム実写化の内容を大胆予想!

関連記事:キングダムでお馴染みの秦の函谷関ってホントに難攻不落だった?函谷関に隠された秘密

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-春秋戦国時代
-, , , , ,