何で武田晴信は長尾景虎との対決を避け続けたの?

2017年2月1日


 

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真田丸02(武田信玄)

 

武田晴信(たけだはるのぶ)は北信濃最大の豪族である村上氏の本拠地陥落に成功します。しかし村上氏は本拠地から逃れて長尾家へ逃亡し、長尾家当主である長尾景虎(ながおかげとら)に北信濃のへ出兵して欲しいと懇願します。

 

上杉謙信

 

この懇願を聞いた景虎は軍勢を率いて北信濃へ向けて出陣を行います。晴信は景虎との直接対決を避け続けていたそうですが、彼はなぜ景虎との戦いを避け続けていたのでしょうか。川中島前半における晴信の挙動をおってみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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長尾景虎動く

上杉謙信

長尾景虎は村上義清(むらかみよしきよ)の要請を受けて越後(えちご)を出陣して、北信濃へ向かいます。この時晴信も越後勢を迎撃するべく出陣しておりますが、景虎との直接対決を行うことをしないで信濃の領内防衛に努めておりました。景虎は晴信が出てこない為、北信濃の武田方の豪族達の居城を攻撃して陥落。

 

武田信玄-vs-上杉謙信

 

景虎はその後も北信濃で暴れまわることと数十日、晴信が出てこない為越後へ帰還します。晴信は越後勢が帰還したことをするとすぐに出陣して、攻略された領土を奪い返すことに成功しております。こうして武田・長尾の領有対決は見送られることになり、第一回川中島の戦いは終結することになります。

 



晴信の逆襲

梅干しと酒を楽しむ上杉謙信

 

晴信は景虎と直接対決することはしませんでしたが、調略によって逆襲を図ります。彼は越後の豪族である北条(きたじょう)景広(かげひろ)へ調略を行い、影虎に反乱を起こすように仕向けます。この調略は成功し、景広は影虎に叛旗を翻すことになります。景虎は北条景広が反乱を起こしたことを知ると急いで反乱軍を鎮定。

 

武田信玄が作った甲陽軍鑑

 

そして晴信は景広を降伏させたことでこの反乱は幕を閉じることになるのですが、この時景虎は景広に「なぜ反乱を起こしたのか」と問いただします。すると景広は「甲斐の武田家から援軍が来る予定でしたが、奴らわしらを見捨てたのです。」と怒りをあらわにして訴えます。このことを知った景虎は晴信へ強い怒りを覚えることになります。

 

第二次川中島の戦い勃発

上杉謙信

 

景虎は景広をそそのかした武田家に強い怒りを覚え、再び北信濃へ向けて出陣。晴信は景虎が再び信濃へ出陣したことを知ると北信濃の豪族で善光寺別当(ぜんこうじべっとう)である栗田氏を善光寺近くの旭山城(あさひやまじょう)に入城させ、景虎軍からの防衛をさせます。また晴信も自ら軍勢を率いて北信濃へ向けて出陣。そして旭山城に対抗して葛山城を構築して長期戦の構えを見せます。こうして第二次川中島の戦いが勃発することになります。

 

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

しかしこの戦いでも晴信は終始越後勢との決戦を行うことをしないで防衛に努めます。両軍の対立は4月に始まったのですが、7月になっても決着を見ることはありませんでした。

 

合戦シーン(戦国時代の戦・兵士・モブ)

 

そのため晴信は同盟していた今川家に要請を出して和睦の仲介に立ってもらうようにお願いします。

 

今川義元

 

今川義元は晴信の要請を受けて武田・長尾両者の和睦の仲立ちに立つことにします。こうして両者は今川義元の仲介によって和睦が成立したことがきっかけで、撤退することになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

晴信はなぜ景虎へ決戦を挑まなかったのでしょうか。その原因は決戦を行ったことによって起きる人的損害と敗北時の影響を考えてのことです。晴信と景虎が一大決戦を行った場合、勝ったとしても人的損害は計り知れないほどのダメージを受けて国力は低下することになるのでしょう。

 

黒田レン

 

また敗北してしまった場合、せっかく苦労して手に入れた信濃全域に及ぶ影響は計り知れず、もしかしたら信濃の大半を失う事になるかもしれません。このようなことを考えた晴信は長尾家と一大決戦をすることを避けて、駆け引きに終始することで結果的に勝利に持っていくことを考えていたのではないかと思います。

 

参考文献 信玄の戦略 中公新書 柴辻俊六著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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