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人材大好きの曹操が欲しがるほどに惚れた敵将は誰?

2017年2月14日


 

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曹操の三顧の礼05 曹操、荀彧

 

人材コレクターの曹操。その旗下にはかつて敵だった猛者たちでひしめいています。

人徳の塊のように云われている劉備ですが、

その魅力で敵軍から引き抜いた武将は、曹操に比べると少ないのではないでしょうか。

 

司馬朗 曹操

 

後世の人間たちから悪人扱いされることの多い、ヒール役の曹操。

でも実は三国志史上最強のカリスマなのかもしれません。

今回はそんな曹操が欲した敵陣の将たちについて触れていきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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やっぱり劉備

曹操と劉備

 

曹操はその生き様から敵をたくさん作っていますが、最大のライバルは劉備とされています。

これは「三国志演義」の主人公が劉備であるということが最大の理由です。

日本の戦国時代でいうところこの武田信玄と上杉謙信のような拮抗していた勢力ではありません。

曹操の方が圧倒的に強かったというのは疑うべくもないのです。

劉備は徐州で負け、汝南で負け、荊州で負けています。

それでもなお曹操に牙をむいた劉備の自立心は並々ならぬものがあります。

曹操はそんな劉備の性質を始めからわかっていたようです。

曹操旗下の郭嘉や荀彧なども劉備の危険性は把握していました。

 

劉備 曹操

 

それでも自分を頼ってきた劉備を殺さずになんとか幕舎に加えたいという一心で、

曹操は劉備に対します。

自分にないものを持っている劉備に魅力を感じたのではないでしょうか。

それは劉備の謙虚さと、命に代えてでも志を遂げようとする崇高な意志でしょう。

おそらく曹操が一番欲した人材は劉備だったと思われます。

 

蜀の法正

法正、夏侯淵

 

曹操は漢中の戦いにおいて劉備に破れます。

世にいう「定軍山の戦い」です。この戦いで曹操は重臣でもあり血縁者でもある夏侯淵を失います。

もちろん夏侯淵を失ったことを曹操は嘆いたでしょうが、同時にこんな言葉も発しています。

「私は世の中の優能者を多く集めたが、なぜ法正だけ得ることができなかったのか」と。

実はこの定軍山の戦いの絵図を描いたのが蜀の軍師・法正だったからです。(将ではないですが……)

 

法正11

 

この言葉からもわかるように定軍山の戦いの蜀の戦術は曹操からしても絶賛に値するものだったのです。

到底劉備にはできない采配だと見抜いています。

法正はこの後、すぐに病気で亡くなってしまうので曹操の引き抜き工作はなかったようですが、

曹操がどうしても手に入れたかった人材のひとりであることは確かです。

 

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錦馬超

馬超仲間入り

 

若大将として名を馳せたのは、東の孫策と西の馬超でしょう。ともにほぼ同世代です。

特に馬超は曹操からかなり早い時期に目をつけられています。

なにせ異民族の血も受け継いでおり、カリスマ性もあって、

異民族からたいへんな人気ぶりだったからです。

しかも戦場での駆け引きも巧みで、一騎打ちでも無類の強さを誇っています。

 

五虎大将軍 馬超

 

西暦202年以降になりますが、

その功績から徐州刺史に任命されています。(赴任先には行っていませんが)。

その直前に曹操は馬超を旗下に加えようと画策しています。しかし見事に断られました。

そして西暦211年の潼関の戦いになだれ込んでいくのです。

馬超は最終的に劉備に降ることになりますので、それを聞いた曹操はかなり悔しがったと思われます。

 

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呉の天才・周瑜

周瑜の魅力

 

曹操に匹敵する天才といえば、やはり呉の周瑜があげられます。

知略に優れているだけでなく、自ら兵を率いて戦う勇将の姿も見られます。

まさに曹操の若い頃そっくりです。

もちろん曹操はこの周瑜引き抜きにも時間と人を割いています。ちょうど赤壁の戦いが起こる時期です。

曹操は周瑜をよく知る人物で、蒋幹という優れた文官を呉に送り込みます。

しかし周瑜は曹操の魂胆を見抜いていたと云われています。

周瑜が寝返っていたら赤壁の戦いでの大敗もなかっただけに、

曹操としてはこの引き抜きの失敗は悔しがったことでしょう。

 

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三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

他にも曹操に目をつけられた英雄はたくさんいると思います。

しかし曹操に手を貸すことを頑なに拒んだ者たちも多くいるのです。

曹操はおそらく「人の能力を生かす天下」を目指したのでしょうが、

なかなかうまく伝わらなかったのではないでしょうか。

私の偏見かもしれませんが、

曹操はどうも「民主主義」や「資本主義」の先駆け的存在だったように思えるのですが、

みなさんはいかがお考えでしょうか。

 

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三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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