【シミルボン】ありえん?三国志の外交交渉が頓智勝負だった

2017年2月21日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

シミルボン

※こちらの記事は「シミルボン」に配信されているコンテンツです。

 

孫権と張昭

 

外交の場は、今も昔も華やかな舞台の裏で各国の思惑がぶつかる真剣勝負です。

そのピリピリした緊張感は、映画などでも格好の材料になる絵になる場面ですね。

ところが、三国志の時代には、交渉の只中に頓智(とんち)が出される事がありました。

現代では考えられない、三国志の時代の外交交渉に迫ります。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



呉の宮廷で頓智合戦が勃発!

 

三国志、呉志、薛綜(せっそう)伝には、地位も名誉もある

大の大人達によって行われた頓智合戦が記録されています。

 

ある時、英傑、劉備(りゅうび)が興した蜀漢(しょくかん)からやってきた外交官

張奉(ちょうほう)が呉の皇帝孫権(そんけん)の前で闞沢(かんたく)という

呉の学者の名前を分解し面白おかしく揶揄(やゆ)しました。

 

はい、これは、わざと相手を侮辱して相手の力量を見ようという外交戦術です。

なので、ここで「無礼な!」と怒って刀を抜いては0点という事になります。

表面上は怒らず、頓智には頓智でやり返すのが伝統的なルールだからです。

 

しかし、闞沢という人は、学問はあっても頓智のような機転が無い人でした。

顔を真っ赤にして、口ごもっていますが何も言い返せません。

張奉は、闞沢をやりこめて得意満面で、呉の家臣達はイライラしていました。

 

呉の薛綜が、張奉に反撃する

 

ところが、ここで周囲の家臣に酒を注いでいた薛綜(せっそう)が

張奉に酒を注ぎながら反撃を開始します。

 

「いやー、蜀という漢字はヘンテコなものですなあ、犬とつけると

獨(孤独)になり犬をどければ蜀になりますなぁ・・

目という文字は横を向いておりますし、背中は丸くしょぼくれて勹)

おまけに腹の中には虫がいるじゃあないですか?」

 

この発言に呉の宮廷はどっと沸きあがり、闞沢は救われました。

国名で恥をかかされた張奉は見た目、平静を装いながら言い返します。

 

「これは、これは、我が国の字を分解していただき有り難う御座います

ところで、呉の国の字を分解するとどうなりましょうや?」

 

薛綜が呉の字を分解して解説する

 

すると薛綜は、少しも慌てずにこう言います。

 

「しからば、お言葉の通りに致しましょう

そもそも、呉の文字は、口と天に分れております。

すなわち、口が離れれば天、口がくっつくと呉で御座います。

口とは人の事であれば呉は天子の国であり、

万民万邦が等しく仰ぐ偉大な国ですぞ」

 

鮮やかな薛綜の物言いに呉の家臣達は拍手喝さいし、

張奉は、何も言い返す事が出来ず、面目を失いました。

 

この時代の外交官には、知力や胆力だけでなく明快に頓智を言う

ユーモアや相手の謎かけを解く才能も要求されたのです。

 

漢字遊びは謎語と呼ばれていた・・

 

このような漢字解きは、謎語(めいご)と言われていて、

三国志の時代には結構、盛んに造られていました。

 

あの三国志の覇者である曹操(そうそう)も謎語が大好きで、

ある時、北方から送られた酥(らく:ヨーグルト)を食べると、

蓋の上に「一合酥」と書いてどこかへ行ってしまいました。

 

家臣達は集まってきて、「一合酥」と書かれた蓋を前に、

しばらく考えていましたが、やがて謎が解けました。

 

一合酥という漢字を分解すると・・

 

一合酥という漢字を分解すると一+人+一+口+酥となります。

つまり曹操は、残りの酥は一人、一口ずつ食べなさいと伝言していたのです。

このように戦争ばっかりやっているように見える三国志の時代でも、

知的遊びの原点のような謎語が楽しまれていたのです。

 

魏氏春秋では、孔明も司馬懿を挑発

司馬懿

 

魏氏春秋(ぎし・しゅんじゅう)という文献では、五丈原の戦いに臨んだ

蜀の丞相、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が、

ライバルの司馬懿仲達(しばい・ちゅうたつ)が貝のように陣地に籠り

打って出てこないのに業を煮やし、女物の装飾品を陣地に送りつけて

「お前は女のようなヤツだ!」転じて、陣に籠ってばかりの臆病者だという

サインを送ったとの事です。

 

この挑発にいきりたった司馬懿が出陣しようとして部下の辛毗(しんぴ)に

止められて何とか思いとどまったという逸話があります。

本当かどうか分りませんが事実なら、当時の外交の頓智が効いた部分が

分かる逸話と言えますね。

 

参考文献:諸葛孔明の兵法

著者: 諸葛 孔明 出版社: 徳間書店

 

シミルボン

 

【シミルボン】ありえん?三国志の外交交渉が頓智勝負だった

の続きは、「シミルボン」内のページで読めます。

続きが気になる方は、「シミルボン」にアクセスしよう!

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-