スーパーDr華佗が曹操に殺された意外な理由に涙・・

2017年3月1日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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※こちらの記事は「大戦乱!!三国志バトル」専用オリジナルコンテンツです。

 

三国志は、一人で万人を倒す猛将が登場して戦いの限りを尽くす物語です。しかし、猛将や知将達の破壊の一方で華佗(かだ)は病に苦しむ人々を救う医術の力で世の中を再生させる事に貢献していきました。

 

魏の曹操孟徳

 

彼の医術は時代を超越したもので、曹操(そうそう)は彼を主治医にしますが、ある悲しい理由で、華佗は曹操に疎まれ獄死してしまうのです。

 

華佗は徐州で遊学し次第に名を知られる

 

華佗元化は(かだ・げんか:?~208年)はどこで産まれたか分かりません。一説では、曹操と同じ豫(よ)州沛国譙(しょう)県であるとも言われています。華佗という名前も本名ではなく、先生という意味が変化したものだそうです。中国では名門は何十代にも渡り一族の名前が系図に残りますから、そこから考えると、華佗は下級身分の出身で地位は高くなかったのでしょう。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

華佗は若い頃に徐州で遊学し「経書」を学んだようです。そして、陳珪(ちんけい)によって孝廉(こうれん)という行いの良い人を役人に取り立てる制度で推挙されたり、三公の黄琬(こうえん)によって招聘(しょうへい)を受けたりしていますが、いずれも断っています。伝承によると華佗は百歳近い高齢であるにも関わらず、若々しい姿で、養生の術に長じていたようです。

 

華佗スーパーDrぶりを発揮、体操から外科手術まで・・

五禽戯と華佗(華陀)

 

華佗は、健康増進の方法として体操の元祖というべき五禽戯(ごきんぎ)を考案します。これは、熊や鳥、虎、鹿、猿というような動物の動きを取り入れた体操で毎日行う事で新陳代謝を活発にし、汗をかいて食事も美味しくなるというもので五禽戯を行うと90歳を超えても病気知らずだったそうです。

 

 

また、華佗は、麻沸散(まふつさん)という全身麻酔を施して腹部を開く外科手術を行っていたという記録もあります。それに、お酒に薬草を混ぜてお正月に飲む屠蘇(とそ)も華佗が始めたようです。このように、華佗は時代を超えたスーパーDrだったのです。

 

関連記事:五禽戯(ごきんぎ)とは何?華陀が生み出した元祖ラジオ体操が凄すぎる!

 

スーパーDr華佗の診察日記 寄生虫退治

 

神医と讃えられた華佗は、中華各地を転々としつつ、病人を治していきます。曹操に仕えた陳登(ちんとう)は生の魚が大好きでそのせいで寄生虫が胃に棲みつきます。胃の不快感でうめいていると、たまたま、近くにいた華佗が虫下しの薬を2升調合して半分づつ飲ませると陳登は口から虫を吐き、すっかり治ってしまいました。

 

しかし、華佗は、

「この病気は3年後に再発するので、その時までに良い医者を探しておきなさい」

 

と言って立ち去ります。3年経過して陳登の病は再発しましたが、近くに名医がいなかったので、そのまま死んでしまいました。

 

関連記事:【閲覧注意】寄生虫が原因の症状が怖すぎる!寄生虫で死んだ陳登(ちんとう)はじさん臨終図巻

 

スーパーDr 華佗の診察日記 怒らせれば治る

 

ある郡の大守は、重病に苦しんでいましたが、華佗が診断すると、思い切り怒らせれば治るという事が分りました。そこで、華佗は高額の治療代をふんだくりながら、ろくに診断もせずにすごし、大守が治療するように催促すると、大守の悪口を書いた手紙を残して逃げました。手紙を見た大守は怒りのあまり数升の血を吐き、それで病気は治りました。

 

スーパーDr華佗の診察日記 双子の流産

 

李通(りつう)という人の妻が流産した後に重病に罹りました。華佗が診断すると、お腹に子供が降りずに残っていると言います。しかし李通は、「すでに子供は降りた」と言って信じません。一時は回復した妻ですが、しばらくすると再び腹部の激痛を訴えます。李通が再び華佗を呼ぶと、流産した子供は双子で一人残っていて、腹部を圧迫していると診断し外科手術で、もう一人の子を取りだしました。以後、妻の病気は回復しました。

スーパーDr華佗の診察日記 何とか出来ないの?

 

小役人の尹正(いんせい)は、体が熱っぽく、喉が渇き人の声でイライラし、小便が出ないという症状に悩まされていました。華佗は診察して、「熱い物を食べて汗が出れば治ります、出なければ、泣きながら死んでしまうでしょう」と言いました。

 

尹正は、熱いモノを食べましたが、汗が出ません・・そして、華佗の診断通り苦痛で泣きながら死んだそうです。よく考えると、詰めが甘かったり、治療じゃなくて人を怒らせただけというような話もありますが、全体としては名医です。

 

曹操に名声が届き、主治医になる

 

華佗の評判は、ついに天下の3分の2を支配した曹操まで届きます。曹操は原因不明の頭痛と目まいに悩まされていたので、さっそく華佗に治療をお願いすると、華佗は針治療であっという間に治します。曹操は喜び主治医として手元に置くようになりました。でも、華佗の心は少しも晴れませんでした。

 

低い身分に絶望し曹操の元を離れる華佗

 

華佗の望みは高い官位でした、若い頃に経書を納めたのも医師として認められたいという願いからでした。ところが三国志の時代の医師は地位が低く、職人や占い師のようなカテゴリに押し込められていました。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

なまじ、鄴(ぎょう)のような華やかな都にいると、きらびやかな馬車と、多くの従者にかしずかれた高位・高官がどんどんやってきます。田舎で治療している時には、感じなかった虚しさが華佗を襲います。幾ら病気を治しても褒美があるだけで地位は低いままです。悲しくなった華佗は故郷に医学書を取りにいくと嘘をつき、曹操の元を離れてしまいます。

 

華佗の嘘を知った曹操は怒り、投獄して殺してしまう

 

曹操は華佗が戻らないので、何度か催促の使者を出しますが、「妻の看病をしている」と言うばかりで戻ってきません。曹操は華佗を疑い、部下に家を監視させると、妻が病気というのは嘘であるという事が判明しました。

 

「おのれ!華佗、ワシを騙したなぁ!」

 

処刑を下す曹操

 

曹操は華佗が嘘をついて自分から逃げた事を許せず、強引に故郷から引きずり出すと投獄してしまいました。そして、どうして自分の元から逃げたのかと執拗に追及し、荀彧(じゅんいく)が命乞いするのも聞かず、拷問の末に殺してしまうのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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