天才軍師 竹中半兵衛が編み出した鬼畜の作戦って何?


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三国志の軍師の中で天才的な軍略を持っている人物はたくさんいますが、

鬼畜のような作戦を編み出して実際に提案したの魏の郭嘉(かくか)ぐらいではないでしょうか。

彼が行った作戦というのは呂布(りょふ)が籠城している下邳 (かひ)城攻防戦で行った

水攻めくらいではないでしょうか。

水攻めのどこがひどいかというと川を氾濫させなくてはならないため、

田畑や家などが水浸しになって使い物にならなくなるため民衆にとっては非常に迷惑な作戦です。

籠城側も水攻めが行われるの知っておれば兵糧等を高い場所へ上げることもできますが、

知らなかった場合、兵糧も水浸しになってしまうためかなり厳しい状態になってしまいます。

しかし日本ではもっと鬼畜な作戦を提案した人がいました。

 

 

その人の名は竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)です。

彼はどのような作戦を行ったのでしょうか。

 

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羽柴秀吉と共に中国地方へ

 

織田信長に仕えていた羽柴秀吉。

彼は信長の草履取りから始まり、美濃(みの)攻略戦の時に築城した墨俣の一夜城や

朝倉・浅井連合軍に追い詰められた金ヶ崎の退却戦、北近江の浅井長政討伐戦などで

功績を挙げ続け大名にまで出世することになります。

秀吉がここまで成り上がることができたのは秀吉の努力と竹中半兵衛重治の智謀によってでした。

こうして大名にまで上り詰めた羽柴秀吉は信長から中国地方攻略軍の司令官に任命されます。

秀吉と軍師である竹中半兵衛は中国地方へ向かうことになります。

 

 

そしてこの地で織田に味方することを表明した

鬼謀の軍師・黒田官兵衛孝高(くろだかんべえよしたか)と合流。

こうして秀吉は官兵衛が味方につけた豪族や播磨(はりま)の大名である別所氏などに

挨拶回りを行いつつ、中国地方の覇者である毛利の動向を調査していくことになります。


叛旗を翻した別所氏

 

秀吉は官兵衛と半兵衛のおかげで播磨近辺の諸豪族達の大半は織田へ味方することを表明。

そして秀吉はいまだ織田に味方しない豪族達を討伐している最中に大事件が発生します。

それは播磨の大名であった別所氏が織田家から毛利家に寝返って反乱を起こしたのです。

官兵衛は秀吉へこの事件を報告した後急いで別所氏を再び味方につけるべく

説得しに行きますが失敗してしまいます。

秀吉は織田に叛旗を翻した別所氏を討伐するため、三木城(みきじょう)へ攻撃を仕掛けますが、

城内に籠城している軍勢は皆士気が高く、攻撃は失敗してしまいます。


半兵衛の献策

 

半兵衛は三木城にこもっている兵士達の士気がかなり高いことを知って驚きます。

彼はこのまま三木城を攻略できずに手こずっていては危険だと感じます。

彼が危険だと感じた理由は毛利氏が本格的に援軍を三木城へ送ってくることになれば、

三木城の兵士たちの士気は益々上がり、

播磨の豪族達が全て毛利側へ寝返ってしまうことも考えられるからです。

この為半兵衛は三木城を陥落させることのできる策を幾日も考え、

ついにその秘策を思いつきます。

半兵衛は自らの秘策を秀吉へ進言します。

彼が考えついた秘策とは三木城の周りを砦囲み、兵糧を運搬させないようにすることです。

彼は秀吉に「三木城を砦で囲んでしまえば城内の兵士は攻撃することはできません。

もし攻撃してきて撃退されてしまえば士気は大きく低下することになります。

また毛利軍が三木城へ兵糧を運搬しようとしても周りに砦があるため運搬することはできません。

こうして城内の兵糧がなくなるのを待っている間に、

山陰道方面の毛利の城を陥落させてしまえばいい」と進言します。

秀吉は半兵衛の進言を採用して三木城へ砦をいくつも構築して兵糧が運搬できないようにします。

そしてこの作戦は成功し、三木城は徐々に兵糧がなくなって兵の士気は低下していきます。

城内は兵糧がなくなり馬や草などを食べていたそうですが、

最終的に食べるものがなくなって秀吉へ降伏することになります。


  

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

半兵衛が編み出したこの兵糧攻めは鳥取城攻略戦にも使用され、

後に「鳥取の飢え殺し」と言われる作戦になり、

三木城の方は「三木の飢え殺し」と言われることになります。

鳥取城の方は毛利軍が籠城する前に近隣のコメをすべて買い占めたことと

城内にある籠城用のコメを買い占めていったことが原因で比較的早く決着がつきますが、

三木城は籠城戦を始めてから2年間も秀吉軍に抵抗しております。

また半兵衛は三木城の兵糧攻めが行われているさなかに亡くなってしまいます。

まさに半兵衛が秀吉のために用意した最後の策といってもいいのではないのでしょうか

 

参考文献 名軍師ありて、名将あり 小山田哲夫

 

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