【囚われた二人の友情】匈奴に囚われた李陵と蘇武の熱き友情

2017年3月7日


 

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李陵と蘇武は漢の武帝の時代に生まれ、共に漢の武帝に仕えることになります。

ふたりは同期だったこともあり互いに色々な話をしていく内に仲良くなっていきます。

そんな中、李陵(りりょう)は漢の武帝の命令で匈奴軍と戦うことになりますが、

匈奴の捕虜となってしまいます。

そして李陵の友達である蘇武(そぶ)も武帝の使いとして匈奴へ向かいますが、

使節としての役目を果たすことができずに彼も捕らえられてしまいます。

二人は匈奴に囚われの身となり、故郷である漢へ帰ることはできませんでした。

漢へ帰国することもできないまま数十年が過ぎると、李陵は匈奴の軍人として生きる道を選び、

蘇武は匈奴に降伏することを拒否し続け、

酷寒の地で漢の皇帝からもらった使節の証を大事に抱えて生きておりました。

そんなふたりですがあることが契機で運命が大きく変わることになります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武帝が死んでも驚かない

 

 

李陵と蘇武はほとんど同時期に匈奴に捕らえられてしまいます。

そして李陵は匈奴軍の王として優遇され、数万騎を率いる将軍クラスへ出世。

蘇武は匈奴の王がいくら勧めても降伏しないため酷寒の地へ流されてしまいますが、

彼はこの地で狩りをしながらたくましく生きていきます。

そんな中、匈奴に漢からの使者がやってきます。

この使者から李陵は武帝が亡くなったことを知らされます。

このことを知った李陵は少し驚きますが、

匈奴の人間として生きている以上あまり関心を持つことをしませんでした。

 



大いに嘆き悲しむ

 

 

李陵は武帝が亡くなったことを蘇武へ伝えるため、

匈奴の王から許しを得て蘇武の下へ向かいます。

そして彼は蘇武に「武帝が亡くなったそうだ」と伝えると、

蘇武は血を吐きながら大きな鳴き声を挙げて悲しみに打ちひしがれます。

李陵は蘇武が匈奴に囚われてから既に10年以上の年月が過ぎているにも関わらず、

漢の武帝が亡くなったことに対して悲しんでいる姿を見て蘇武の忠誠心の高さに驚きます。

蘇武はこうして丸一日悲しみに明け暮れた後、

李陵が持ってきた酒を共に飲んで思い出話に花を咲かせるのでした。

 

漢へ帰国することが決まる

 

 

漢の武帝の死後霍光が丞相に就任し匈奴と和睦が決まります。

漢は匈奴との和睦が成立すると蘇武を返還して欲しいと要請しますが、

匈奴は最初この要請を拒否します。

しかし漢は匈奴で蘇武が生きていることを知っていたので、匈奴に再度蘇武の返還を要請。

匈奴の王は漢の使者が蘇武が生きていることを知っていることに驚き、

蘇武の返還要請に応じます。

こうして蘇武は漢に帰国することが決定します。

 

蘇武と李陵の別れの歌

 

 

蘇武はこうして酷寒の地で過ごすこと十年数年が経過しておりましたが、

漢へ帰ることが決まり、匈奴の首都へ出向いて漢の使者と帰国日を調整。

漢の使者と蘇武は帰国する日が決まったことを匈奴の王へ報告した際、

匈奴の王から「帰国の宴会を行おうではないか」と漢の使者と蘇武へ提案します。

漢の使者と蘇武はこの提案を受けいれて宴会へ参加することを表明。

李陵は匈奴の王から「蘇武の送別会を開くから必ず参加せよ」と命令を受けます。

そして数日後、匈奴の宮殿で蘇武の別れの会が開かれます。

この席で李陵は、多くを蘇武に語ることをせずに別れの歌を蘇武に捧げます。

李陵は蘇武へ「君の功績と名声は過去の人物を超えており、

武帝が老母を殺すことをしなければ、私は匈奴王を殺害して漢へ帰国したことでしょう。

だが武帝は老母を殺し、妻を殺し、子を殺しておりどうしようもありません。

私の思いを君にだけは知っておいてもらいたかった。

今日からは互いに別の道を歩んでいくことになるからこれが永遠の別れとなるだろう」と

歌い上げます。

蘇武はこの歌を聞いて涙を静かに流し、李陵も自分の思いの丈をぶちまけたこの歌を歌いながら、

涙を静かに流したそうです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

李陵と蘇武はこの宴を最後に永遠の別れとなってしまいます。

李陵はその後数十年匈奴の地で暮らしますが、亡くなってしまいます。

享年60歳だったそうです。

また蘇武は漢へ帰国後今までの苦労が皇帝に認められて、

侯の位を授かり80歳あまりで亡くなってしまいます。

匈奴で暮らすこと数十年。

ふたりは匈奴で楽しく暮らしていたわけではありません。

しかし多くの言葉を語らなくても同じ境遇で過ごしたわけですから、

友情よりも固い絆で結ばれていたのではないかと考えますが、皆様はどう思いますか。

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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