キングダムで活躍している名将・李牧は実は臆病者だった!?


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キングダムで絶賛活躍中の趙の名将・李牧(りぼく)

しかし彼が世に出る前は臆病者として罵られていたことを知っていましたか。

周りから臆病者と言われて、

趙王からも臆病者であることが原因で将軍の位を更迭させられています。

今回は世の中に出てくる前の李牧がどうして臆病者として

罵られていたのかをご紹介したいと思います。

 

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国境守備隊の司令官に任命される

 

李牧は趙の名将として知られる廉頗(れんぱ)や外交で秦とやりあった名宰相である

藺相如(りんそうじょ)みたいに中国国内で活躍した人物ではありません。

彼が一躍その名を轟かすことになったのは趙との国境へ度々侵攻していた匈奴軍を

撃滅させたことがきっかけで将軍として活用されることになります。

しかし名前が知られるまでには散々な目に遭っている李牧でした。

彼が最初に歴史書に登場するのが趙と匈奴の国境を守る守備隊長としてその名が出現。

李牧はただの守備隊長ではなく司令官として赴任するように趙王から命令を受けます。


司令官李牧の国境警備

 

李牧は国境警備隊の司令官として赴任するとまず匈奴と交易した金銭はすべて

国境司令官の倉への収入として管理することから始めます。

またこの地にいる役人を李牧が面接して任命。

そして兵士達には弓矢の技術磨かせると共に騎馬隊で迅速に行動できるような訓練を施していきます。

だが李牧はこのような厳格な統治を行っていく一方で住民達にある命令を触れ回ります。

彼は「その命令とは城外で牧畜に携わっているものは匈奴軍が攻め込んできたらすぐに城内へ

入るように」とのお触れを住民達に徹底します。

また兵士や部下の将軍達には「匈奴軍が攻めて来ても絶対に戦うな。

もしこの命令を破ったら即座に死罪である」と厳命を下します。

こうして住民・兵士・将軍達に命令を通達し、匈奴軍が来襲してきても狼煙を見て民衆はすぐに

城内に避難し、兵士や将軍達も積極的に匈奴軍へ攻撃を仕掛けることをしないで、

城内から応戦するだけにとどまります。


あいつ臆病者じゃね!

 

この李牧の政策によって北方の住民達は安全に牧畜を行い、

兵士や将軍達は一切被害を出さない状態が数年続くことになります。

しかし住民や兵士、将軍達は陰で「おれらの将軍はなんで匈奴と戦わないのだろう。

もしかしたら将軍は匈奴が怖くて戦えないのだろうか」と噂をします。

次第にこの噂はヒートアップし「あいつは匈奴と戦っても勝てないから

城に閉じこもっているのだろう。臆病者め!!」と言って罵り始めます。

この噂を聞いた趙王は李牧へ「李牧よ。もし次に匈奴軍が来襲して来た時は城外に打って出て

戦え」と命令が届きます。

だが李牧は「馬鹿な。なぜこの状態を維持しようとは思わないのだ」と反論。

趙王は李牧の反論を聞いて激怒。

趙王は李牧から司令官の位を取り上げてクビにしてしまいます。

その後違う将軍が司令官として赴任し匈奴軍へ戦いを挑みますが、

匈奴軍の騎馬隊にフルボッコにされてしまいます。


  

 

李牧復活そして・・・・

 

趙王は匈奴軍に趙軍が敗北したことを聞くと李牧を召し出して

「私が悪かった。再び司令官として行ってくれないか。」とお願いします。

李牧は趙王へ「私が再び司令官として趣いた場合、

すぐに以前の政策を復活させることになりますが、よろしいですな」と語気を強めて念を押します。

この言葉を聞いた趙王は即座に頷くと再び李牧は司令官として着任。

李牧は復活するとすぐに政策を復活させることにします。

こうして国境は再び平穏な時間が流れることになります。

 

匈奴に鉄槌を

 

李牧は頃合を見計らって今までの政策を撤廃し民衆達へ

「城外へ出て牧畜をしていいよ」と命令を出しますが一つ条件が有り

「匈奴軍が攻め込んできたら即座に逃げるように」と伝えます。

匈奴軍は国境の住民達が城外で牧畜している姿を見ると攻撃を開始。

しかし民衆や軍勢は李牧の命令に従ってすぐに城内へ逃げ込みます。

このように幾度か繰り返していくと匈奴軍は李牧の軍勢が攻撃してこないことにつけこみ、

調子に乗り始めます。

李牧は匈奴軍の警戒が薄くなったときを見計らって守備軍に城外へ出て山野に隠れるようにと

命令を出します。

この命令通り趙軍の大軍が伏兵として山野に隠れます。

そして匈奴軍はいつものように住民達を追って趙の国境近くへやってきた時に

李牧率いる趙軍の伏兵攻撃を受けます。

この攻撃によって匈奴軍は壊滅的なダメージを受けることになり、

命からがら領土内へ逃げ込むことに成功します。

この匈奴軍を率いていた単于は李牧の恐ろしさを知り、約十年間趙へ攻撃が無くなったそうです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

李牧率いる趙軍が匈奴軍へ大鉄槌を下したことで国境は乱れることなく平穏になります。

趙軍は匈奴軍の攻撃がなくなったことで国境の兵士を中国国内へ回すことができ、

長平の戦いで壊滅的な被害を負った趙軍の国力はちょっとずつ回復していくことになります。

臆病者として罵られていた李牧は匈奴へ大損害を与えたことで一躍その名が国内に知れ渡り、

秦や他国との戦で活躍し、李牧の名前は天下に鳴り響いていくことになり、

秦の最大の敵として立ちはだかることになるのです。

 

参考文献 史記 司馬遷 市川宏・久米旺生訳など

 

 

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