若き日の曹操の優れた危機察知能力と後漢王朝への忠義心

2017年3月18日


 

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三国志の英雄である曹操(そうそう)

彼は青年時代からしっかりと真面目に勉学に励んでいた時期もありましたが、

幼馴染であった袁紹と一緒に花嫁泥棒を行ったり、

おじさんを騙してみたりとあくどいことを幾度も行っておりました。

そんな彼ですが、後漢王朝に仕えると同僚や先輩から頼りにされたり、

群雄として挙兵した後にも各地の群雄から頼られておりましたが、

曹操が誘われた計画は全て危険をはらんでおり、

曹操は自らの危機察知能力で危ない橋を全て渡らずに回避しております。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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霊帝廃立計画に参加しないと誘われるも・・・・

 

曹操は後漢王朝で官職に就きますが、彼は一度官職を捨てて郷里に帰っておりました。

しかし後漢王朝から歴史を知っている人物であるとして再び官職に就くことになるのです。

彼は再び政治の世界に帰ってくると冀州(きしゅう)の刺史(しし)であった王芬(おうふん)から

「俺は今同士と一緒にあのポンコツで豚な霊帝を排除して、

新たな皇帝を擁立しようと考えているのであるが、

君にもこの計画に参加して欲しいと思っている。」と誘いの手紙がやってきます。

曹操はこの手紙を見るとすぐに返信をします。

彼は王芬へ「私が思うに皇帝擁立は非常に大事にことだと考えます。

古代の歴史では伊尹(いいん)と霍光(かくこう)のみができております。

伊尹は宰相の位と配下の者達からしっかりと信頼を得ていたからこそ皇帝を幽閉してもなにも

言われることなく実行できたのであり、霍光は外戚(がいせき=ざっくりというと皇帝の親戚)や

皇后の力が後押してしてくれていたので皇帝廃立を行うことができました。

これら二人と比べると今の状態で皇帝を廃立するのは難しいのではないのでしょうか」と

彼らの誘いを断っております。

曹操から断られた王芬は再度曹操を説得するようなことをしないで、自ら集めていた仲間達で

皇帝廃立を結構しようとしますが、計画は事前に漏れてしまい失敗してしまいます。

 



幼馴染から誘われた危ない橋

 

後漢王朝は黄巾の乱が鎮圧された後も内部は改善されることなく、

徐々に滅亡へ向かって進んでいくことになります。

そんな中、曹操の幼馴染であった袁紹(えんしょう)は皇帝を変えるべく皇族で優秀な人材である

幽州刺史(ゆうしゅうしし)劉虞(りゅうぐ)を新しい皇帝にするべく計画を立てます。

彼は冀州の刺史であった韓馥(かんぷく)などに声をかけて同志を募っており、

幼なじみである曹操にも声をかけておりました。

袁紹から計画を知らされた曹操ですが、この計画にも乗ることはありませんでした。

彼は袁紹に「董卓はすき放題漢王朝を動かしているのは天下の全ての民衆や豪族、

群雄達の知るところである。

しかし後漢王朝を董卓が滅ぼそうとしているわけではなく、幼い皇帝に危害を加えて後漢王朝を

乗っ取ろうとしているわけでもない。にも関わらず君達は皇帝をすげ替えようとしている。

君たちは皆で北の新しい皇帝を立てるべく計画を進めるといい。

私は現在の皇帝を支えるべく協力していきたいと考えている。」と再び皇帝廃立の計画の

参加を拒否します。

この劉虞を皇帝にする計画は劉虞自身が袁紹の誘いを断ってしまったことがきっかけで、

実行されることはありませんでした。

もし曹操がこの計画に参加していれば、

皇帝をすげ替えた群雄として悪名から逃れることはできなかったのではないのでしょうか。

 

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三国志ライター黒田レンのひとりごと

 

曹操は三国志演義に書かれているような悪役ではなく、

後漢王朝にしっかりと忠義を尽くしていた臣下ではないのでしょうか。

後漢王朝に対して忠義を尽くしていた証左は上記の内容であったり、

天下の半分以上を後年収めることになり、

後漢王朝よりも勢力・権力・人望の点で優っていたのにも関わらず、

後漢王朝を乗っ取ることをしなかったのは忠義をもっていたからではないかと

考えたくなるのはレンだけでしょうか。

 

参考文献 講談社 中国の群雄 乱世の英雄 尾崎秀樹著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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