秦王政はなんで始皇帝と名乗り始めたの?

2017年3月29日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

戦国時代末期を描いた中国古代史漫画キングダム

この漫画に登場している秦王政は天下統一の偉業を成し遂げた最初の皇帝として始皇帝を

名乗り後世に伝えられる人物。

ですが、前漢や後漢、三国志の時代の皇帝達は亡くなったあとに、

生前の功績を評価して武帝や明帝などの亭号が贈られております。

という事は始皇帝という名前は秦王政が亡くなった後に付けられた帝号なのでしょうか。

それとも彼が生きている間に始皇帝と名乗ったのでしょうか。

今回は秦王政がいつごろ始皇帝と名乗ったのかを探ってみたいと思います。

 

キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧

関連記事:キングダムファンなら絶対読むべき!三国志も面白い!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



秦王政の質問

 

秦王政は中華に割拠していた各国を討伐して滅ぼした後、

丞相・副丞相らを招集します。

彼は集まってきた家臣へ「私は諸将へ命令を下して各国へ軍勢を進め、

中華で数百年間絶えることなく続いた争いをなくすことができた。

私がこのような偉業を成し遂げることができたのは、

皆の努力と歴代の秦王が私を守ってくれたからこそできたのだと考えている。

そこで私はこの成果を後世に伝えるためには王を名乗ることをやめて新しい

称号を唱えたいと思っているのだが何かいい案はないか。」と相談。

丞相や副丞相達は「しばし時間をいただきたいと思います。」と言ってその日は政の元から

去っていきます。

政の元を去った三人は集まって会議を何日も行います。

 



重役三人の意見

 

法の番人・李斯(りし)、丞相・王綰(おうわん)、副丞相・馮劫(ふうきょう)のお偉方三人は

数日後揃って政の下へ参上します。

そして彼ら三人を代表して李斯が意見を述べます。

李斯は政へ「上古から現在まで天下統一を成し遂げるような偉業を達成した君主はいないでしょう。

五帝(中国の古の皇帝。黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)、帝嚳(ていこく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん))

を凌ぐものと言っていいのではないかと思います。

歴史を知る博士達に聞いてみたところ五帝よりも前の時代に存在したとされる

泰皇(たいこう)と呼ばれる者が一番尊いとされておりました。

そこで王におかれましては天下統一をされた偉業を後世に語り継がせるために

泰皇と呼ばせるようにするのがいいのではないのでしょうか。」と進言します。

秦王政は李斯の進言を黙って聞いていたのですが、少し考えるように上を見上げておりました。

 

政が考えた名前とは

 

秦王政は数十分の間沈黙しておりました。

その理由は李斯の進言について考えているためでした。

そして数十分後秦王政は口を開きます。

彼は李斯達へ「泰皇はちょっとダサいから泰皇の皇の字を無くし、

上古以前からいた帝の字をくっつけて皇帝と呼ばせるようにしよう」と提案。

この提案に李斯達三人は頷き「よろしいと思います。」と賛同の声をあげます。

数日後政は文官や諸将を集めて「我が作った皇帝の尊称だが、

この尊称を使うのは私が初めてであるから、

以後私を呼ぶときは秦王政ではなく「始皇帝」と呼ぶように。」 と命令を下します。

こうして秦王政あらため始皇帝が誕生することになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秦王政は始皇帝と言う名前を決めた時に生前の王の功績に見合った諡(おくりな)を

贈る制度を廃止。

そして始皇帝死後、皇帝の位を継いだ人物は始皇帝二世、三世という感じに呼称するように

と命令を下します。

始皇帝の死後、趙高の悪謀によって胡亥(こがい)が帝の位を継ぐことになりますが、

彼を呼ぶときは始皇帝の法令通りであるならば、

始皇帝二世と呼ぶのが正しい呼び方です。

もしキングダムで胡亥が登場することがあれば彼を胡亥と呼ぶのではなく、

二世皇帝と読んであげてくださいね。

 

参考文献 史記 司馬遷著 丸山松幸・守屋洋訳など

 

 

キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧

関連記事:原泰久スゲー!虚構の秦・斉秘密同盟に隠された意図とは?

関連記事:【見逃した方向け】情熱大陸に出演した原先生の苦痛の漫画人生

 

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代バナー

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-春秋戦国時代
-, ,