【はじめての水滸伝】主役級を一挙公開、これが好漢だ!

2017年4月1日


 

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水滸伝(すいこでん)では、百八人の魔王の生まれ変わりの好漢が活躍します。

それは、英雄、豪傑、美女、毒婦、コソ泥、博打打ち、猟師に漁師、大金持ちの旦那に

軍人、商人、獣医、貴族、妖術師や仙人まで多岐にわたっています。

このように生まれも育ちもバラバラな好漢達が、多彩な関わり方を見せるのが

水滸伝の面白さなのですが、今回はその中でも主要なキャラクター7名を

一挙に紹介してみましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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この記事の目次

武芸ならなんでもござれ!九紋竜史進

 

天微星(てんびせい)の生まれ変わりである、史進は初登場時には18~19歳の青年。

色が白く、体が締まり背中に九匹の青龍がのたうつ派手な刺青をしています。

史進が武勇を振るうと背中の九匹の竜が躍動して生きているようで、

それゆえに通り名も九紋竜(くもんりゅう)と呼ばれる程でした。

 

史進は豪農の長男ですが、野良仕事が大嫌いで武芸にばかり打ちこみ、

諦めた父親は、浪人の打虎将(だこしょう)の李忠(りちゅう)をつけて

武芸の稽古をさせていました。

 

 

禁軍の武術師範の王進に武芸十八般を仕込まれる

 

ある時、家に泊っている王進(おうしん)という男が史進の武芸を見て、

「なかなか出来るが実戦では使えない」と言ったのを聞いて激怒、

それなら、俺と勝負しろと強引に挑んで、コテンパンにやられます。

 

実は王進は、八十万禁軍という皇帝直属の近衛兵を指導していた教官でした。

道理で田舎武術の史進が敵う筈もありません。

 

しかし、性格がさっぱりしている史進は、あっさりと負けを認めて

王進に弟子にして下さいと平身低頭、史進の父もお願いした事から王進は引き受けて、

史進に武芸十八般を仕込んで、半年後に去っていきました。

 

 

少華山の山賊達と交流を持つ

 

その後、父が死に、母も早くに心労で亡くなっていた史進は家を継ぎます。

そこに、少華山の朱武(しゅぶ)、陳達(ちんたつ)、楊春(ようしゅん)という

山賊団が襲いかかりました。

史進は少華山の賊を迎え撃ち撃退、おまけに一騎打ちで倒した頭領の一人、

陳達を捕まえてしまいました。

 

ところが数日後、朱武と楊春は武器一つ持たず、史進の前に現れて、

「仲間を返して欲しい」と懇願しにきます。

「お前達、仲間を救う為に丸腰で来たってのか?

こいつは立派だ、俺は気に入ったぜ!」

 

史進は逆に、山賊達と意気投合して交友を深めますが、猟師の李吉(りきつ)が、

この事を役人に密告した為に、史進は今度は役人と大立ち回りを演じ、

李吉を斬った後、師匠である王進を探して旅に出ました。

 

 

向こう見ずな性格は変わらぬまま、梁山泊に入る

 

しかし、王進とは再会できず、結局、かつて救った少華山に舞い戻り、

朱武や陳達の頭領として山賊稼業に従事する事になります。

ですが、頭領になっても向こう見ずな勇気は変わらず、華州の大守が娘をかどあかす

という犯罪を行っていると知ると憤慨して後先考えず、殺しに行き捕まる有様です。

 

そこを魯智深や梁山泊(りょうざんぱく)の面々に救われ、少華山は梁山泊へ合流、

史進は騎兵隊に所属して活躍しますが、最後は方臘討伐戦で敵の守る

昱嶺関(いくれいかん)を石秀(せきしゅう)や師の李忠ら五人の頭領と偵察に向かい

敵に察知され、弓の名手龐万春(ほう・ばんしゅん)によって喉を射抜かれて戦死します。

 

このように史進は若者らしく竹を割ったような性格で、じめじめした

所がないのでファンが多く親しまれています。

 

 

大酒飲みで陽気、人情に厚い坊主、花和尚 魯智深

 

天狐星(てんこせい)の生まれ変わり、魯智深(ろ・ちしん)は筋骨隆々とした大男です。

四十歳手前ですが、少しも不惑の感じはなく、少し思慮が足りず短気で陽気な酒好き、

ですが、弱い者や困っている者を見ると黙っておれない情の人です。

さらに巨体に違わず、大木を根っこから引き抜き、素手で山門の仁王像をバラバラに

破壊してしまう程の怪力を持っています。

 

全身に花をあしらった遠山の金さんのような刺青を入れており、

それ故に花和尚(か・おしょう)という通り名を持っていました。

 

 

旅芸人の親娘を追い払うつもりが同情して誤って肉屋を殺す・・

 

元々、魯智深は、小さな県で警察のような仕事をして魯達(ろたつ)と名乗っている

役人でしたが、ある時、故郷でトラブルを起こして逃げてきた史進と出会い意気投合。

さっそく居酒屋で一杯やっていると、そこで旅芸人の親娘、金老爺(きんろうや)と

金翠蓮(すいれん)がシクシク泣いているのを聞いてしまいます。

 

魯達は「おい、酒が不味くなる、あっちへ行け」と文句を言いますが、

よく事情を聴くと肉屋の金貸しに騙されて酷い目にあっているとの事・・

 

持ち前の情に厚い性格を抑えきれず、魯智深は懲らしめてやると、

肉屋に飛びこんで、無理難題を言いつけてから怒って向かってきた肉屋を

3発殴り懲らしめるつもりが殺してしまいました。

 

 

魯達、旅芸人親娘の手引きで坊主になる・・

 

役人の追求を逃れて逃げ回っている魯達、するとそこで自由の身になった、

金老爺と金翠蓮に偶然に再会、翠蓮は大金持ちの妾になっていて、

恩人の魯達を助けようと旦那の趙員外(ちょう・いんがい)に引き合わせ、

魯達は追求を免れる為に、治外法権になっていた寺に転がり込み出家します。

 

こうして、魯達は頭を丸めて僧侶になり、名も魯智深に改めます。

しかし、なりたくてなったのではない坊主です、魯智深は規則だらけの坊主の生活に

馴染めず禁酒の戒を二度破り、大暴れまでし遂に破門になってしまいます。

ですが、智真(ちしん)禅師は魯智深の心の奥にある仏性を見抜いていました。

そして、兄弟弟子の智清(ちせい)禅師がいる、都、開封の大相国寺に

紹介状を書いて魯智深は都に上っていくのです。

 

 

義兄弟の林沖を救い、再びお尋ね者になる魯智深

 

大相国寺では、寺の菜園の管理を任され修行も何もないので、

魯智深はのんびり暮らし、菜園の野菜泥棒を捕まえては子分にしています。

開封府で、魯智深は八十万禁軍の棒術師範の林沖(りんちゅう)と会い意気投合。

義兄弟の契りをかわして酒を酌み交わす仲になります。

 

ところが、林沖は陰謀にはめられて罪人となり流罪になりました。

親友の窮地に黙っておれない魯智深は、殺されそうになった林沖を救い、

また、罪人に逆戻りして逃亡を続けるのです。

 

 

すべての欲望を燃やしつくし、六和寺で悟りを開き、大往生

 

その後、二竜山で楊志(ようし)、武松(ぶしょう)のような豪傑と山賊になり

一大勢力へ発展し、やがて梁山泊と合流していきます。

 

梁山泊が朝廷に帰順して、厄介払いのように各地の反乱勢力と戦うようになると

歩兵の頭領として戦い続けますが、仲間の3分の2が戦死した方臘(ほうろう)討伐後、

魯智深からは不思議な事に、全ての欲望が消え失せていました。

全力で戦い抜き、全てをやり尽くした魯智深は、悟りの境地に達していたのです。

昔、智真禅師が見抜いた魯智深の仏性が目を覚ましたのでした。

 

そして、病気で六和寺に残った宋江、片腕を失った武松としばらく過ごし

やがて、座禅を組んだまま大往生を遂げます。

 

水滸伝には、武松、李逵のように豪傑だけど、目的の為には弱い者にも

容赦がない非情な好漢も多いのですが、魯智深は一貫して弱い者には

暴力を振わない正義の味方として仏になったのです。

 

 

人気抜群、でも可哀想過ぎる人生、豹子頭 林沖

 

天雄星(てんゆうせい)の生まれ変わりである林沖(りんちゅう)は

三十五歳位で物語に登場します。

通り名は豹子頭(ひょうし・とう)で豹みたいな顔という意味ですが、

悲劇の人生を象徴するように、細面のダンディな成年に描かれる事が多いようです。

豹子頭は、張飛(ちょうひ)の顔の形容と共通しているのですが、張飛みたいな顔では、

悲劇は似合わないとでも言うのでしょうか?失礼しちゃう!ぷんすか!

 

 

カワイイ奥さんと仲睦まじく暮らす林沖に突然の悲劇が・・

 

宋王朝では武官の地位はとても低いのですが、それでも林沖は、

八十万禁軍の棒術師範として、まずまずの生活を送り綺麗な奥さんと二人で

仲睦まじく暮らしていました。

 

ところが、ある日、突然、不幸が襲いかかります。

権力者である大尉高俅(こうきゅう)の養子の高衙内(こうがない)が

街中で林沖の妻を見染めて奪おうとしたのです。

衙内は、林沖の親友の陸謙(りくけん)の手引きで林沖の妻を手籠めにしようと

しますが、そこを林沖に見つかり未遂に終わります。

 

しかし衙内は高俅に泣きついたので、林沖は無実の罪を被せられ流罪になります。

途中で殺されそうになった所を心配してついてきた義兄弟の魯智深に助けられ

流刑地では、柴進(さいしん)という仁義に厚い長者に救われますが、

真面目な林沖は「このまま罪人として生きていくのは嫌だ」と決意し

柴進に紹介状を書いてもらい、大人しく滄州の牢に入っていました。

 

 

執拗に命を狙われブチキレた林沖は追手を皆殺しにし梁山泊へ

 

ところが、大人しく牢に入っている林沖に再び暗殺者が迫ります。

「うおおおおおッ!!大人しく罪に服している俺から

命まで奪うというのかあっ!」

 

あまりの運命の理不尽さにブチ切れた林沖は、元親友の陸謙、富安(ふあん)、

二人を案内した牢奉行、牢役人を皆殺しにしてしまいます。

 

「もう、何もかも、どうでもいい!山賊にでも何でもなってやる」

 

ヤケになって柴進の紹介状を片手に林沖は梁山泊(りょうざんぱく)に行きますが、

首領の王倫(おうりん)は小心者で色々理由をつけて入山を拒みます。

そこで、副首領の宋万(そうまん)が「3日以内に旅人を殺して強盗をする」事を条件に

入山を許可しますが、やさぐれても元は善人の林沖、丸腰の旅人を殺す事は出来ません。

目の前を通り過ぎる旅人を威嚇して追い払うのが精一杯です。

 

 

武芸者、楊志と遭遇、なんだかんだで梁山泊入り

 

ですが3日目の日没前に、いかにも武芸者という身なりの男が通りかかります。

林沖は喜び勇んで襲いかかりますが、その武芸者は相当な腕前で林沖と

互角に戦い決着がつきませんでした。

 

王倫は、これを見て、二人を梁山泊に引き込んで牽制させようと企み、

勝負を中止させました。

武芸者は楊志(ようし)といい、元々武官でしたが任務に失敗して逃げていたのを

最近、皇帝の恩赦があったのを幸いに開封に戻る途中でした。

 

当然、山賊になどなるつもりはなく、楊志は去って行き、王倫はなりゆき上

林沖を梁山泊に入れる羽目になったのです。

 

 

王倫を斬り、晁蓋を梁山泊の首領に据えるが最愛の妻は・・

 

その後、奸臣、蔡京への賄賂である星辰綱(せいしんこう)を強奪した容疑で

捕まりそうになった晁蓋(ちょうがい)や呉用(ごよう)、公孫勝(こうそんしょう)

阮(げん)兄弟が梁山泊に入ろうとしますが、また王倫が拒否、端下金でどこかへ

追い払おうとしたので、林沖はブチ切れて王倫を殺害し、晁蓋を頭領に据え

梁山泊を世に入れられない英雄、豪傑の別天地に造り変えます。

 

梁山泊に落ち着いた林沖は、残してきた妻を山に招こうとしますが、

気の毒な事に衙内に迫られた奥さんは貞操を守る為に首を吊っていました。

林沖は、大声を挙げて泣き、ますます性格が荒れ、短気で猜疑心が強い、

ちびまるこちゃんの永沢君みたいなキャラになっていきます。

 

 

高俅を殺すのを止められ、林沖は理不尽な運命を恨みながら死ぬ

 

その後、梁山泊軍は、討伐軍でやってきた高俅を捕え恨み重なる林沖は、

これを斬ろうとしますが、当時の頭領の宋江に止められて生殺しにされます。

結局、梁山泊は朝廷に帰順し、林沖は手柄を立て続けますが、

方臘討伐後に凱旋し、六和寺で駐屯した時に中風に罹って倒れ半年後に死去しました。

 

ただ、ただ、愛妻との平穏な日々を懐かしんでいた林沖は、陽気な確信犯が多い

梁山泊の面々の中で人生の無常を味わい死んで行くのです。

 

建国の功臣の子孫の転落人生 青面獣楊志

 

天暗星(てんあんせい)という不吉な名前の星の生まれ変わりが楊志(ようし)です。

年齢は30歳位で顔の半分に青アザがあり、通り名は青面獣(せいめんじゅう)

体は痩せていて、まばらに顎ヒゲが生えているという貧乏くさい容貌をしています。

 

宋の建国の功臣、楊業(ようぎょう)を先祖に持つエリート武官だった楊志は、

順調に出世していきますが、徽宗(きそう)皇帝の趣味である奇岩集めに召集され、

岩を船で運んでいる途中に嵐に遇い船も岩も沈没し楊志は処罰を恐れて逃亡。

だけど、この逃亡が彼の人生に最期までケチをつける事になります。

 

恩赦で都に戻る途中、林沖と戦う・・

 

やがて、皇帝より恩赦が出た事を知ると、楊志は都に戻り復職しようとします。

途中で梁山泊を通ると、そこで、梁山泊入山の条件として人を殺して強盗するように

命じられていた、元禁軍の棒術師範の林沖(りんちゅう)に挑まれ、

互角の勝負を演じました。

 

その勝負に割って入り、梁山泊の首領の王倫(おうりん)が楊志を

スカウトしようとしますが誇り高い楊志は激怒します。

 

「ふざけるな、俺はエリート軍人だぞ!山賊になどなるものか」

 

こうして都の開封に戻った楊志は全財産をはたいて賄賂を贈り殿帥府の大尉、

高俅(こうきゅう)に目通りを願い復職を願いますが、逃亡して罪に服さなかった楊志は

許されず、建物から叩きだされてしまいます。

 

財産を使い果たした楊志は、仕方なく父祖伝来の銘剣である吹毛(すいもう)剣を

売る為に、街角に立ちますが、ここで牛二(ぎゅうじ)というゴロツキに因縁をつけられ

あまりの屈辱に牛二を斬殺してしまいました。

 

(ああ、やってしまった、俺のエリート人生も終わりだ・・)

 

しかし、すぐに自首した事と牛二が嫌われ者だった事から大きな罪にはならず

北京大名府に送られ兵卒として兵役に服す事になります。

 

梁世傑に見こまれ、星辰綱の護送を頼まれるが晁蓋等に奪われる

 

そこには、梁世傑(りょう・せいけつ)という留守司がいて、やってきた楊志を

気に入りますが、いきなり部下にするといっても納得しないだろうから、

私の部下達と戦って腕前を見せてくれと要請されます。

 

楊志はお安い御用と、周瑾(しゅうきん)を撃破し、索超(さくちょう)と

引き分けてみせて、晴れて実力で武官に返り咲く事に成功しました。

それから数ヵ月後、楊志は梁世傑から開封府の蔡京大臣に星辰綱(せいしんこう)という

誕生日祝いと銘打った十万貫相当の賄賂を送り届けるように命じられます。

 

最近は賊が多く、これだけの宝を運ぶのは大変でしたが、

自分を抜擢した梁世傑の気持ちに応えようと楊志は任務を引き受けます。

 

ところが、庶民から巻き上げた税金で蓄えた星辰綱を奪い、役人の鼻をあかそうと

愉快犯めいた考えで立ち上がった名主の晁蓋や学者の呉用、道士の公孫勝に

漁師の阮兄弟、コソ泥の白勝の7名が棗売りに扮して楊志の一団に近づき呉用の計略で

楊志一行に痺れ薬入りの酒を飲ませて酔い潰し、星辰綱を奪い取ってしまったのです。

 

帰るに帰れなくなった楊志は絶望し、黄泥岡から下の川に飛び降りて自殺を考えます。

根っから陽気な人が多い水滸伝の好漢で自殺を考えたのは楊志一人でしょう。

しかし、土壇場で開き直り、山賊として生きる決意をしました。

 

エリートの道を捨て去り、山賊としてドロップアウトし梁山泊へ

 

その後、旅を続ける間に偶然、林冲の弟子だった酒屋の曹正(そうせい)や

林冲の義兄弟の魯智深と出会って意気投合し、二竜山にこもる山賊を退治して根城にし

山賊稼業を開始、さらに、そこに好漢の武松や施恩(しおん)張青(ちょうせい)

孫二娘(そん・じじょう)を加えて二竜山は梁山泊に次ぐ勢力を誇っていきます。

 

その後、官軍の呼延灼(こ・えんしゃく)が攻めてきたので楊志は梁山泊に救援を要請し、

呼延灼を倒した後は、二竜山は梁山泊へ合流する事になります。

 

楊志は林沖と同じく、元々は順風万帆な人生から転落するパターンですが

楊志の場合は、転落は自分の落度ですし自殺を思いとどまるあたりから、

エリートの重圧が吹っ切れたのか山賊稼業を楽しむようになり、

降って湧いた災難型の林沖よりは、やや明るい印象があります。

 

気の良い青年だが怒らせると見境いがない 行者武松

 

天傷星(てんしょうせい)の生まれ変わりで、行者(ぎょうじゃ:修行者)の

通り名を持つのが武松(ぶしょう)です。

 

ガッチリした体格で背が高く、眉が太い熱血タイプに見える彼ですが、

とても正直な半面、裏切られたり騙される事を許せない暗い執念を持っていて、

キレると無関係な人間まで殺してしまう冷酷で狂気の一面があります。

また、武松は拳法の達人で酔えば酔うほど強くなると自分で言っており

酔拳(すいけん)の使い手ではないかと言われています。

 

泥酔しながら素手で虎を殺し、一躍武名が轟く

 

最初の登場は、柴進(さいしん)の屋敷で、そこでは酒によって誤って

役人を殺してしまい柴進に匿われた形で出てきます。

 

そこには、水滸伝の主人公、宋江(そうこう)もいて義兄弟の契りを結びました。

しかし、後に殺したと思っていた役人が失神していただけだと知ると、

故郷へ帰ろうとしますが、その途中、景陽岡(けいようこう)で大酒を飲んで

ベロベロになり、人食い虎が出る山に上り、途中で遭遇した虎を素手で殴り殺します。

 

これが評判になり、陽穀県で都頭という仕事について保安官のような事をします。

そこには、兄の武大(ぶだい)も働いていて兄弟は久しぶりに再会しました。

 

不倫の末に兄を殺した兄嫁と間男に証拠を突き付けて殺し自首する

 

武大には潘金蓮(はん・きんれん)という美人の妻がいましたが、

これが浮気症の性悪女で稼ぎの悪い武大に愛想を尽かし夫婦仲は覚めていました。

そこへ金持ちの西門慶(さいもんけい)という男が近づき、潘金蓮と関係を持ちます。

 

そして饅頭売りの武大が仕事に出ている間に密会を繰り返しますが、

次第に我慢が出来なくなり、武大を殺して一緒になろうと相談し、

武松が出張に出た隙に武大に毒薬を盛って殺してしまいました。

 

出張から戻った武松は、兄が死んだ事を嘆き悲しみますが、

たった十日余りで元気だった兄が死んだ事から毒殺を疑います。

それとなく近所で話を聞くと、潘金蓮と間男、西門慶にコケにされた

武大の噂は知れ渡っていました。

 

武松は、はらわたが煮え繰りかえりますが、冷静に証拠を集めて行き、

言い逃れが出来ない状態にしてから、潘金蓮と西門慶を撲殺し、

そのまま自首して孟州に流罪になります。

そう、このカッとしてではない、冷静に復讐心を爆発させ、

相手が泣き叫ぼうが決して許さないというのが武松の怖さなのです。

 

よっぱらい拳法炸裂、蔣忠を瞬殺する武松

 

さて、孟州には快活林(かいかつりん)という盛り場があり、

そこは金眼豹(きんがんひょう)の施恩(しおん)という男が取り仕切っていましたが、

最近、ここに、張団練(ちょう・だんれん)という武官についてきた

蔣門神(しょうもんしん)の蔣忠(しょうちゅう)という男が現れ、

儲けに目をつけショバを荒らし始めたのです。

 

もちろん施恩は立ち向かうのですが、相撲の達人の蔣忠に投げられ

大怪我を負い快活林は奪われていました。

何とかせねばと思案している所へ虎退治で有名な武松が来たので

事情を話して「助けてくれないか?」と歓待しながら相談しました。

 

「後から入ったくせに蔣忠というのはふてえ野郎だ、俺が懲らしめる」

 

武松は、そう言うと施恩が止めるのも聞かず、町ごとに酒屋に寄り

浴びるように酒を飲みながら、快活林に入り、立ち塞がった蔣忠を、

玉環歩(ぎょくかんほ)、鴛鴦脚(えんおうきゃく)という必殺技で

ノックアウトし蔣忠を命乞いさせ、ショバを施恩に返させます。

これぞ酔えば酔う程に強くなる武松の酔拳です、多分・・

 

張蒙方の卑劣な計略に大量虐殺で応える狂気の武松・・

 

しかし、蔣忠を倒された張団練の叔父の張蒙方(ちょう・もうほう)は

計略を使って武松に盗賊の汚名を被せて牢獄にブチ込んで殺そうとします。

 

施恩のショバは、また蔣忠に奪われ、ブチキレた武松は流罪の途中で、

追手四名を殴り殺し、その足で張蒙方の屋敷に行き、張蒙方、張団練、

そして蔣忠の首を切り落とすと、たまたま、そこに居合わせただけの

十五名の家人を皆殺しにし、そこに流れた血を着物に浸して、

白い壁に下手人は虎退治の武松と大書すると逃亡しました。

 

片腕を失い戦線離脱、仲間を弔い寺男として生涯を閉じる

 

その後、武松は逃亡中に魯智深や楊志がいる二竜山に入り梁山泊へと合流します。

強かった武松ですが、方臘(ほうろう)討伐の際に敵の道士、

包道乙(ほうどういつ)が操る空飛ぶ飛刀で片腕を切り落とされ戦力にならなくなります。

 

凱旋した杭州六和寺で武松は、中風で倒れた林冲(りんちゅう)の看病の為に残り、

看病をしますが、林冲は半年後に死去しました。

また、武松ととても仲が良く、片腕を切り落とされた武松を救出した

魯智深(ろちしん)も、この六和寺で悟りを開き、座ったまま亡くなっていました。

「俺は、寺に残って死んだ仲間を供養しなきゃならねぇ・・」

武松は地位も名誉も望まず、この寺で仲間の菩提を弔い80歳まで生きて

大往生を遂げたそうです。

 

Mr人殺し、殺して殺して殺しまくる 黒旋風の李逵

 

天殺星(てんさつせい)という物騒な名前の星の生まれ変わりが

通り名を黒旋風(こくせんぷう)と言う李逵(りき)です。

年齢は二十代の後半、筋肉隆々の体は真っ黒で、二挺斧を振り回し

当たるを幸いに敵を斬りまくる姿は、まさに黒い旋風そんな李逵は勢い余って

無抵抗な民間人まで、しばしば殺してしまう事さえあります。

 

子供のように純粋でそして残酷な面がある李逵・・

 

そう聞くと、何と心がすさんでいる極悪人と思いますが、

実際の李逵は、幼児がそのまま大きくなったような男で嘘がつけず

ついてもすぐバレる、至って真正直な男なのです。

 

ただし、幼児特有の残虐さも兼ね備える李逵は善悪の基準も曖昧

物事を深く考える事も出来ず、思い立ったら即行動、気に入らないと

思えば、相手が仙人だろうと道士だろうとお偉いさんだろうと

躊躇(ちゅうちょ)なく斧を振り下ろして殺害します。

 

幼児が、虫の羽を千切るような感覚で人を殺すので、

まるで始末に負えないとんでもない殺人鬼なのです。

李逵は小作人の次男として生まれますが、子供の頃から乱暴者、

少年時代に喧嘩で人を殺し、村を飛びだして江州の牢役人である

戴宗(たいそう)の子分として獄卒になります。

 

宋江の心の広さに感動し、生涯の子分になる

 

そこに受刑者として入牢するのが水滸伝の主人公宋江(そうこう)でした。

兄貴分の戴宗から宋江は任侠の世界のカリスマと教えられた李逵は、

宋江にいい所を見せようと張り切り、ご馳走すると言って宋江から

金を借りて?博打で増やそうとして負け、とびきり新鮮な魚を

ご馳走すると言って魚河岸で暴れてトラブルを起こすなど

全て空回りし、宋江に迷惑をかけます。

 

しょげている李逵ですが、宋江は怒らず笑って李逵を許したので、

李逵の中で宋江は絶対のカリスマになり以後は死ぬまで忠誠を尽くします。

 

李逵、宋江を救いだし共に梁山泊に入る・・

 

そんな李逵のデビューは宋江が酒に酔って反逆の詩を酒楼の壁に書いて

逮捕されあわや処刑されそうになる時です。

宋江をかばった戴宗まで同罪とされ殺されかけますが、窮地を知った梁山泊の面々と

李俊(りしゅん)のような塩密売業者までが刑場に押しかけ、李逵も二挺斧を振り回して、

見物客と役人を斬り殺して宋江と戴宗を救いそのまま梁山泊入りが決定しています。

 

その後も李逵は、宋江の番犬として襲いかかる反梁山泊の山賊や官軍を相手に

得意の二挺斧を振り回し、人殺し仲間の鮑旭(ほうきょく)達と殺戮を繰り返します。

 

李逵の中では、宋江が絶対の価値で、あとはクズでした。

宋江が朝廷に帰順すると言った時も猛反対して、

「あんな奴らは皆殺しにして兄貴が天子になればいいじゃねえか!」

と暴言を吐いて、宋江を怒らせますが、結局は受け入れています。

 

宋江とともに毒酒を飲み忠誠を貫いて死ぬ・・

 

李逵は、方臘(ほうろう)討伐後も生き残りますが、軍の司令官として

平穏でも退屈な毎日を送っていた頃、宋江から手紙がきて呼ばれ、

共に久しぶりに酒を飲みますが途中で宋江が涙を流します。

 

「実はお前が飲んでいる酒は毒が入っているんだ

私は、奸賊によって毒酒を与えられ、それを飲んだ間もなく死ぬだろう・・

死は恐れぬが、心残りは李逵、お前が私の死後、暴れて殺生をする事だ

だから、お前にも毒酒を飲ませてしまった、勘弁してくれ」

 

おいおい道連れかよ、そんな勝手な!・・と思いますが、

そこは李逵、一味違います、一緒にもらい泣きして一言、、

 

「兄貴がそこまで俺を見込んでくれたなら何を恨むもんか!

それに兄貴がいないこの世に未練なんかねえよ・・

死んであの世に行っても、おらァ、兄貴の一兵卒だよ」

 

こうして李逵は死に、その遺体は遺言で宋江と同じ墓に葬られます。

なんだかんだで信じた者の為には純粋な忠誠を尽くした李逵でした。

 

廉価版劉備?徳しか武器がない 及時雨 宋江

 

天魁星(てんかいせい)の生まれ変わりである宋江(そうこう)は、

言わずと知れた水滸伝(すいこでん)の主人公です。

何故なら彼が首領になって梁山泊は最盛期を迎え、彼のせいで消滅するのですから

 

さて、宋江は、30歳位の男、家は地主で裕福ですが、当人は風采が上がらず、

色が浅黒くて背も低く、武芸もからきしで弱虫、黒三郎と呼ばれています。

 

しかし、腐敗役人だらけの中で、宋江は親切で面倒見のよい性格で犯罪者の更生の

手助けをしたり、金に困っている人にはお金を恵んだりするのを趣味としていて

村の人からは、生神様のように崇められていました。

 

人の面倒を見るのが好きな宋江は任侠の世界では超有名人

 

宋江の通り名は及時雨(きゅうじう)これは大地を潤す恵みの雨の意味です。

彼には、もう一つ通り名があり呼保義(こぼうぎ)といい保義とは

お金で買えるかなり低い下級役人の役職を意味します。

これは、「小役人と呼んでください」という謙譲の挨拶なのです。

 

社会の底辺の人々に惜しみなく愛情を注ぐ宋江は、次第に任侠の社会でも

評判になり、実際、どこに行っても、危ない目にあっても、宋江が自分の名前を出すと

「宋江様とは露知らず、失礼致しました~」で激しく歓迎されます。

まさに、この徳の力こそ、宋江が好漢全ての頂点に立つ武器なのでした。

 

ある種、宋江は、三国志の劉備(りゅうび)の廉価版のような人物と言えるでしょう。

ガンダム風に言えば、ガンダムの廉価版のジムみたいかな?

 

梁山泊との秘密の手紙を妾に奪われ、カッとなり殺す

 

宋江の人生が激変するのは、北京大名府の留守役、梁世傑(りょう・せいけつ)が

義父である奸臣の蔡京に送った十万貫の賄賂、星辰綱(せいしんこう)を強奪した

名主の晁蓋(ちょうがい)や呉用(ごよう)、公孫勝(こうそんしょう)等を庇った時です。

事件の捜査の手が晁蓋に伸びた事を知った宋江は、情報を晁蓋に漏らし、

それにより晁蓋等は故郷を離れ、梁山泊へと落ち延びる事になります。

 

ところが、義理堅い晁蓋は、梁山泊に入ると、感謝の手紙と銀百両を

配下の劉唐(りゅうとう)を通じて宋江に渡します。

 

この手紙が宋江の妾で生活の面倒を見ている閻婆惜(えんばせき)に発見されます。

宋江は、ゆすられそうになり、手紙を返せ、返さないで揉めた結果、

たまたま落ちた短刀を宋江が掴み、それを見た閻婆惜は「人殺し」と絶叫

頭に血が上った宋江は、逃げようとした閻婆惜を刺し殺してしまうのです。

 

色々ありましたが、手配書が回り州に居られなくなった宋江は故郷を出て

知人の柴進(さいしん)がいる滄州(そうしゅう)へと落ちていきます。

 

各地で友人の世話になり、最期には梁山泊へ

 

そこで、武松と義兄弟になった宋江は、次に青州清風鎮の副司令官の

花栄(かえい)を頼り、ここでもトラブルに巻き込まれて、青風山の山賊に救出され、

一度は梁山泊に入ろうとしますが、途中で故郷から父親の手紙が来て帰郷。

結局、父の説得で真人間になろうと自首して江州に流罪になります。

 

江州でも、徳のパワーで典獄の戴宗(たいそう)と親しくなり、労役を免除され、

一般人と同じ自由を与えられますが、酒楼で酔った勢いで、

理不尽な運命を恨むような詩を壁面に書いて、それを謀反の証とされ逮捕、

国家反逆罪で公開処刑されそうになります。

 

晁蓋の後を継いで梁山泊の首領になる

 

それを聞いた梁山泊の首領、晁蓋(ちょうがい)が一党を連れて処刑場に乱入、

何とか宋江を救出すると梁山泊に迎え、これで宋江が梁山泊に加わるのです。

宋江は副頭領となりますが、曾頭市との戦いで晁蓋が戦死、、

次の頭領として、宋江と盧俊義(ろ・しゅんぎ)が上がりますが宋江は辞退します。

しかし、豪傑達も盧俊義も、宋江を頭領にと譲らず、やむなくという形で

宋江が梁山泊の頂点に立ちます、こちらも徳パワーでした。

 

仲間の猛反対を押し切り朝廷に帰順、最期には毒酒を盛られ死ぬ

 

ところが、基本的に官軍に恨みしかない梁山泊の面々の中で、

宋江は例外的に尊皇心に厚く、宋王朝を助けて天下を安定させようと主張し、

周囲の猛反対を押し切って、朝廷に帰順します。

 

その後、官軍となった梁山泊軍は、外国である遼(りょう)の軍隊や国内の、

反乱軍と激闘を繰り広げる事になります。

特に方臘(ほうろう)討伐では、味方の好漢の3分の2が戦死するという大打撃を受け

勝利はしますが、梁山泊に以前の勢いは無くなっていました。

生き残った好漢も、在野に降ったり、役人になったり、逃亡したりで

散りぢりになり、宋江も皇帝の贈物とされた奸臣の毒酒を飲んで、

寂しく死んでいってしまうのです。

 

水滸伝ライターkawausoの独り言

 

さて、水滸伝の主役級の人物7名を紹介してみました。

詳しく書いてしまうと、それこそ、この十倍でも足りない分量になるので、

あくまで簡単にしてみましたが、どうでしょう?

いずれの好漢も個性豊かで、知らずに引き込まれる魅力がありませんか?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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