三国志では教えてくれない洛陽と長安の秘密


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三国志に登場する二大都市、洛陽(らくよう)と長安、前漢では長安が帝都となり、

後漢では洛陽が帝都となったので、前漢を東漢、後漢を西漢と言う事もあります。

しかし、三国志演義、そして正史三国志を見ている限り、どうして、長安と洛陽が

漢帝国の都に選ばれたのか?なかなか分らないでしょう。

はじさんでは、三国志では教えてくれない洛陽と長安の秘密を解説します。

 

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洛陽と長安が都になった理由1 堅牢な山に守られている

 

 

洛陽と長安の周辺は地図で見ても分かる通り、盆地で大きな山に取り巻かれています。

洛陽の北には邙(ぼう)山、南には伏牛(ふくぎゅう)山があって侵入が難しく

平地は細くなっていて、そこに函谷関(かんこくかん)、虎牢関(ころうかん)の

二つの要塞を置けば、どんな大軍が来てもビクともしません。

 

※ちなみに汜水関(しすいかん)は、虎牢関の一部で別々の存在ではありません。

 

おまけに、この盆地は、黄河に運ばれた肥沃な土があり、農業生産性が高く、

渭水(いすい)や洛水という河が流れているので灌漑も可能です。

ここに籠っていれば、関が落ちない限り百年でも守れたのです。

 

秦の首都である咸陽(かんよう)は長安の西にあります。

秦はこの肥沃な土地を守り函谷関を厳重にする事で、戦国の覇者になりました。

楚の項羽(こうう)が紀元前206年に咸陽を陥落させるまで、

至強の六国合従軍でさえ函谷関を破れなかったのです。


洛陽と長安が都になった理由2 黄河の氾濫の影響を受けない

 

いかに、肥沃な土地で周囲が山に囲まれていても黄河が氾濫すれば、

ひとたまりもありません。

黄河が黄色いのは、シルトと呼ばれる微細な泥が入っているからで、

それは黄土高原を通過する時に、水の中に大量に混入して黄河を

コーヒー牛乳のような色に変えてしまいます。

 

つまり、黄河が氾濫すると、溢れるのは水だけでなく破壊力抜群の土砂もなのです。

この土砂により、氾濫の経路にある都市も畑も消滅してしまう事になりました。

しかし、洛陽と長安がある盆地は、黄河を挟むように山脈が存在していて、

黄河氾濫の被害から、都を守ってくれるのです。

 

この地域には、夏王朝の遺跡ではないかと言われる、二里頭(にりとう)遺跡や、

殷の初期の都である偃師(えんし)商城、東周の都などが次々と置かれました。

そして唐代には、長安が帝都とされるなど繁栄をつづけたのです。

黄河の氾濫がないので文化の蓄積が、そのまま継承されたのも大きいでしょう。


洛陽と長安が都になった理由3 シルクロードの玄関

 

洛陽と長安が都になった理由は、長安がシルクロードの玄関にあたるからでもあります。

前漢時代にシルクロードが開かれるよりも前から、この袋小路のような盆地は

東西の商人が東と西を往来する重要なルートでした。

 

華北平原は、黄河の大氾濫の繰り返しで、山が削られて造られました。

肥沃な土地と黄河の支流として多くの河川が産まれ、経済の中心地となります。

それらの富は洛陽に流れ込んで行き、洛陽は経済的に繁栄します。

逆に長安は、シルクロードからの交易品と関中から羌族のような勇猛な騎馬兵を

補給する軍事拠点の意味合いを強くしていました。

 

軍事と経済、この袋小路のような盆地には、国家を支える二つの要素が集まり

他と替える事が出来ない魅力を持っていたのです。


  

三国志ライターkawausoの独り言

 

繁栄した洛陽と長安ですが、奇しくも後漢末の騒乱で華北の人口が南下し

江南の開発が進んでいくと華北平原と取って替わり穀倉地帯としての華南の地位が上昇。

6世紀の隋(ずい)の南北統一と大運河の建設により華北の政権を江南の生産力が支える

システムが構築された事で、まず西過ぎた長安が廃れ、

次に江南の物資の中継地点として栄えた洛陽も唐王朝が没落すると、

東の開封が江南からの物資の中継地点として繁栄して、

取って替わられ、北宋王朝は開封を首都にします。

以後、洛陽と長安は、省みられなくなり、歴史上の古都となっていきました。

 

 

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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 


 

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コメント

  • コメント (1)

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    • 匿名
    • 2020年 5月 10日

    > 前漢を東漢、後漢を西漢と言う事もあります。
    逆では?


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