曹操は優秀な人材が大好きでした。
彼の旗揚げ当初に参戦した荀彧(じゅんいく)には、
前漢の天才軍師である張良が来たと大はしゃぎし、
郭嘉(かくか)が仕官した際には彼の智謀を褒めて
「こやつが俺の大業をなしてくれるに違いない」とベタ褒めしております。
こんな人材大好きな曹操ですが彼の一番好きな人材は忠義に厚い人物でした。
今回は曹操の一番好きな忠義の武将BEST3をレンが勝手に決めましたので、
ご紹介したいと思います。
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この記事の目次
曹操が好きな忠義の武将BEST3:初代親衛隊長・典韋(てんい)
曹操が好きな忠義の武将BEST3にランクインしたのは、
彼の初代親衛隊長を務めた典韋(てんい)です。
典韋は曹操に仕えいつでも彼の身辺を離れずに常に護衛をしておりました。
しかし一度曹操に降伏した張繍(ちょうしゅく)が反乱を起こします。
この時曹操は危機一髪で難を逃れることに成功するのですが、
彼が危機を脱することができた最大の要因は典韋の奮戦にあります。
彼は曹操の本陣を常に守っており、
張繍が反乱を起こした際にも得意の武器である戟(げき)をもって奮戦し、
曹操が張繍の包囲陣を脱出する時間を稼いでおります。
曹操は張繍軍に敗北した後、典韋のために墓を作って葬式を行い、
大いに泣いて哀悼の意を示したそうです。
曹操が好きな忠義の武将BEST2:二代目親衛隊長・許褚(きょちょ)
曹操が好きな忠義の武将BEST2は二代目親衛隊長に就任した許褚(きょちょ)です。
かれは曹操に絶大な信頼を得ており、典韋と同じように曹操の身辺に侍り、
親衛隊の隊長として曹操を守ります。
彼の活躍として有名なのは関中十部連合軍VS曹操軍の戦いの時ではないのでしょうか。
この連合軍との初戦で、曹操はいきなり急地に立つことになります。
彼は諸将の軍勢に先に河を渡らせて、本陣を一番最後に渡らせようとします。
しかし諸将の軍勢の大半が河を渡った頃、
馬超率いる精鋭騎馬隊が曹操軍の本陣めがけて突撃してきます。
この時曹操を引っ担いで船に乗せていち早く陸を離れさせたのが親衛隊の隊長である許褚です。
彼は対岸から曹操めがけて射ち放ってくる弓矢を彼の前に立って、
盾を構えて曹操の前に立って守ります。
対岸にたどり着いた時には許褚の盾は弓矢がハリネズミみたいに弓矢が突き立っていたそうです。
許褚の働きによって曹操は命からがら河を渡ることに成功し、
「許褚がいなければわしはあそこで討たれていた。」と述べてそうです。
曹操が好きな忠義の武将BEST1:何度も誘ったけれどフラれてしまった関羽(かんう)
曹操が好きな忠義の武将BEST1は何度も誘ったけれどフラれてしまった関羽でしょう。
曹操は関羽を一時期客将として臣下にいたとき、莫大な贈り物と将軍の位を与えて、
「俺に仕えないか。関羽」と幾度も誘っております。
しかし関羽は曹操の誘いを何度も断って彼の元を去ってしまいます。
そして後年孫呉の軍勢によって関羽が討ち死にした際、
曹操の元に孫権から関羽の首が送り届けれます。
この時に曹操は「関羽の胴体を木で作り、諸侯の格式で葬式を行う。」と宣言します。
当時敵将を諸侯の格式で葬式を行うことなどなかったため、
曹操軍の臣下達は大いに驚いたそうですが、
曹操は一向に気にすることなく彼を諸侯の格式で葬っております。
関羽一途な曹操の関羽愛が見て取れると思います。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は曹操が好きな忠義の武将BEST3をレンが独断と偏見で勝手に決めつけてご紹介しました。
曹操は敵将でも忠義に厚い武将であれば登用しようと試みておりますが、
大概フラれてしまいます。
袁紹亡き後、鄴城を孤軍奮闘して守備していた審配(しんはい)を捕虜にした際に
曹操は「俺の仲間にならないか」と誘っておりますが、すげなく断られてしまいます。
忠義に厚い武将は利益では誘うことができないので中々難しいですが、
一度配下に加えることができれば、
死ぬまで裏切ることなく仕えてくれるので曹操も
忠義に厚いに武将を愛していたのではないのでしょうか。
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