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口は災いの元だと痛感できる廖立(りょうりつ)のエピソード

2017年5月15日


 

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孔明から「龐統(ほうとう)と廖立(りょうりつ)は、

荊州(けいしゅう)の逸材というべき人物であります。」と評価を下されていた廖立(りゅうりつ)。

しかし彼はあることに不満を持っていたことが原因で、

蜀の諸将や文官達を批判しすぎて庶民に落とされてしまうのです。

今回は言葉が過ぎてしまったため庶民に落とされてしまった

残念な文官・廖立をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明から龐統と比較して遜色ない人物であると評される

 

廖立は劉備が南荊州を攻略した際に幕僚として加わることになります。

彼は劉備に仕えるとすぐに優れた才能を発揮したため、

すぐに官位が昇格することになり長沙(ちょうさ)太守として任命。

孔明は劉備が益州攻略戦に出陣した際荊州で留守番することになります。

彼は荊州で留守番をしている時、

孫権の使者がやってきて今後の展開などについて色々と話し合いが行われます。

この話し合いが終わった後に宴会となるのですが、

この席で孫権の使者から「劉備殿の陣営にはいろいろ優秀な人材が揃っていると思いますが、

誰が今後の劉備政権を背負っていくにふさわしい人物であると考えていますか。」と尋ねられます。

孔明はこの質問に「今の劉備政権で優秀な人材は、

龐統(ほうとう)と廖立の二人と言えるでしょう。

このふたりは荊州地方の逸材であり、

劉備政権を支える人物にふさわしいと考えております。」と自らの評価を述べます。

 

成都に帰還する

 

劉備が益州攻略に成功すると孔明や張飛、趙雲といった武将達は、

劉備政権の新しい本拠地となった成都に移行されることになります。

しかし廖立は長沙太守として残り、

関羽の配下として民政をしっかりと担当していくことになります。

しかし孫呉との南荊州の領地問題が発生。

長沙・零陵(れいりょう)・桂陽(けいよう)は孫呉に属することになります。

廖立は孫呉に長沙が編入される前に逃亡することに成功し、

劉備の本拠地となっている成都に帰還することになります。

 

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自らの才能に驕り悪口を言いまくる

 

廖立は益州に到着すると新たな官位をもらって、益州の政権に参画することになります。

彼は自らの才能が優れていると自負しており、

劉備死後孔明の次位の位を与えれるものだとばかり思っておりました。

しかし孔明の次位の位どころかあまり官位を昇進させてもらえませんでした。

そのため大いに不満を持ち部下であった蒋琬(しょうえん)らに

「関羽は荊州の全軍を上げて樊城を攻略しようと試みたが、彼が行ったことは一州を失うと

言う大損害を出した。

また向朗(しょうろう)は大した能力を持っていないくせに高い位におり、

経済官僚としていい気になっている王連なんぞは民衆を疲弊させた悪人である。」と

蜀の文官や武将の悪口を延々と述べます。

蒋琬は廖立が述べた言葉をそのまま孔明に伝えると孔明は激怒して、

劉禅に上奏して廖立を庶民に落としてしまいます。

 

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庶民に落ちて遠方に流された廖立

 

廖立は孔明によって庶民に落とされ益州の遠方に流されてしまいます。

彼は家族と一緒に農業に励んで田畑を耕しておりましたが、

孔明が亡くなったと知ると大いに悲しんで家族へ「孔明が死んだせいで、

私は益州に戻ることができなくなってしまった」と述べたそうです。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

廖立は孔明によって庶民に落とされますが、彼に対して恨み言を言わなかったそうです。

孔明が法律を公平に運用して誰に対しても罪と褒賞を明らかにしていたのを

廖立も知っていたので、不満を述べなかったのではないでしょうか。

また姜維(きょうい)が廖立が流された地に軍勢を率いて通過した際いろいろと語り合ったそうです。

姜維が来た時にはかなりの老齢であったにも関わらず、

蜀の政権に参加していた時と全く変らない明晰さを持っていたことに驚いたそうです。

皆様も他人を批判しすぎると廖立みたいになってしまうかもしれないので、

気をつけてくださいね。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

次回記事:何で曹操はあれだけ関羽を愛していたのに配下から逃がしたの?

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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