秀吉のDIY?墨俣城(すのまたじょう)って本当に一夜で造られた?

2017年5月25日


 

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秀吉は尾張の織田家当主である織田信長に仕えることになります。

彼は信長の元で順調に出世を果たして行くことになり、

足軽大将として出世した時には恋人同士であったねねと結婚。

秀吉がねねと結婚した当時尾張(おわり)の隣国である美濃(みの)では、

斎藤家当主であった斎藤義龍(さいとうよしたつ)が亡くなり、

彼の息子である斎藤龍興(さいとうたつおき)が君主に就任。

信長は美濃斎藤家で君主の代替わりがあったことをきっかけに美濃攻略戦を開始することに。

秀吉もこの戦いに参加して、歴史に名を表していくことになるのです。

今回は美濃攻略戦における秀吉の働きについてご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小牧山に本拠を移す

 

信長は尾張国内を統一することに成功し、内戦で荒れ果てた国内の内政に専念。

そんな中、ある情報が信長のもとへ入っていきます。

その内容は斎藤義龍が死亡して新君主が擁立されたとの情報でした。

信長は斎藤家が代替りしたことによって美濃攻略のチャンスがきたと判断し、

本拠地を尾張の清洲城(きよすじょう)から尾張と美濃の国境に近い小牧山城(こまきやまじょう)へ

移転することにします。

こうして美濃攻略の最前線に駐屯することになった信長は美濃攻略に向けて調略を開始します。

 

秀吉の暗躍

 

信長は最近結婚した木下藤吉郎秀吉(きのしたとうきちろうひでよし)を呼んで

「サル。おみゃ~に美濃の国人衆の調略を任せるゆえ励め!!」と命令。

秀吉は「承知しました」と快諾します。

こうして秀吉は美濃の国人衆へ調略を開始することになります。

秀吉はまず尾張と美濃の国境に近い松倉城(まつくらじょう)の城主である

坪内利定(つぼうちとしさだ)へ調略の手を伸ばします。

彼は坪内氏へ「斎藤家の新君主はボンクラだけど、

信長様は桶狭間(おけはざま)で今川義元(いまがわよしもと)を討ち取るほどの武略を持っている人物だ。

今信長様についておけば、この書状のとおり加増されることになるぞ」と

信長の加増の約束が記されている書状を見せます。

この書状を見た坪内氏は秀吉の言葉を信じて織田家に内応することを承知。

その後も秀吉は美濃の国人衆へ時に厳しく接して内応させ、

時に優しく接して内応をしたりしながら調略活動に励んで、

多くの美濃国人衆を織田家の味方につけることになります。

 

信長ミッション:墨俣へ砦を建築せよ!!

 

秀吉はこうして信長の命令通りに調略を行い成果を出していきます。

その後信長は調略の成果を出している秀吉へ「サル!!お前に墨俣(すのまた)に砦を建築せよ」と

命令を下します。

秀吉は信長の命令に逆らうことなく二つ返事で快諾するとその場を後にします。

さて墨俣とは一体どこなのでしょうか

墨俣は尾張と美濃の国境を流れる長良川の対岸にある洲のことです。

この地に砦を構築することによって美濃へすぐに攻撃が行えるようになるため、

斎藤家も非常に重要な拠点として堅い守備を敷いておりました。

信長は秀吉の前に佐久間信盛(さくまのぶもり)等に砦構築の命令をしておりましたが、

ことごとく失敗に終わってしまいます。

そんな厳しい場所へ砦を構築するように命令を受けた秀吉は、

どうすればいいのか思案を重ねることにします。

 

二人の武将を仲間に加える

 

秀吉は美濃攻略戦で武功を挙げているにも関わらず、

信長からなんの褒美も貰えなかったふたりの武将に目をつけます。

一人は蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)と前野長康(まえのながやす)です。

秀吉は彼らの元を訪れて自らの配下として加わってくれないかと説得。

二人は初めのうちは秀吉の誘いを断っていましたが、

何度も何度も訪れてくる彼の誠意に打たれて仲間に加わることを決めます。

秀吉は二人の武将を仲間に加えることに成功すると早速信長から受けた命令を語ります。

すると二人は「大変な命令を受けたもんだ。

俺らは昔から水運業を生業としてきてんだが、

砦を構築するのに必要な木材を川で墨俣近くに輸送すれば、

あんまり時間を使うことなく砦を作ることが出来るんじゃないか」と提案。

秀吉は彼らの作戦を聞いて、

納得しすぐに木材を墨俣近くに輸送してくれるようにお願いします。

 

一夜で墨俣に砦を築城する

 

秀吉は蜂須賀小六正勝と前野長康の二人に、

墨俣近くへ砦構築に必要な木材を輸送してもらいます。

墨俣近くに木材を輸送してもらうと秀吉はすぐに砦建築を行う農民達を励ましながら、

砦を構築させていきます。

また秀吉は砦構築中に斉藤軍に攻撃を受けてしまった場合、

全てがダメになってしまう可能性があるため軍勢を砦構築の場所近くに布陣して、

斎藤軍迎撃の準備もしっかりと行わせます。

こうして一生懸命に農民達や秀吉の知恵の限りを尽くした墨俣砦はたった一夜で、

完成することになります。

斎藤軍は一夜で墨俣砦が建築されたことに驚き、

すぐに砦を破壊するための軍勢を差し向けますが、

信長の援軍を得ていた為、砦を破壊することができませんでした。

しかしこの一夜で完成した墨俣砦、実は虚飾であったことを皆さんご存知でしょうか。

 

秀吉が墨俣で何したの!?

 

秀吉が信長に命じられて行った墨俣で一夜にして作り上げた砦。

しかしこれは「絵本太閤記(えほんたいこうき)」にしか描かれておらず、

その他の歴史書には一切描かれていない為、

創作ではないかというのが昨今の学説だそうです。

では秀吉は墨俣で一体何をしていたのでしょうか。

「信長公記(しんちょうこうき)」によると信長が美濃攻略を始める以前から、

墨俣には城が築城されていたそうです

ここからはレンの私見です。

信長は秀吉に命じてこの使われていない墨俣の城を改修して、

美濃攻略の前線拠点として活用しようと思ったのではないのでしょうか。

その証左として現在でも墨俣城跡として墨俣に城が残っており、

このことから墨俣には戦国時代にも城があったことが証明されております。

ひとつ言えることは、

墨俣に一夜で砦が作られていた可能性はなく、

これらは創作物であったことだけは間違えなく言えることでしょう。

しかしこの墨俣で信長から命じられて秀吉が何らかの活動を行っていたことは、

可能性として考えられるのではないのでしょうか。

 

足掛け6年にも及ぶ美濃攻略戦に決着がつく

 

信長は秀吉らの美濃国人衆の調略による寝返りや

美濃三人衆(みのさんにんしゅう)と言われる有力国人が寝返ってきたことがきっかけで、

斎藤家の本拠地である稲葉山城(いなばやまじょう)を攻略することに成功。

こうして信長は尾張・美濃を領有する大大名へと出世することになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秀吉は美濃攻めで活躍することによって歴史の表舞台に出現することになり、

織田の兵士を率いる武将格にまで出世することになります。

また彼はこの美濃攻略戦によって家臣団を補強することになります。

まず美濃攻略戦が終わった後、

現在一番売れている日本の戦国マンガ・センゴクの主人公にもなっている

仙石権兵衛秀久(せんごくごんべえひでひさ)が織田軍へ参加。

その後秀吉の馬廻り衆として配下に加わることになります。

元々かれの配下として活躍していた蜂須賀小六や前野長康、

数少ない一門衆らに加えて彼ら美濃の侍達が仲間に加わったことによって、

秀吉の家臣団の層が少しだけですが分厚くなることになります。

また秀吉の前半生を支えたあの人物が彼の幕下に加わることになるのですが、

これは後々お話していきたいと思います。

 

参考文献 ソフトバンク新書 秀吉家臣団の内幕 滝沢弘康著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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