現代でも、結婚した後の男女が、訳ありで離婚したり、その後に再婚したりすることもあると思います。
離婚理由としては、
「性格の不一致」や
「相手の浮気」や
「後で借金発覚」等
様々だと思います。
それでも、なんやかんやで再婚する場合もあります。また、離婚しなくとも、夫に先立たれ未亡人となった妻が再婚する等というケースもあります。しかし、逆に頑として一人身を貫くという方もいます。
このようなエピソードが、三国時代にもありました。今回は三国志演義にて妻を残してこの世を去った曹文叔(そうぶんしゅく)と夫に先立たれたその妻、夏侯令女のお話を御紹介します。
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時は魏の後期・・・
三国志の中盤から終盤にかけて、魏王の権力は後継者に移っていきます。曹操(そうそう)から始まって、曹操(そうそう)→曹丕(そうひ)→曹叡(そうえい)→曹芳(そうほう)というように移り変わっていきます。
曹芳(そうほう)の時代では、曹叡(そうえい)の時と同様、皇帝が幼かったため、後事を周囲の重臣に託し、皇帝を補佐する形となりました。曹爽(そうそう)の一派と司馬(しば)の一派、それぞれに託されました。
曹文叔とその妻は…
曹文叔(そうぶんしゅく)は夏侯令女(かこう れいじょ)を妻に迎えました。夏侯令女(かこう れいじょ)は実は、名前が不明の人物であり、字が令女(れいじょ)であると推定されています。
『三国志 諸夏侯曹伝』に引用されている皇甫謐の『列女伝』によると、父親は魏の皇室と繋がる夏侯の姓です。夏侯姓である彼女も曹操(そうそう)の父、曹嵩(そうすう)つまり夏侯嵩(かこうすう)の血筋であることになります。
ただ、彼女と他の夏侯姓の人物との関係は定かではありません。令女(れいじょ)は曹文叔(そうぶんしゅく)に嫁いだものの、曹文叔(そうぶんしゅく)は早くに亡くなってしまいます。
再婚話を持ち出す父
令女(れいじょ)の父は再婚話を持ち出しますが、彼女は再婚を断り、髪を切ってまで意思表示し亡夫のために貞節を守ったそうです。髪を切ったというと、「えっ イメチェン? 美容院でも行ったの?」とか考えてしまいますが、儒教国家の中国に置いて髪を切ることは、天より頂いた体を傷つけるという罪な行いであり、当事者にとって相当ダメージがある行為なのです。
髠刑〔こんけい〕という髪を切る刑罰があるほどです。当時の人にとって、かなりの抵抗のある行為でした。それをあえてする程の意思だということです。しつこく、縁談を持ち込もうとする父親でしたが、令女(れいじょ)は今度は刀で自身の両耳を切り落として拒絶しました。
中国では、古くから刵刑〔じけい〕という耳切りを行う罰があり、彼女は女性ですので、言うまでもなくこれも相当ダメージのある行為です。
父「どれだけ再婚したくないねん・・・・」
亡き夫のために忠節をつくす令女(れいじょ)でした。
司馬のクーデター
さて、一方の曹爽(そうそう)は腹心の何晏(かあん)の進言により、司馬懿(しばい)を太傅に昇格させます。この太傅ですが、実は権力の無い名誉職のようなもので自身が実権を握るための策略だったのです。
司馬懿(しばい)はその狙いに気が付いていました。しかし、あえて様子を見ることにしました。一方の曹爽(そうそう)達は権力を存分に使い、皇帝と同等の生活を楽しむという横暴を振るっていたのです。
この目に余る行いを見た司馬懿(しばい)は曹爽(そうそう)の一派が狩りに出た隙に反乱をおこします。そして、洛陽に呼び寄せると大将軍の印綬を奪い取り、一族を処刑します。こうして、司馬懿(しばい)が実権を握りました。
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曹家の終わり…?
さて、曹爽(そうそう)の一派は滅びましたので、これで曹家もほぼ滅亡というところです。そうなれば、貞節も何もありません。彼女が想い続けた曹家は亡くなってしまいました。
令女(れいじょ)の父「ここまでくれば、令女(れいじょ)もまた見合い話を聞いてくれるだろう。」
令女(れいじょ)の叔父は、曹氏との姻戚関係を断ち切り、無理やり令女(れいじょ)を実家に引き取りました。そして、父は令女(れいじょ)が再び再婚話をもちかけました。すると、今度は令女(れいじょ)もまんざらでもない様子。
これを見た父を初め家族一同が安心してほっと胸をなでおろすのでした。ところが、令女(れいじょ)は家族の隙をついて今度は鼻を削ぎ落とし、そのまま寝室に籠もってしまいました。
令女(れいじょ)はその後、母に血まみれの状態で発見されました。中国古くからの刑罰である鼻切りは、言うまでもなく厳罰ですが、彼女はあえて自分に対してそれを行いました。
令女の真意は
家族一同、令女(れいじょ)を再び問いただします。家族「人がこの世で生きていくことは、軽い小さな塵がか弱い草の葉の上に乗って漂っている様なものです。誰であれそれほど重いもの等ではありません。忠節はもちろん大事ですが、そんなに苦しんでまで守る忠節などありますか。まして、曹家はもう根絶やしにされてしまったのだから、いったい誰に対して義理立てしているのですか。」
その問いに対して、
令女(れいじょ)は泣きながら返答します。令女(れいじょ)「『仁者は盛衰を以て節を改めず、義者は存亡を以て心を変えず。』と言います。曹家が全盛の時ですら、二度と嫁ぐまいと思っていたのですから、絶えてしまった今、なおさら曹家を見捨てることはできません。」
彼女の行為は、夫への忠節を守るためだけでなく、仁義を重んじた結果だったのです。
司馬懿が登場
司馬懿(しばい)は令女(れいじょ)の行いを伝え聞き、それに感動しました。司馬懿(しばい)は令女(れいじょ)に養子を取らせると、それを曹家の後継ぎとして育てることを了承しました。
このため、彼女は再婚をして志を失うこともなく、曹家の人間として、曹家の後継ぎを育てることができるようになりました。
三国志ライターFMの独り言
古来中国では五刑という重い罰がありました。五刑には大辟(死罪)・劓(鼻切り)・刵(耳切り)・椓(宮刑 去勢する刑罰)・黥(墨刑 入れ墨の刑)があり、いずれも非常に重い罰になります。
令女(れいじょ)はそれも自ら自身に対して行ったので、それほどの忠節と志があったのでしょう。現代人ではここまでできる方はそれほど(全く?)いないと思われますので、我々から見ると、想像を絶する意思の強さを持っていたのでしょう。
メインの話とはズレますが、彼女の意思を汲み取った司馬懿(しばい)のジャッジは、登場人物皆が納得できるものでしたので、それら全てを踏まえた司馬懿(しばい)の判断も素晴らしいと思います。
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