彼は司馬懿の三男・司馬昭(しばしょう)の親友であり、
父は魏の重鎮としてその名を知られる陳羣(ちんぐん)です。
彼は父・陳羣とは違い文官にならずに武将として成長していき、
蜀軍と幾度も戦いを続けて勝利を収め「蜀軍キラー」としてその名を轟かせていきます。
今回は蜀軍キラーとなる前の彼と蜀軍の戦いをご紹介していきたいと思います。
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奴隷を連れてきてくれと頼まれるが・・・・
陳泰は曹叡(そうえい)の時代に幷州(へいしゅう)の刺史に任命。
彼は曹叡が亡くなり曹芳(そうほう)が皇帝の位に就任すると
護匈奴中郎将(ごきょうどちゅうろうしょう)という官職に就任。
陳泰は対異民族に対して時に威厳を持って接し、
時に恩恵を持って彼らと接しておりました。
そのため彼が幷州にいる間に大規模な異民族の反乱が起きることはありませんでした。
当時魏の高官や貴族達の間で異民族を奴隷として働かせることが流行っており、
幷州の刺史で異民族と接していた陳泰へ
「異民族の奴隷を送ってくれ」と彼に莫大なお金を送ってお願いをします。
しかし陳泰は送ってきたお金に一切手をつけないで、
魏の朝廷がある中央に戻ってきた時にすべて返します。
この事を知った異民族達は陳泰を大いに慕ったそうです。
雍州刺史として赴く
陳泰は幷州の刺史としてしっかりとした実績を残すと
雍州(ようしゅう)の刺史であった郭淮(かくわい)が都督へ昇進するため、
雍州刺史へ異動。
彼が雍州刺史に異動するとすぐに蜀の大将軍である姜維が大軍を率いて進軍してきます。
姜維は麴山(きくざん)と呼ばれる山に砦を建築し、
羌族(きょぞく)からとった人質をこの砦へ入れ、
蜀の将軍である李歆(りきん)らに守備をさせます。
その間姜維は軍勢を率いて雍州各地へ侵入を繰り返しておりました。
【北伐の真実に迫る】
陳泰の進言
郭淮は陳泰へ「姜維に対してどのように対応するのが最善であろうか」と
アドバイスを求めます。
すると彼は郭淮へ「麴山は要害堅固ですが兵糧はあまりなく
遠い漢中から兵糧を輸送しなくてなりません。
我らがこの輸送路を押さえてしまえば麴山の蜀軍は兵糧が無くなり、
反撃することができなくなるでしょう。
麴山への兵糧輸送を我が軍が押さえれば必ず、
姜維が援軍としてやってきますが、
麴山周辺は蜀の大軍が展開できない土地でありますので、
撃退することは簡単であると思います。」と述べます。
郭淮は陳泰の進言を聞き入れて彼に鄧艾(とうがい)らの諸将を率いさせ、
蜀軍が駐屯している麴山を包囲させます。
彼は麴山を包囲すると同時に麴山の蜀軍へ兵糧輸送をしている経路を断ち切り、
麴山へ供給している水路も断ち切ることにします。
陳泰はこうして蜀軍の兵糧輸送経路と水の手を断ち切ることに成功。
そして彼は麴山周辺に砦を構築して姜維率いる蜀軍を待ち受けることにします。
姜維の帰路を断ち切れ
陳泰は姜維が蜀軍を率いて麴山に篭城している軍勢を救援しにやってくるとの
情報を得ると諸将へ「戦は戦わずして勝つことが一番いいとされている。
そこで諸君には姜維がやってきても砦から打って出ることをしないで欲しい。」と命令。
また彼は郭淮へ手紙を送り「姜維の帰路を断ち切れば、
蜀軍は恐れて撤退することになりましょう。
将軍はすぐに姜維の帰路を断つべく出陣していただけないでしょうか。」と提案。
郭淮は陳泰の提案を受け入れてすぐに姜維の背後に回って蜀軍の帰路を断つべく出陣。
陳泰も姜維が漢中へ帰れないようにするために出陣します。
姜維は麴山の蜀軍を救援するためにやってくるのですが、
麴山周辺に築かれた砦に攻撃しますが、
魏の諸将が力を合わせて砦を守っていたためすぐに陥落させることはできませんでした。
姜維はじっくりと魏軍の砦を攻めるために駐屯しようとしている最中、
驚くべき知らせが舞い込んできます。
姜維撤退
郭淮・陳泰の軍勢が蜀軍の拠点である漢中への帰路を塞ごうとしているとのことでした。
彼はこのまま麴山の蜀軍救援にこだわっていては帰路を塞がれてしまうと
砦に駐屯している魏軍と姜維率いる蜀軍の背後へ回っている魏軍に挟撃されることを恐れ、
麴山から撤退していくことになります。
そして麴山に篭城していた蜀軍は姜維が撤退する様子を見て魏軍に降伏。
こうして陳泰は蜀軍と本格的に戦うことなく、姜維を追い払うことに成功し
蜀軍を降伏させるのです。
ここから陳泰の蜀軍キラーとして活躍することになります。
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三国志ライター黒田レンの独り言
陳泰はこの戦い以降西方に駐屯することになり、
姜維が北伐を開始すると彼が必ず応戦することになります。
まさに姜維にとっては宿敵と言っていいほどの人物であり、
魏にとっては蜀軍に対して連戦連勝する守り神のような将軍となっていくのです。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—