陳泰(ちんたい)ってどんな人?司馬昭の親友でもあり正義感が強く清廉な将

2015年11月8日


 

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陳泰(ちんたい)の父は魏の名臣陳羣(ちんぐん)。母親は荀彧(じゅんいく)の娘です。父親が亡くなると、その後を継いで魏に仕えます。司令官の能力が非常に高く、政治家としての才能も優秀でした。また司馬昭(しばしょう)と仲が良かった知勇兼備の将・陳泰(ちんたい)の活躍を紹介していきます。

 
 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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不正を許さない

 

父の跡を継いだ陳泰の初仕事は、魏との国境沿いに住む異民族を上手く手なずけ、仲良くする仕事でした。簡単そうな仕事ですが、異民族は国境を度々犯し、魏にとって厄介な民族でした。陳泰は任地に赴き、ときに威厳をもって接し、あるいは恩恵をもって異民族に接します。この陳泰の方針に異民族も彼になつき国境は平穏になりました。そんな中、都の貴族は異民族を奴隷として働かせるために、陳泰に賄賂を贈ってきます。しかし、正義感に溢れ、不正を許さない性格の陳泰は、賄賂には一切手を付けず、任地から帰って来た時に、送られた賄賂をすべて送り主に返したそうです。

 



姜維から恐れられた名指揮官

姜維

 

その後、陳泰は蜀との国境に近い雍州に転勤します。魏の国境を蜀軍から守ることが、今回の仕事内容です。蜀の姜維(きょうい)が大軍を率いて国境に侵入してきたと急報が入ります。上司で長年国境を守ってきた郭淮(かくわい)から「どうすればよいか」と相談されます。陳泰は「蜀軍が築城している二つの城を包囲すれば、姜維が援軍にやってきます。その後、姜維軍を包囲すれば、必ずや勝利できましょう。」と郭淮に進言します。郭淮は陳泰の進言を取り入れた事で、簡単に蜀軍を蹴散らすことに成功します。
 

郭淮が亡き後、姜維は再び魏に侵攻

 

郭淮が亡くなると、姜維は再び魏に侵攻してきます。陳泰は郭淮の跡を継ぎ、魏と蜀の国境を守備する総司令官に就任しました。陳泰は、王経から蜀軍は兵を三つに分け、侵攻してきていると報告します。陳泰は冷静に蜀軍の動きを見て、王経に「兵力は分散せず、守備兵を一か所にまとめて、狄道城を守りなさい。」と命令を出し出陣します。陳泰の考えは、王経軍と陳泰軍で包囲軍を挟撃し、蜀軍をコテンパンにする作戦でした。しかし、狄道城に向かう王経は、途中で蜀軍に遭遇し惨敗し、狄道城は包囲されてしまいます。狄道城が包囲されていることを知った陳泰は援軍にきた鄧艾軍などを率いて救援に向かいます。狄道城の南にある山に陣を敷いた陳泰軍は、狄道城にのろしを上げ、援軍が来たことを伝えます。その後、舗装された正規の道を通らず、悪路である間道を使って山を下ります。陳泰は「姜維は通りやすい道を使ってわが軍が山を下りると予想している。そのため、この道に伏兵を設けているはずだ。だから姜維が予想しない悪路を選んで、姜維の本陣に攻撃を仕掛ければ一気に勝負の決着が着くではないか。」と諸将に説明し、進軍を開始します。陳泰の予想は的中し、現れないと思っていた所から魏軍が攻撃をしてきたため、蜀軍は大混乱し敗北します。蜀軍を大いに破った陳泰はこの功績が認められて、累進します。

 

親友・司馬昭に憤慨し、自害

司馬昭

 

陳泰は軍事や政治における能力の高さを発揮し、魏国の代表的な人物になりました。しかし陳泰の人生を揺るがす大事件が起きます。親友である司馬昭が皇帝を殺害してしまったのです。当時、司馬氏が天下を運営しており、皇帝である曹氏には何の決定権もありませんでした。そのため、皇帝は司馬氏を殺害しようとたくらんでおりました。しかし、そのたくらみは司馬昭にばれてしまい、皇帝は殺害されてしまいました。

 

司馬昭は陳泰に皇帝を殺害したことを相談

司馬昭

 

皇帝殺害を行った司馬昭は「皇帝殺しちゃったよ。玄伯(陳泰のあざな)どうすればいいか教えてくれない」と親友である陳泰に相談を持ち掛けます。陳泰は「皇帝殺害を考えた賈充を殺して、天下に謝罪しなよ」と答えます。司馬昭は「それは無理だ。ほかの手段はないか」と再び陳泰に相談を持ち掛けます。しかし陳泰は「もっと厳しい方法はあるけど、賈充を殺す以外の方法を私はしらない。」と反論し、司馬昭の部屋から出ていきます。その後自宅に帰った陳泰は自害してしまいます。陳泰は、清廉潔白で、正義感の強い人物です。司馬昭を救うためには、皇帝殺害を企てた賈充を殺すか、司馬昭自ら死ぬかの二択しかないと陳泰は思っていたそうです。しかし司馬昭は重臣である賈充を殺すことはできず、代わりに親友である陳泰を失ってしまうのです。陳泰が、自害した事を知った司馬昭は悲しみました。

 

三国志ライター黒田廉の一言

黒田廉

 

陳泰は、親友・司馬昭が皇帝を暗殺した後の方針について相談を持ち掛けたとき「もっと厳しい方法はあるけど、賈充を殺す以外の方法を私はしらない。」と提案します。この時、司馬昭が自害して天下に謝りなさいと告げないところに陳泰の苦悩が現れています。不正を許さない性格と親友を思う気持ちの間で揺れ動いた陳泰は、悩み切った上で自害を選択したのでしょう。陳泰の苦悩が表れた行動だと私は思います。長いお話にお付き合いいただきありがとうございます。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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