游楚(ゆうそ)とはどんな人?諸葛亮の攻撃を耐え抜いた魏の太守

2017年7月1日


 

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三国志を知らない人でも一度は必ず聞いたことのある人物。それは諸葛孔明ではないのでしょうか。蜀の宰相として強大な魏国へ挑み続けた人として知られており政治・軍事両方で活躍。そんな彼の攻撃を耐え抜いたマイナーな武将が魏にいたことを知っていましたか。彼の名を游(ゆうそ)と言います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張既の推挙を受け仕事に励む

 

游楚は父が胡軫(こしん)という董卓の武将に殺害されてしまった後、張既の元で勉学に励んで行きます。その後曹操が関中を領土とした際、先に仕えていた張既の推挙を受けて魏に仕えることになり、游楚は隴西(ろうせい)の太守として活躍することになります。隴西の太守として着任した彼は刑罰を行うことを極力避けて民衆達に恩恵を施して、統治していき民衆からは慕われていきます。民衆から慕われていた游楚ですが、蜀の諸葛孔明率いる軍勢が北伐を開始したことが原因で、隴西の地に戦雲が訪れることになります。

 



次々に太守が寝返る中・・・・

 

諸葛孔明率いる蜀軍は隴西付近に点在している都市の太守に兵力で、プレッシャーをかけます。その結果、天水(てんすい)・南安(なんあん)の両太守が孔明に寝返ってしまいます。そんな中、隴西の太守であった游楚は寝返ることなく民衆達を集めて演説を行います。

 

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「俺が死ねば君たちは許されるだろう」

 

游楚は民衆や役人達を集めて演説を行います。彼は役所の高い所に登って「私は魏の国家に仕える役人である。そのため必ず私は国家のために死ななければならない。しかし君達には選択の自由がある。私の首を斬って諸葛孔明の元へ持っていけば必ず許されるだろう。すぐに私の首を斬るべきであると考えるがどうだね」と述べます。この言葉を聞いた民衆や役人は涙を流しながら「私達は太守様と運命を共にします。」と決意を述べます。この言葉を聞いた游楚は大きく頷くと言葉を述べます。

 

游楚の計略とは・・・・

 

游楚は民衆達へ「君達が降伏しない道を選んでくれたことを嬉しく思う。そこで私は一つの計略を述べたい。それは隴西の城をしっかりと守ることである。本国から援軍がやってくれば君達全員が褒美を受けることになるであろうが、もし援軍がやってくることがなければ、すぐに私の首を斬って孔明に差し出すといい」と自らの命を元手にして民衆や役人達の士気を鼓舞します。孔明率いる蜀軍がやってくると知るとすぐに部下へ軍勢を与えて城門の外に駐屯させ蜀軍迎撃の陣を構築。蜀軍が城の付近にやってくると攻撃を開始します。蜀軍は隴西の城もすぐに降伏すると考えていた為、游楚が仕立て上げた軍勢の激しい攻撃を受けて撤退してしまいます。こうして蜀軍を打ち払った游楚は10日後、本国からの援軍が到着したことによって蜀軍は撤退。そして本国からは游楚の言っていた通り、民衆・役人全てに褒美が与えられることになります。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

游楚は蜀軍に屈することなく戦ったおかげで、孔明の北伐作戦は失敗してしまいます。気骨ある彼ですが、微笑ましいエピソードがありますのでご紹介して終わりたいと思います。游楚は隴西の戦いの後洛陽へ参内するように命令を受けます。彼は宮廷での礼儀を知らなかったため緊張しながら曹叡(そうえい)の元へ参上。皇帝の侍中(じちゅう)から「隴西太守・游楚。前にすすんできなさい」と声がかかります。游楚は緊張していたのか「はい」と返事をすればいいのに「承知仕った」と返答。宮中にいた高官達は笑いをこらえ、曹叡も彼の返事の仕方に微笑ましい表情で彼を見ていたそうです。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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