胡軫とはどんな人?要領がよい性格最悪男、超常現象に散る!




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クーデターがバレたと勘違いして自殺する王芬

 

三国志には要領がよい人と悪い人が登場します。胡軫(こしん)は、その中では要領が良いタイプで、腕力の強さを鼻に掛けた粗暴で人望がない最悪な性格にもかかわらず、場面、場面の判断で難局を切り抜けました。

 

ところが最後は、要領では回避できない超常現象で命を失う事になるのです。




董卓の信任を得るが人望のない胡軫

牛輔と董卓

 

胡軫は涼州(りょうしゅう)の出身で董卓(とうたく)の配下として登場します。そこまでの出来事は一切不明で、いつから董卓に仕えたのかも定かではありません。

 

しかし、董卓が洛陽を占拠して権力を握った後に陳郡太守に任じられているので、それなりに董卓の信任を得ていたか、あるいは董卓に迎合して東郡太守を引き続き任されたという事だと思われ、機を見るに敏な胡軫の要領の良さが垣間見れます。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

一方で、胡軫は自分の武力を鼻に掛ける横暴な性格で人望が皆無に近く、部下にも同僚にも嫌われていました。そのことが胡軫の足を引っ張る事に繋がります。

 

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呂布の陰謀で孫堅に大敗する

袁術と呂布

 

西暦191年2月、董卓は大督護の胡軫と騎督の呂布(りょふ)を派遣し陽人の孫堅を攻撃させました。胡軫と呂布は陽人から数十里の広城に到着しますが、そこで陽が暮れ疲労困憊のまま野営する事になります。

 

どうして、大急ぎで陽人まで来たのか?三国志集解によれば、胡軫は

 

「この戦いは孫堅(そんけん)1人を切れば片付く」と豪語していたそうで、急げば孫堅が防備を固める前に陽人に辿り着き撃破できると思っていたのかも知れません。

 

呂布

 

さて、一緒に従軍していた騎督の呂布も、性格の悪い胡軫を嫌っている1人でした。今回の戦争で胡軫が孫堅を破り、董卓の覚えがめでたくなるのは当然面白くありません。そこで孫堅を援護しようと考え、部下を使い「孫堅が逃げました!」と虚報を流します。

 

胡軫は孫堅さえ斬ればと豪語していた人なので、孫堅が自分にビビったと有頂天になり、疲労困憊を推して徹夜で軍を進め、陽人に辿り着きますが、所詮は呂布の嘘なので、陽人の孫堅は逃げるどころか防御を固めていました。

 

胡軫「なんだよ、デマじゃないか急いで損したぜ、あーあ疲れた」

 

胡軫は疲労困憊して、重い甲冑を脱いで野営して休んでいましたが、そこでまた呂布が、部下を使い「孫堅が追撃してきたぞ!」とデマを流します。

 

胡軫は慌てて鎧を着こんで転がるように退却しますが誰も追撃しては来ませんでした。それはともかく、翌日、疲労でフラフラになった胡軫の軍勢を見た孫堅はチャンス到来と出撃を命じ董卓軍を散々に打ち破り、逃げ遅れた華雄(かゆう)を生け捕り縛り首にしました。

 

炎上する城a(モブ)

 

董卓は孫堅の強さに驚き、洛陽を焼いて長安に遷都しますが、その敗北の原因を造ったのは、性格が悪い胡軫と呂布の確執のせいだったのです。

 

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登場人物全員が悪!悪人のお祭り騒ぎ!
李傕・郭汜祭り

 

王允が気に入らず李傕・郭汜に迎合

李傕・郭汜祭り

 

長安に遷都した董卓ですが、それからしばらくして王允(おういん)と結託した呂布に殺害されます。董卓に引き立てられた胡軫ですが、ここは大人しく王允の支配下に入りました。

 

しかし、この王允、董卓が手足に使った涼州人が憎くてなりません。さらに、ここに文人特有の涼州人差別が入ったので胡軫はもう愛想が尽きていました。

 

李カク(李傕)、郭汜、王允

 

そんな折に、李傕(りかく)郭汜(かくしが董卓の弔い合戦で涼州軍閥を引き連れて長安に攻め上ってきます。王允が涼州人を皆殺しにするらしいという風聞も広がり、李傕・郭汜に味方する兵力は膨れ上がりました。

 

ここで王允は徐栄(じょえい)、胡軫、楊定(ようてい)を呼び出して逆賊どもを討てと命じてしまうのです。胡軫はこれ幸いと何食わぬ顔で出撃し、同じく涼州軍閥の楊定と一緒に李傕・郭の軍にあっさり寝返りました。取り残された幽州人の徐栄は、多勢に無勢で討死。呂布は一騎打ちで郭汜を倒すものの、戦況不利と見て長安を脱出します。

 

三国志の武器 衝車 呂布

 

胡軫は李傕や郭汜と共に長安に入城、王允とその一族は董卓の仇として皆殺しにされました。なんだかんだで胡軫は董卓から王允、王允から李傕という権力の変転を切り抜けたのです。このあたり胡軫の要領はかなり良いと言えるでしょう。

 

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司隷校尉になるが超常現象に死す

曹操の頭痛の原因は関羽?

 

盧弼(ろひつ)の「三国志集解」によると、その後胡軫は司隷校尉として宮廷の警備や囚人や奴隷を管理する仕事に就いていたようです。性格が悪い胡軫に務まる感じがしない仕事ですが、案の定、胡軫は馮翊郡(ひょうよくぐん)の功曹の游殷(ゆうそ)冤罪(えんざい)で処刑しました。

 

ところが、それから1ヶ月後、胡軫はにわかに病気に倒れ、「私が悪うございました」とうわごとを口走りながら死んだのです。要領ではどうしようもない超常現象により殺された胡軫ですが、話を聞いた人々は恐れ(おのの)くどころか大いに喜び、胡軫を祟り殺した游殷を褒め称えました。

 

この点だけを見ても胡軫の性格の悪さと最悪な評判が分かりますね。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

強くて粗暴なキャラというのは、大体は時流を読む事が出来ずにマヌケな死に方をして、それが一種の愛嬌になったりするのは、北斗の拳の悪党でもお馴染みです。

 

しかし、胡軫は粗暴ですが、時流を読む力があるのか董卓から王允、さらに李カクと移り変わる権力を巧みに泳ぎ切りました。その意味では小狡(こずる)い悪党で、ジャギやジャッカルのようなキャラと言えます。

 

ところが小狡く時流を読む胡軫も、まさか冤罪で殺した人間に祟り殺される事まで予想できず、苦しみ抜いて死んでしまう末路を迎えました。祟りは超常現象で、誰にでも降りかかるものではないので、これを報いと呼べるか微妙ですが、人の恨みは買わない方がいいですね。

 

参考文献:正史三国志

 

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袁術のトホホな逸話
袁術祭り

 




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