曹丕(そうひ)・曹植(そうしょく)の側近達は自らの主を次代の魏国の君主として君臨させるため、両者の側近たちは必死になって曹操へ自らの優れているところをアピールするように進言していきます。
曹丕の側近達には名だたる文官達がおり、司馬懿(しばい)や陳羣(ちんぐん)など非常に有名な人物達が応援しておりました。では曹植の陣営の方は誰が味方していたのでしょうか。一人は鶏肋(けいろく)で有名な楊修(ようしゅう)です。
もうひとりは今回紹介する丁儀(ていぎ)という人物です。彼は曹家の後継者争いが勃発する前に曹丕にいじめられたことがきっかけで、曹丕の弟である曹植に接近して応援することになったそうなのです。
呑んだくれの父親
丁儀の父親は曹操と仲がよく後漢王朝の皇帝である劉協(りゅうきょう)が長安に居る時から、許へ迎えるように曹操へ進言をしております。曹操は丁儀の父親からの進言を聞き入れて劉協(りゅうきょう)が洛陽(らくよう)へ到着した時、早速彼を自らの勢力内にある許へ迎い入れることにします。曹操は早い段階から丁儀の父親が、許へ皇帝を迎い入れた方が良いと進言していた為、彼に官職を与えて自ら配下として登用。丁儀の父親は酒がめちゃくちゃ好きでいつも自宅に誰かを呼んで宴会を開き、懇親会を行っておりました。その結果、丁儀の父親は酒のせいで病にかかってしまい亡くなってしまいます。
娘を与えようとするが・・・・
曹操は丁儀の父親を気に入っており顔を一度も見たことない丁儀へ自らの娘を嫁として与えようとします。しかしここで思わぬ邪魔者が入ってきます。それは曹操の息子である曹丕です。曹丕は妹が丁儀の元へ嫁に行くことを知ると曹操へ
「父上。丁儀はブサイクですから妹を嫁にやれば可愛そうです。丁儀よりも長年父上に尽くしてくれた夏侯惇(かこうとん)の息子へ嫁に出したほうがいいでしょう。」とアドバイスを出します。
曹操は「お前の言うとおりだ。丁儀より夏侯惇の息子へ嫁にだそう」と言って丁儀の元へお嫁に行く話は無くなってしまいます。曹操は後日丁儀を招き寄せて色々と議論をさせると彼の才能が優れていることを知り、
「曹丕め。奴はブサイクだけど才能優れた人物ではないか。」と自らの判断を後悔したそうです。
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曹丕に激怒し・・・・
丁儀は後になって曹操の娘を嫁にもらえるはずだったのに、曹丕が妨害したせいで結婚話が無くなったことを知ると激怒し
「あの野郎。ぜってぇ~許さね!!もう口もきかん!!」と言って曹丕の弟である曹植と仲良くなっていきます。そして後年曹家の後継者争いが勃発すると彼は曹操へ
「曹植様は詩文に優れ次代の魏国を背負う人材として彼ほど優れた人はいないでしょう。」と曹植を猛アピールしていたそうです。また他にも色々と曹植のためにあれやこれやと実行していきますが、結果は曹丕が曹操の後継者として決定されてしまうのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
丁儀は曹丕が後継者として決定しても諦めず、曹丕の欠点を探して後継者の地位を奪還しようと頑張りますが、すべて失敗に終わってしまいます。さて丁儀はその後どうなったのでしょうか。曹丕が皇帝になった際、彼の小さな失敗を理由に殺されてしまったそうです。もし曹丕が妹の結婚に賛成していれば、後継者争いが勃発した際に曹植を応援していた側近の中で有力な文官が抜ける事になります。そして曹丕と曹植の後継者争いは、それほど大きな争いにならず丁儀も次世代の魏国で活躍していたかもしれませんね。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など
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